敵討ちはいけないと言い切れるか。あまりにも哀切な復讐の物語。 東野圭吾の11作品、怒濤のレビュー企画⑥『さまよう刃』
全部読んだか? 東野圭吾
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全部読んだか? 東野圭吾――第6回『さまよう刃』
数ある東野圭吾作品。たくさん読んだという方にも、きっとまだ新しい出会いがあります。
『超・殺人事件』刊行に合わせ、角川文庫の11作すべてのレビューを掲載!
(評者:西上心太 / 書評家)
端的にいえば、本書は〈復讐〉の話である。「週刊朝日」におよそ1年にわたって連載された後、2004年12月に刊行された。前年には『手紙』『殺人の門』などを、本書の前には『幻夜』を、翌年には『黒笑小説』そして『容疑者Xの献身』を発表している。こう並べてみると東野圭吾の充実ぶりが分かる。この時期から現在まで、凡作が1つもないのだ。
長峰重樹の一人娘の絵摩が、花火見物からの帰宅途中に3人組の少年に拉致され、2日後に遺体となって発見された。暴行の際に覚醒剤を打たれてショック死した絵摩を川に遺棄したのだ。警察は拉致現場付近に停まっていた古い型のグロリアに注目する。その車は、3人組の中でパシリ的な存在である中井誠の父親のものだった。拉致には加わったが、暴行現場にいなかった誠は保身のためにある行動に出る。
一方、娘の死にうち沈んでいた長峰は、留守番電話に残されたメッセージに愕然とする。娘を拉致して死に至らしめた犯人は菅野快児と伴崎敦也であること、事件現場になった敦也のアパートの住所、さらには部屋の鍵の隠し場所が吹きこまれていたのだ。長峰はメッセージに従い、敦也のアパートに侵入する。長峰はそこで娘の暴行シーンを撮影したビデオテープを見て激高し、たまたま帰宅した敦也を刺殺してしまう。そして瀕死の敦也から快児が長野のペンションに身を隠していることを聞いた長峰は、猟銃を持って長野へと向かう。敦也の殺害はすぐに発覚し、長峰の犯行と判明。被害者の父だった長峰は殺人犯として指名手配されるのだった。
手に取るのをためらいがちになる小説がある。子どもがひどい目に遭うたぐいの作品だ。特に年齢を重ね、子を持つようになるとますますその傾向が強まっていく。今回再読する際にも、なかなか帰宅しない娘を心配する主人公の焦燥が描かれる冒頭を読み、胸が張り裂けそうになってしまった。
『たぶん最後の御挨拶』の中で作者自身がこう語っている。
「仇討ちは違法である。しかし世の中には、それを認めてやりたいと思うような事件がある。仇討ちをしようとする者を、警察官たちは捕まえようとするわけだが、その本音はどうだろうか。そんな発想が、この作品を書くきっかけになった。少年法を扱っているが、それだけでなく、今の法律には、犯罪者を守るものが多いような気がしてならない」
法律の専門家はいざ知らず、ごく一般の庶民感情としてもっともな意見である。法の理想は理解できるが、いざ自分がその立場に立ったとしたら、ほとんどの者が長峰の行動を是とするのではないか。また2003年に『手紙』を書いていることにも注目したい。兄が犯罪者(殺人犯)になってしまったため、さまざまな苦労を背負い込む弟の姿を描いている。いわば本書と『手紙』は表裏をなす作品といえるのだ。
本書は三人称多視点で進んでいく。長峰の視点では敵も討たせたいが、これ以上犯罪を重ねてほしくない相反する思いにとらわれる。読み進めるうちに、どんどん長峰に感情移入していくことから逃れられない。また犯罪を取り締まる立場である刑事の視点でも、本音では長峰に同情的で、彼を捕まえようとすることに葛藤する姿が描かれている。「自分たちが正義の刃と信じているものは、本当に正しい方向を向いているのだろうか」と真情を吐露するシーンは、この作品のテーマと通じている。サスペンスフルなクライマックスまで間然するところがなく、かつこれほど哀切な作品も稀だろう。
▼『さまよう刃』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/200708000405/