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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.22

【連載第22回】東田直樹の絆創膏日記「亀の鳴き声」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第21回】「未来のために、できること」

 店員が客に喜んでもらえるような接客が出来れば、高くても商品を購入してもらえたり、余分な物まで買ってもらえたりする。対応が悪いと、買ってもらえないばかりか、怒られることもある。接客とは、客に合わせた応対をすることだが、それが難しい。客は、ひとりひとり、どうしてもらいたいかということが、少しずつ違うからである。もし、マニュアル通りの対応だけをみんなが求めているなら、接客によって売り上げが大きく変わることはないだろう。
 僕自身も、マニュアル通りに接客されることは、それほど好きではない。店員さんが次に何を言うかまでわかってしまい、人間味をあまり感じないせいだ。それなのに店員さんの言葉がマニュアルから外れると、なぜマニュアル通りにしてくれないのか逆に気になる。
 どの店にも、接客の理想の姿みたいなものは、あるに違いない。けれど、それだけやっていても、十分な接客とは言えないのだ。優秀な店員は、客が何を求めているのかをよく把握しているのだと思う。
 接客のマニュアルをつくることは、客のためというより、販売側の都合ではないかと考えることがある。販売員への指導には、一番効率的だからだ。
 ファストフード店なら、それでもいいと思う。
 しかし、人間同士の関わりというのは、マニュアルで解決することは出来ない。なぜなら、こちらの言葉に対し相手がどう思っているのかがわからないからだ。
 相手を大切に思っている気持ちは、マニュアルでは伝え切れない。

 桜の花が散り始めた。もう半分以上葉が茂っている木もある。
 何だか寂しい。桜が散り、緑の葉っぱだけになると、僕が桜の木だけを意識することはあまりなくなる。他の木と同じように、桜の木も樹木のひとつとしてしか目に入らなくなるからだ。来年、桜に蕾がつくまで、僕が桜を気にかけることはないだろう。
 桜だけではない。その季節にならなければ、思い出さない花がある。その花を見た瞬間、思い出せる記憶がある。
 花は人生にとって、風景の一部というより、もっと人に近い存在ではないだろうか。絵画やイラストでも、時々、人物の後ろに花が描かれていることがある。花は、人と意思の疎通は出来ないと考えられているのに、その時々の状況や思いを、人の代わりに代弁してくれているかのように表現されているのだ。
 花は、与えられた場所で一生を終える。その姿は、潔く立派である。そんな意思の強さに人々は惹かれるのではないか。
 花の思いは、花にしかわからない。もしかしたら人の生き様を、花は笑っているかもしれない。
 そうだ、人が花に寄り添っているのではない、人が花に寄り添われているのだ。
 花の美しさに人々は酔う。記憶の中でも花は色褪せない。
 美しい花と共に、蘇る思い出の数々。記憶の中に閉じ込めた花たちは、目の前で咲く花と一緒に、もう一度生き返る。

 小学校でも新学期が始まる。
 初めてのことが苦手な僕にとって、新学期は、確かに大変なことが多かったが、嬉しかったこともある。
 そのひとつは、学年が上がると新品の教科書をもらえたことだ。
 新しい教科書の文字は、僕をわくわくさせた。そこに何が書いてあるのか、内容が気になるというより、誰もまだ読んでいない文章を目にすることが楽しくて仕方なかったのだ。言葉が僕の目に映るたび、ただの記号でしかなかった文字に、命が吹き込まれていくような感じがした。
 言葉に意味を与えるのは人間である。人間が文字を読むことで、言葉が生きて来る。それは同時にさっきまで、まっさらだと思っていた文字が、自分の知識が増えるという見返りに、使い古された文字に変わってしまう瞬間でもある。
 新しい教科書は、進級したことに対するご褒美だ。
 真新しい教科書に名前を書き、ランドセルに仕舞い込む。ランドセルの中の教科書は、お行儀よく並んでくれる。
 去年より少し小さくなったランドセルと少し重たくなった教科書を背負い、僕は走り出す。
 今日の僕は、昨日までの僕と、どのくらい違っているのだろう。道に映った影に目を落とし、僕は考えた。

 動物園での僕のお気に入りは亀だ。亀の周りだけ時間が動いていないかのように、亀は、ゆっくりとゆっくりと歩く。少し歩いては止まり、止まっては少し歩く。僕がよそ見をしていても、亀を見失うことはない。
 僕は、自分がいつも時間に追われているような気がしていたせいか、のんびりと生きているように見える亀に憧れていた。
 亀を呼んでも返事はない。亀には声帯などの発声器官が無く、鳴くことはないのである。けれど、俳句では「亀鳴く」という春の季語がある。うぐいす同様、亀が鳴く様子も春という季節を指しているのだ。うぐいすと亀、この対照的な生き物どちらをも、春の使者として選んだ歌人に感服する。
「亀鳴く」と言われると、みんなは何を想像するだろう。
 まずは、いつ鳴くのか、どんな声で鳴くのか、その鳴き声を聞いてみたいと思うに違いない。けれど実際は、亀が鳴かないことを知ると「そうだよね」と妙に納得する。そして「だって、亀だもの」と笑い出す。
 僕は、それが何だか歯がゆい。
「亀だって鳴くよ、鳴くんだよ」と言い張ってみたくなる。亀の名誉を守るために。
 最初に「亀鳴く」と俳句に読んだ歌人は、本当に亀の鳴き声を聞いたのだと思う。
「クゥー、クゥー」
 亀の鳴き声は、そよ吹く風の合間を縫い、歌人の耳をかすめただろう。


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