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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.18

彼女を、妊娠していた技能実習生を、死に追いやったのは誰なのか? 直木賞作家・真藤順丈による現代ミステリ!「ビヘイビア」#5-2

真藤順丈「ビヘイビア」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

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「マスカラム・ジュファー! ヨーロッパの宝石みたいな響きだね。アジア人らしくない名前じゃないか」
「ジュファーはインドネシア生まれだけど、中米の血が流れてるんだよ。グアテマラとインドネシアのダブル」
「そういや国際フォーラムのときにもラテンっぽいのが一人いたな」
「そう、それがマスカラム」
「たしか麻布のあたりにグアテマラのコミュニティができてるんじゃなかったかな。そのあたりで降ろした陽気な客が、ぼくらの街だよヘイヘイみたいなことを抜かしてたから、あんたらだけの街ではないけどねと言ってやったよ」
「そうか、ジュファーはインドネシア国籍だけど、もしかしたら父親のほうの、在日グアテマラ人のコミュニティにがあって、そっちに頼ることもあるかも」
 FacebookやInstagramなどに当たってみて確証を得られた。たしかに在日グアテマラ人のNPOがこの国での生活支援や地域交流を担っている。グアテマラからは技能実習生を受け入れていないので、留学を経た定住者や難民が多いようだ。彼らの大半がNPOの周旋によって、グアテマラ料理店や金属加工工場、自動車部品や建築用金物の工場で働いているとのことだった。
「お、このイベントにもグアテマラ出てんじゃん。ジュファーちゃんが露店の店番やってたりするかもよ」
 グアテマラのコミュニティは文化交流のブースを設けて、スペイン語と日本語のちゃんぽんでJ-POPをうたったりしていた。ブースの奥ではグアテマラ人たちが宴会をしていて、音楽フェスの舞台裏のように盛り上がっている。ジョンノチさんって馬鹿だね、いくら盛況でもそんなに簡単に鉢合わせるわけないでしょとガフは思っていたが、インドネシアとグアテマラのダブルで、と訊いてまわってみると脈があった。見るかぎりその場にはいなかったが、隠し事のできなそうなグアテマラ人の多くがなにかを知っていそうなとぼけ顔になった。「あやしい者じゃない、ガフール・ジュノルベクが会いにきたって伝えてほしい」と告げると、ちょっと待たされたのちに麻布の住所が記されたメモを渡された。
 すぐに車で向かった。地下室に下りていくとしゆうの入った織物やすいの置き物、革細工や羽根飾りなどが日本の茶器や花と一緒に並んでいる。そこで販売用のミサンガを作っていたマスカラム・ジュファーが、変わらない面差しをガフに向けていた。
「驚いたよ、あなたの名前を電話で聞いて。どうしてここに」
「無事でよかった、ジエイ、ずっとみんなを捜してたんだよ」
「他のみんなは、いまどこでなにしてるの」
「SNSは見てないの」
「怖くて見てない」
「ジャミルディンは保護されてる。ラムは……」
 美しくて野性味のあふれる褐色の肌、エジプトの女王のように目をアイライナーでふちっていて、デニムのキュロットからは伸びやかな二本の脚が出ていた。荒々しさと傷つきやすさが混ざった顔を濃い化粧で彩ったその顔が、ラム・ワンディの悲劇を耳にするなり悲痛にゆがんでいった。
「ひどい、あたしはもういやだ」マスカラムは憤りに燃えるような、それでいて恐怖にくずおれそうな繊細な瞳を震わせた。「だけどグアテマラは暴力に誘拐に麻薬がうじゃうじゃで、治安悪いよー。パパの家族いるけどギャングもいっぱいで帰れない。だけどインドネシアには借金あるし、ガーデン戻るもいや」
「ジャミルディンとだったら一緒に闘えるよ。全労議ユニオンはぼくやきみの話も聞きたがってる。再就職したいとしたら紹介できる人もいるよ」
「ガフはやっぱり、シトラのことで逃げたんだね。そうじゃないかなーって思ってた」
 城之内にも彼女を紹介した。J、マス、マスカラムと呼ばれていて、ガーデンから逃げたなかでは二十三歳といちばん若かった。そして彼女は六人のなかでただひとり、シトラ・ヴァルヴァノワとおなじ職場で働いていた。
「だから、ぼくの知らないシトラも知っている、そうだよね」
「それはそうでしょ、女同士だし。それに……」
 マスカラムはガフとの再会を喜び、他の実習生を捜していた理由を知って、これまで誰にも話さなかったことも話してくれた。
「あたしはシトラに救われたんだから」

