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連載

長沢 樹「龍探――特命探偵事務所 ドラゴン・リサーチ」 vol.5

探偵は、美女のお宝を守り切れるか? 軟派な名探偵と謎めいた女たちのハードボイルドアクション!長沢 樹「龍探――特命探偵事務所 ドラゴン・リサーチ」#1-5

長沢 樹「龍探――特命探偵事務所 ドラゴン・リサーチ」

元敏腕刑事の遊佐龍太が営む探偵事務所「ドラゴン・リサーチ」は、警察の手に余る厄介な依頼が持ち込まれる特殊な探偵事務所。この遊佐龍太が活躍する『龍探―特命探偵事務所ドラゴン・リサーチ』が3月24日に角川文庫より発売。刊行を記念して、第一話をカドブンで特別公開します!
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 まるばしを渡り、東京都に入った。なかはら街道を道なりに行けば五反田に至る。
 マコの携帯電話には何度も着信が入っていた。翼ファイナンスと興和クレジットだろう。
「トンネルで、わたしを黙らせた時点で、盗聴器に気づかれたの、疑ってた」
 助手席のマコが、携帯電話を膝に置き、語り始めた。
 陸橋の下で挟撃に遭った時点で遊佐は違和感を覚え、情報が追っ手に漏れている可能性を疑った。直海の顔が浮かんだのは、携帯電話のGPS機能を思い出したからだ。しかし、サービスは始まったばかり。そこで、マコが逃げる先を口にしていたことに気づき、盗聴器の存在を疑った。そこから彼女に位置情報を語らせないよう仕向け、メールで呼び寄せておいた織原の車に乗った。高速に乗ってからは、車輛での追跡も考え、本牧元町とニセの情報をあえて口にし、石川町で降りた。
 案の定、追手の気配は消えた。
 組対の大神を呼んだのは、背後関係の確認のためだ。
「追っ手は翼ファイナンスと興和クレジット。君の部屋に侵入したのは、そのどちらか。違うか?」
「荒らしたのは翼のほう」
 理解が早いマコは、即答した。「昼前に連絡があって、もの凄く遠回しに、わたしにしかわからないように侵入したのが自分たちで、一切の証拠を残していないって猛アピール。その直後に、興和からも今日中に何とかしろとか、今までよりずっとやんちゃな感じで督促が来てさ」
 翼ファイナンスの犯行を知り、興和も慌てて動き出したということか。
「興和からも追い込みをかけられているから、何かあったら守って欲しい、位置がわかるように盗聴器をもつと、自分から提案したとか」
「そんな感じかな」
 両者の間に連携はなく、遊佐自身は本当の意味での保険だった──
「君は同じ提案を興和側にもした。翼には知らせずに。無論、興和にも翼への提案のことは伝えていない。三つめの盗聴器は、銃を持っていた連中から受け取った」
 マコは反応を示さないが、遊佐は構わず続けた。
「君は盗聴器を使って逃げる経路を口にし、翼と興和を誘導した。翼は、興和が君を追い込んでいると、興和は、翼が君を追い込んでいると思っていただろう。そこに現れたのが、銃をぶっ放す謎の第三勢力だ」
 せんぞくいけを過ぎる。マコはまだ行き先を言わない。
「車輛基地の中を逃げているとき、俺はとにかく足を止めなかった。君も想定外だったんじゃないのか。組織的で機動力のあった翼と興和は先回りができたんだが……」
 銃撃には余裕を感じさせていたマコが、陸橋下で挟撃されたとき、本物の恐怖を感じていた。その理由は──
「銃を持った人物が追い付いていなかった。組織力も機動力もなかったからさ。だから君は俺に説得を頼み、時間稼ぎをさせた」
 そして、キスのあとの一か八かの挙動。暗視モードのカメラで〝後門の狼〟のさらに背後に〝銃撃犯〟の到着を確認したからだ。
「で、久和専務が到着したから、君は行動に打って出た」銃撃を仕掛けてきた第三勢力は、久和宗彌。それが遊佐の結論だった。
「逆に言えば、警察に通報しないと知っているからこそ、久和専務は容赦なく撃つことができ、君は思いきった行動に出ることもできた」
「意味がわからない……」
 そう応えるマコの声に張りはない。
「それでもいい。全部俺の妄想だからな」
 蛇の道は蛇──久和には拳銃の調達が可能だった。撃つことも。
「作戦は君の発案だろうが、詰めが甘かったな。君がカムフラージュに使おうとした中国人グループ、シェンロンと言うんだが、みんな日本生まれで、君が言ったような〝カタコト〟はあり得ない。久和氏と十分な打ち合わせができていれば、そんな間違いは犯さないで済んだ」
「どうして、久和さんがわたしを撃つの」
「銃撃は君に対するものではなく、むしろ君を包囲する翼と興和に対するものさ。とにかくぶっ放すやばい連中が君を追っていると思わせることで、追い込みを躊躇させ、あるいは混乱させようとした。実際、仙堂はいまシェンロンと揉めているしな。ただ問題は、君にそこまでさせる動機付けだ。最初は両親を守るためかと思ったが、それだけではなかった」
 示唆するものはいくつもあった。
 ──貴石乃アリスが出るようなメーカーじゃなくなってるの。
 ──この出演は、貴石乃アリス本人の心意気ね。
 ──情報解禁前なので、口外はしないでくださいね。
 ──盗まれた物はパソコン本体だけ。あとはハードディスクが幾つか。
 ──会社の資産に関するものは置いていませんでした。そこは安堵しております。
 ──関わる全ての出演者、スタッフ、商品のきめ細かいケアと管理が一流メーカーの証だってのが三太郎さんの信条。
 浮かび上がるのが、映像素材の管理だ。特に編集前の未処理映像。
 マコと久和、灯梨が守っていたのは、最新DVDの未編集素材。つまり無修正の貴石乃アリスだ。
「情報解禁前に貴石乃アリスの出演が漏れてしまった」
 ──なかなか人材が揃わず、あらためて先代の偉大さを感じています。
 灯梨の言葉だ。質が悪く倫理観が薄いスタッフが、外部に漏らした可能性があった。そして、マコが個人事務所で編集しているという情報も。
「それをキャッチしたのが、翼と興和。日本のみならずアジア諸国で人気の女優、貴石乃アリスの無修正映像は、売買すれば億を超える価値があるんじゃないのか? 海外でも売れる。だから強引な行動に出た。ほかが手に入れるまえに、なりふり構わず。借金を返されてしまったら、借金のカタとして、無修正素材を手に入れる口実がなくなる。だから今日返せと無理難題を押しつけた」
 ノートパソコンは、無修正動画を持参しているという、追っ手に対する見せ餌だった。
「メーカーの倒産と、そのメーカーが管理していた未処理素材の流出は、業界の常。債権者が換金に使うのもね」
 マコは言った。「裏を返せば、一流メーカー専属か大手の作品にしか出演しなかった女優の裏流出はまれなの」
 それが、マコと灯梨、そして久和のこだわりだったのだ──
「君は、移籍後も自分の作品に出てくれた貴石乃アリスの心意気に応え、また責任者として彼女の大事なものを守りたかった。Tプランニングは、規模を縮小したとはいえ、一流メーカーとしてのきようを守りたかった」
 矜持、信頼、信用の優先。それが非論理的な行動の理由だ。
「この短時間でそこまでわかったんだ」
 押し黙っていたマコが、何かを決断したように息を吐いた。「素材のことは、探偵さんが完全に信用できるまで言わないつもりだったんだけど」
「いつも以上に疑り深くなったのは理解できる。だがもういいだろう。俺は貴石乃アリスの大事な部分を横取りはしない」
「あー、もう! 家はおお。競馬場の近く。そこにアリスの素材がある。信じたからね!」
 マコは、自宅にも映像編集システムを持ち、そこで貴石乃アリスの最新作を仕上げたという。「情報解禁前に会社の素材庫に戻そうかと思ったけど、とんだアクシデント」
 みなみせんぞくの交差点を右折し、環七に入った。そこで、またマコの携帯電話が振動した。今度は黙って出た。
「……そう、まだ……いま探偵さんと向かってるけど」
 マコは小声で短く言葉を交わす。
「久和専務なら話させてくれ」
 マコが手を伸ばし、遊佐の耳に携帯電話をあてがってくれた。
「遊佐です」
『盗聴器の発見と脱出は、お見事でした』
「彼女の自宅に異変があるんですね」
 マコの〝まだ〟という言葉が気になった。
『張り込まれています。想定の範囲内ですが』