 マスカラムもシトラも、そこではピンク色のポロシャツを着ていた。
 髪をシュシュで結わいて、めったに化粧もしないで。
 毎日毎日、ぴちぴちのトレーニングパンツを穿いて働いていた。
 訪問系サービスを除いた生活介護や短期療養の施設にも技能実習生を受け入れることが可能になって、総合地域密着型をうたう小田原アウトレット・ガーデンにも指定通所介護やデイサービス、リハビリセンターが設置されていた。
 マスカラムはひょろ長い身体からだをびくびくさせて、おどおどしてばかりだった。デイサービスの仕事はとてもきつかった。固形の食事を危ぶまれるおじいちゃんおばあちゃんの歯のない口に、えん防止のためにミキサーにかけた緑色や黄土色のペースト状のものを食べさせる。慣れない日本語で話しかけながら食事介助をして、胸をわしづかみにしたり、抱きついて股間に手をこすりつけたりしてくるセクハラじじいのためにシャワーチェアや転倒防止マットを用意して、入浴介助をした。最初のころは盛大に悲鳴を上げていたけれど、いちいち反応していたらここの仕事はできないし、自分が疲れるだけとわかって、戸惑いながらも騒がずに手をふりほどくようにしていった。
 統括本部は実習生に厳しかった。インドネシアで聞いてきた職場や住居の条件とはまったく違っていた。時間外労働、日本語の間違いへの罰金、寮には家賃を払わされて、パスポートや預金通帳を預けなくてはならず、通帳や印鑑やキャッシュカードは申請しないと自由に使えない。休憩時間外にトイレに行っても罰金、恋愛や妊娠をすればばくだいな違約金で自分が苦しめられることになった。
 お盆や正月の休みもない。早番、日勤、遅番、自費負担のお泊まりサービスに申しこみがあったときは夜勤、というシフトの合間を縫って各自で休息を取らなくてはならなかったが、寮に戻ってすこし眠るだけですぐに次のシフトがめぐってくる。来る日も来る日も配膳カートを押して、車椅子を押して、ズボンとリハビリパンツを下ろしてはいせつ介助だってこなさなければならなかった。
 便座まで間に合わずに、おじいちゃんやおばあちゃんが漏らしてしまえば、ビニールの使い捨て手袋をはめて陰部や肛門にこびりついた便をせいしきした。「なにかして欲しいことないですかー」と訊いてまわって、あまり用事を申しつけられなくても、他にも食器の片づけや内服薬の分与、体温や血圧を計るバイタルチェック、カラオケやマージヤン室の掃除、レクリエーションの用意と仕事は目白押しだった。他のデイサービスで働く技能実習生とSNSで交信したときには、あなたのセンターでやっていることは要介護5の入所者が集まった特養老人ホームなみだと憐れまれた。
 制度のことはよくわからなかったが、介護保険法の改定で特養ホームの入居条件が原則として要介護3以上に引き上げられたために、実際にはそれなりに要介護度の高い高齢者でもグループホームや無認可施設、通いのデイサービスに流れてくる。慢性的な人手不足に苦しんでいる介護業界にとって、技能実習生たちは救いの神となるはずだったが、どんなに欠勤せずに働いても、旧ホームヘルパー2級や日本語能力試験のN3を取得していても、介護主任はおろかフロアリーダーにすらなれなかった。
「大したことないって、あたしなんておむつの交換で、おしっこシャワー浴びたことあるよ。くそまじめにやってたら身がたないんだから」
 へいきへいき、大したことないって──シトラには泣き言をよく笑い飛ばされた。重労働と低賃金のせいで日本人はどんどん離職していったが、シトラはずっといた。つねに後輩思いで面倒見がいいというわけではなかったけれど、このセンターで働きつづけるためには老人たちに思い入れるだけでは足りない、夢を持って頑張るだけでも足りない、他人やよその国に救われることを期待するのではなく、自分の世界をカタツムリの殻のように背負って生きるのが大事だということを教わった。
 だれよりも仕事ができて、腕なんてすごく細いのに車椅子からトイレ、バスタブから車椅子への移乗をてきぱきとこなしてしまう。その間、フロアリーダーや主任の目がなければマスカラムと無駄話をする心のゆとりもあった。
 好きな音楽について。他の実習生たちのゴシップ。
 ウズベキスタンやインドネシア、グアテマラの文化や風習について。
 睡眠欲も食欲も人一倍強くて、隙があったら寝る。よく食べる。それから性欲の存在も隠しだてしなかった。
 統括本部へのちょっとれぼれしちゃうような悪口芸。あのオヤジたちは犬のくそ。役立たずのポケモン。廃墟に落ちた使用済みコンドームの精子溜まり。
 シトラも自分を気に入っているとわかるまでに、マスカラムは半年以上もかかった。食事するときはさしむかいで座って、読んでいる雑誌や寮でのちょっとした出来事について、恋愛やきれいな服を安く買える店について、常連さんにもらったおこめ券について、昨夜の電話のおしゃべりのつづきも話した。おたがいに動けなくなったあかつきには、万難を排してかならずおたがいのデイケアをする約束もとりつけた。シトラが風邪をこじらせて、万難を排して看病に通ったときには「あんたはくそまじめなんだから。あんな約束、真に受けなくていいのに」と三十九度二分の真っ赤な顔をして笑った。
 マスカラムはその親しみやすさをたしかにりどころにしていた。マスカラムにとって重要なのは、女子校の休み時間のようにシトラと顔を合わせること、そこで交わす言葉だった。

#5-3へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2019年12月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2019年12月号


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