 翼ファイナンスの恒川一家か、興和クレジットの一秀会か。
 遊佐は電話をつないだまま車を路肩に停め、ダッシュボードの地図を開く。マコは携帯電話をスピーカーにして、運転席と助手席の間に置いた。
「久和さん、探偵さんはもう全部見抜いてる。素材のことも言った」
 マコは声を張った。
『そうですか。泥縄は泥縄なりの結果しか残せないものですね。ですが質のいい探偵に巡り会えたのはぎようこうです』
 翼ファイナンスがマコの事務所に侵入した時点で、マコと久和は貴石乃アリスの無修正素材を入手するという彼らの意図を把握した。
『すぐにマコの自宅に素材の回収に向かったのですが、既に張り込まれていました』
 それが午前十時頃だったという。『マコと私の認識以上に、翼ファイナンスさんは計画的かつ組織的だったわけです』
「それできゆうきよ作戦考えて、久和さんと灯梨ちゃんが動いてくれたわけ」
 その作戦が、マコを追い込んできた翼と興和に対し、素材をマコ自身が持っていると伝えて耳目をマコ自身に集めることだった。
「とにかくしぶとく逃げるのが目的だったの」
 マコは言う。そのサポート役として選ばれたのが、遊佐だった。「なんとか派手に逃げて、時間を稼いで、派手に銃撃して混乱させれば、わたしんを張っている連中も、追跡に投入されるかもって思ったんだけど……」
『監視がいなくなった隙をき、社長がマコの自宅から素材を回収するのが第一案だったのですが……』
 久和が補足する。
「だが、張り込みの人員を追跡に回すほど、翼も愚かではなかった」
 遊佐の言葉に、マコは「見通し甘かったね」と頭をく。
『というわけで、今から第二案の強行突破を実行することになりました。マコが逃げたことで、彼らは血眼になるでしょう。怒りに身を震わせて押し寄せてくるでしょう。そうなる前に回収します』
 この期に及んでも、久和の声は落ち着いている。
「それでも警察はだめなのかい?」
『警視庁がマコの事務所を一度調べています。その上、自宅付近で揉め事が起きれば、痛くない腹を探られます』
 マコの自宅はひがしおお二丁目。地図を見る限り住宅密集地のようだ。たちあい川の河口近くで川幅は広いところで百メートルほど。マコが住むマンションは川沿いの道路から細い路地を一本入った奥にあるという。
『彼女のマンションに行くには、川沿いの道を行くしかないのですが、はまかわ橋と旧東海道の路上に三人ずつ、監視がいます』
 マコが家に帰るには、そのどちらかを通らなければならない。
「久和専務は、近くにいるのですか」
『いいえ、あなた方を追いかけていますよ。今のは社長からの情報です』
 灯梨が──
「希望があるとすれば、彼らには自宅に素材があるという確信がない点だ」
 遊佐が言うと、久和も『私もそう思います』と応える。
「それにね」とマコが勢い込む。「マンションは四方をほかのマンションとか家に囲まれてて、右隣さんの庭と接してて、左隣さんはリビングで、窓が大きくて、週末はだいたい夜更かし。お向かいさんにはワンコが三匹。外にドーベルマンとラブラドール。マメしばは中で飼われてる。みんなわたしとマブダチで、飼い主と友達以外には敏感」
「つまり侵入窃盗は難しいんだな」と遊佐は確認する。
「そう。だから家に帰るまでにわたしを拉致って、脅して嬲ってぐちょぐちょにして心を折って、鍵の隠し場所を吐かして、昼間セールスか保健所のふりして大手を振って訪問して、回収してくるしかないの」
 保健所?
「鍵は持っていないのか」
「いろいろ追われる立場なので……」
「それでどこにある」
「よしお君が持ってる」
「よしお君?」
「ドーベルマンの……」
 部屋の鍵は、大型犬の首輪に取り付けられているという。「心折られてもそう簡単に回収できないし、そこが一番安全だと思ったから。本当は優しい子なの、よしお君」
「一応確認ですが、強行突破は最後の手段にしましょう」
 遊佐は携帯電話に言った。
『わきまえてます。こと成せば、諸々今晩中に処理します』
 銃を使ったことを、あっさりと示唆した──
「すまないが、段取りは俺に任せてもらえますか」
 地図を見て、単純だが、作戦は決まった。

 立会川の水源はぐろもん池。流路の大半はあんきよで、地上に姿を見せるのは東大井から。川幅は十メートル程度だが、第一京浜の下を潜り、京急立会川駅を過ぎると急激に川幅が広がり、かつしま運河と名を変える。広いところで、幅百メートルほど。小型船の桟橋もあり、数百メートル先でけいひん運河に合流する。
 夜空を縁取るビルの影と光。遊佐とマコが陣取ったのは、マコのマンションの、立会川を挟んだ対岸だ。ここの川幅はおよそ五十メートル。
 背後には海岸通りと、首都高の高架。海岸通りの歩道から川へは階段状のコンクリート護岸で、かわまで降りることができる。やがて、久和と灯梨が合流した。
 黒い川面が、わずかに街明かりを反射し、揺らめいている。
「風邪引かないでくださいね」
 灯梨はマコを気遣うように言った。依頼の時とは違い、髪を上げ、黒いレザーコートを着込んでいる。
「どこが海底トンネル作戦と同じよ」
 マコが遊佐に非難がましい眼差しを向ける。
「泳げると言っただろう」
「このさっむい夜に、川を五十メートルも泳いで渡る? 普通」
「普通でないからこそ意味がある」
 渡河地点は、翼ファイナンスのヤカラどもが陣取っている旧東海道からは見えず、上陸予定地点には浜川ポンプ所があり、浜川橋からの視界を遮っている。
 上陸後は一気にマンションに戻り、素材を回収。持ち出しが無理なら、その場で処分する。そして、犬をえさせず鍵を回収するためには、マコ自身が行く必要がある。
 久和と灯梨は陽動を担当。こちらの作戦が不首尾に終われば非常手段に出る算段になっていた。その〝非常手段〟の内容は聞いていないが。灯梨のコートの胸、久和のジャケットの胸には、わずかだが不自然な膨らみがあった。恐らく、拳銃だ。
 久和を促し、マコと灯梨から少し離れる。
「ちょっと聞きたいんだが、橋の下で俺たちを囲んだ連中の一人が、キョウカンと口走ったんだが」
 小声で聞く。あのあと、少なくとも背後の連中は姿を消した。
「シェンロンのヒットマンに、そんな通り名の方がいますね。教えると書く〝教官〟です」
すごうで?」
「ええ、とても。的を狙えば外さない。たとえ逃げても、標的は必ず仕留める。そして証拠は残さない。一時姿を消していたのですが、最近また活動をはじめたようなので、彼らも上手く勘違いしてくれましたね」
 ここ一年ほど、首都圏で複数の発砲事件が起きていて、何件かは未解決だ。
「最近の反社構成員が撃たれている事件?」
「そうですね。青浜会も仙堂も穏やかじゃないでしょうね」
 佐嶋組も、という言葉は口にしないでおいた。「相模原の案件で、織原さんに協力させて頂きました。未解決ですが」
「じゃあ、張っている連中も、教官が出現したという情報を持っている可能性は」
「十分にあるでしょうね」
「だったら、連中も道具を持っているかもしれない」
 久和から一瞬、表情が消えた。そして──
「あなたにとって、そのくらい修羅場のうちに入らないのでは?」
「買い被りだ」
「そうでしょうか。人を撃ったこともあると、私は推測しているのですが」
 極道のかおかい見たような気がした。
「ただの選挙監視団ですよ。一度ならず者に襲われただけです。一緒にいたオランダ軍が対処してくれましたよ」
「そうでしたか」
 久和に笑顔が戻ったが、仮面だ。
 ともあれ、今は貴石乃アリスのマル秘ゾーンを守ることが先決だ。
「さあ、時間がないですよ、監督。いい加減カメラも置いてください」
 久和が手を叩いて、マコを促すとコンビニの袋からゴミ用のポリ袋を取り出した。「ここに服を入れてください」
「久和の前で裸になれっての?」
「いつも裸じゃないですか」
「確かにそうだけど」
 不満を言いつつも、カメラを置き、テキパキと服を脱ぎ始めた。
「さ、遊佐さんも」
 灯梨がポリ袋を差し出してくる。「靴とタオルも忘れずに」
 見れば、マコはもう下着姿になり、ポリ袋に衣服を入れていた。灯梨も現場に出ているなら、男の裸は見慣れているだろう。
 遊佐もボクサーブリーフ一枚になり、服をポリ袋に入れ口を結んだ。
「マジでこんな夜に泳ぐの」
 マコはポリ袋を胸に抱き、足踏みをしていた。
「アリスのためです。しっかり!」
「我々は配置につきます。準備ができたら連絡します。さ、社長行きましょうか」
 灯梨と久和はそれぞれ声を掛け、段差を登ってゆく。準備ができてから脱いでもよかったのでは、と遊佐は思ったが、ラジオ体操を始めたマコの前で口にするのはやめておいた。
 遊佐もとりあえず体が冷えないよう、体操を始める。
「宝田社長も、一日中ヤクザを監視とはいい度胸している」
 体操の最中、マコに言う。そもそもどうやって見つける、見分ける。そして、この期に及んで怖がる素振りもない。
「蛇の道は蛇。誰のもとで育ったと思ってる、灯梨ちゃん」
 宝田三太郎だ。「ああ見えて射撃は久和より上手いし……あ、ハワイでね」
 そして、思い出す──事務所前で初めて声をかけられたとき、直前まで気配に気づかなかった。可憐で一所懸命な社長とは別の一面も持っているようだ。
 十五分ほど体操をしていると、マコのポリ袋の携帯電話が一度だけ鳴った。
「よし……覚悟を決めた」
 マコは立ちあがると、ポリ袋を頭に載せ、そっと足から川へと入った。
「冷たくない冷たくない冷たくない……」
「波は立てるなよ。そっと、迅速に泳ぎ、速やかに上陸する」
 言った手前、遊佐は速やかに水に入り、声を張り上げたくなる水温に耐えつつ、ポリ袋を頭に載せ、泳ぎ始めた。かすかな水音で、マコがついてきていることがわかった。
 中間地点付近で、後悔の念が増大し、心が折れかけたが、マコが「帰ったら速攻で温かいシャワー」と口にし、持ちこたえた。
 何事もなく運河を渡り終え、桟橋の船陰に隠れるとマコはいきなり下着を脱いだ。
「何してる」
「濡れたブラとパンツの上に服着たくないだけ」
 確かに──遊佐もマコに倣い、下着を脱ぐと素早くタオルで体を拭き、服を着た。
「時間勝負だ。二人を信じて一気に通りを渡ろうか」
「三分以内にシャワー!」
 浜川砲台跡の公園を抜け、通りを渡るまで、十七秒。そのタイミングで左右から籠もった銃声らしき音が聞こえたような気がしたが、構わず住宅と住宅の間に入り込んだ。
 迷路のような隙間を抜け、マンションの裏手に出たのはさらに三十二秒後。よしお君の頭をなでつつ、鍵を手に入れ、マンションのエントランスに滑り込み、三階のマコの部屋までさらにさらに一分三十二秒。
 ダイニングの作業台に据え付けられた引き出しの鍵を開け、ハードディスク・ドライブを取りだし、震える手で分解し、かなづち(撮影用)で中のディスクを完膚無きまでに破壊するまで三分五秒。
 その後マコは三十秒で、無事データを破壊したと久和にメールし、わずか三秒で全裸となり、バスルームに駆け込……もうとして立ち止まった。
「寒くて我慢できないんなら、一緒に」

 実は泳いでいる時から少しおかしかった。シャワーの最中に、体調の変化をはっきり感じた。帰ろうとした時にはもう、顔面全体が熱く、ひどい頭痛に襲われていた。
 熱を測ったら、三十九度超。そのままマコのベッドで寝た。
 ぼんやりとだが、灯梨と久和の顔を見たのは覚えていた。
 翌日、時間は定かではないが、直海が迎えに来てくれたのは、なんとなくわかった。
 ──まだ熱下がってないし、連れて行くのは無理ですね。
 そう話す、マコの声も。ただ、遊佐の意識は夢と現実のはざゆうよくしていた。テーブルを挟んで、マコと直海が話している声、姿はどれが現実で、どれが幻覚なのか判然としなかった。
 ──警察を辞めたのは、ベアチ共和国からの帰国後……。
 ──へえ、国連の選挙監視団ですか。見かけによらず国際派なんだ。
 耳に入る会話。その会話が夢と連動する……。
 ──その時、武装集団の襲撃に……。
 ──なんか、ニュースになってたね……。
 ──一緒にいた外務省の職員は重傷……。
 眼前に広大な平原が広がった。アフリカの小国に赴任していた頃の記憶だとは自覚していたが、奇妙な現実感も伴っていた。銃弾、悲鳴、恐怖、そして使命感も……。
 ──なんかイメージわいてきた。女兵士ものを撮りたいな……。
 ──無事に帰ってきて、ほんと抱きついて大泣きしちゃった。もう別れてたのに。
 ──ふむ、その夜は?
 ──もちろん。
 あの時の直海はすごかった……。
 ──ところで、なんで彼は下着をつけていないの?
 ──二人で桟橋に棄ててきたから……。
 ──なんのために?
 空気が変わった……。
 ──誤解しないでほしいのは絶望的な逃亡劇の中、極寒の運河を渡り、任務遂行後、ここで一緒にシャワーを浴びましたが、二人とも体が冷え冷えの非常事態だったので、やむなく……。
 沈黙。
 ──怒ってる? もう別れているんですよね。何をしても自由ですよね。
 何をされるのだ……。
 バーゴン・マコにはしばらく悩まされるかもしれない──もうろうとした意識の中、遊佐ははっきりと感じた。

第1話  了

※本作は、2020年3月に角川文庫より刊行された『龍探──特命探偵事務所 ドラゴン・リサーチ』に収録されています。


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