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連載

赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」 vol.3

プレミアの会場で見かけた女性が気になった有里は……。 赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」#1-3

赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」

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 館内が明るくなると、少し間を置いて拍手が湧き起った。
 有里も精一杯拍手した。──この映画の製作に多少かかわっていたので、必ずしも冷静に見ていられなかったかもしれないが、それでも感動して、ラストシーンでは涙が出た。
 決して悲劇ではない。むしろ年老いたヒロインの、さらにち足りた未来を思わせる結末なのだが、涙がこみ上げてくる。
 それはやはり沢柳布子の持つ力、存在そのもののすばらしさだった。
「沢柳さん、立って」
 と、幸代が促すと、
「そうね」
 と、布子は少し照れくさそうに、席から立ち上った。
 場内の拍手は一段と盛り上った。
「あなたも」
 と、布子が寺山の肩をたたいて、一緒に立たせた。
 プレミアは大盛況の内に終った。
 一般客より先に布子たちとロビーへ出た有里は、文乃がいるのを見て、
「お母さん、どうしてたの?」
「ちゃんと見たわよ。ただ、もう暗くなってたから、端の方の空いてる席に座った」
「良かった。──さっきの女の子、どうした?」
「看護師さんの判断で、救急車を呼んだの。近くの病院へ運んだわ」
「そう。大丈夫かな」
「そうひどいけがじゃないようだったけど、一応、骨にひびが入ってないかとか、頭を打ったみたいだから、検査を頼むと言ってたわよ」
 と、文乃は言って、「ああ、看護師さん、あそこに」
 ロビーのソファに座っていた看護師が、立ってやって来ると、
「沢柳さん、血圧を測らせて下さい」
「まあ、ここで? 人目があるわ。事務所へ行きましょ」
「ご一緒します」
 と、幸代が言った。「有里、文乃と一緒に打上げに行って。私も後で」
「分った」
 と、有里は言って、「加賀君も、一緒に行こうよ」
「僕はスタッフだよ」
「いいじゃない。将来の監督だよ」
 加賀が笑って、
「君の方が、監督に向いてると思うけどな」
 と言った。
「それ、どういう意味?」
 そこへ、場内の一般客がドッと出て来て、二人の話はそれ以上進まなかった。
 そして──布子の血圧は、やや高めだったものの、看護師の許可も出て、打上げのパーティにも布子は出席することになった。
 しかし、寺山が気をつかって、初めのスピーチを布子に頼み、その後共演した役者たちから花束を受け取ったところで、会場から退出する段取りにした。
「私がお送りするから」
 と、幸代が言った。「有里はパーティでゆっくりしてらっしゃい」
「せっかくドレス作ったものね」
 と、有里は肯いた。「でも、あの女の子、大丈夫だったのかな……」
「何なら看護師さんに訊いて、後で病院に寄るわよ」
 と、幸代は言って、人に囲まれている布子の方へと人をかき分けて行った。
 ──有里は、加賀と二人で、パーティの料理を食べまくったが、
「やっぱり気になる」
「何が?」
「あの倒れた女の子。女の子っていっても、私よりは年上かな」
「じゃ、抜け出して、病院に行くか? 僕もお祖母さんのプレミアで、ひどいけが人が出たんじゃいやだからね」
「それじゃ……」
 有里は、会場の隅でぼんやりしていた文乃に、「お母さん!」
 と、声をかけた。
「何? まさか二人でどこかに泊るとか言うんじゃないわよね」
「違うよ!」
 有里が事情を話すと、
「ああ、あの子ね。病院なら分るわよ。看護師さんが訊いてたから」
「じゃ、一緒に行ってくれる?」
「いいわよ。こういう人ごみって、頭が痛くなるの」
 と、文乃はホッとしている様子だった。
 三人はタクシーで病院に向った。
 途中、有里が幸代のケータイにかけると、幸代はもうすぐ病院に着くところだと分った。
「夜間受付の所にいるわ」
 と、幸代は言った。
 何しろ顔の広い幸代なので、その病院の院長とも知り合いということだった。
「──お祖母ちゃん」
 病院に着くと、幸代が廊下の長椅子にかけていた。
「具合、どう?」
「これから訊きに行くのよ。──でも、みんなお見舞のスタイルじゃないわね」
「本当だ」
 ナースステーションに行くと、当直の医師を呼んでくれることになったが、
「倒れた拍子に、胸を打っているようで、肋骨にひびが入っているかもしれません。でも大したことは……」
 という看護師の話に、みんなあんした。
「──お医者さんの話を聞いてから、布子さんに連絡するわ」
 と、幸代は言った。「気にしてらしたからね」
「やっぱり布子さんだね」
 と、有里は言った。「そんなことにも、しっかり気が付いてる」
 中年の医師がやって来ると、
「レントゲンの結果は問題ありません」
 と言った。「倒れたときの打ち身やすり傷は、二、三日で良くなるでしょうし」
「良かったわ。入院の費用などは私どもの方で。──あの子のご家族には連絡が行ってるのでしょうか」
「いや、訊いても言わないんです。そこがちょっと気になってるんですが」
「といいますと?」
 と、幸代が訊く。
「睡眠薬でものんだのか、ぼんやりしてるんです。それもあって、転倒したのかもしれません」
「それは……何か悪い薬とか……」
「そうじゃないと思いますよ。まあ、入眠剤をアルコールと一緒にのんだのかな、とも……。そういうことになると、のまされた可能性もありますからね」
 と、医師は言った。「ともかく、今夜はやすませて、明日、話をよく聞いてみますよ」
「よろしくお願いします」
 一応意識はあるとのことだったので、有里たちは、その少女の病室へ行ってみた。
「──どう、具合は?」
 と、幸代が訊くと、少女は少しぼんやりと見て、
「私……どうしたんでしょう」
 と言った。
「倒れたのよ、人ごみで」
 幸代が状況を説明すると、
「プレミア……。映画の、ですか」
「ええ。あなたは見に行ってたわけじゃなかったの?」
「知りませんでした……。歩いてたら急に人にワッと押されて……。気が付いたら倒れてて……」
「じゃ、人の流れに巻き込まれたのね。災難だったわね」
 と、文乃が言った。
「私……バッグ……どうしたんだろ」
 と、少女は初めて気付いたように、「あのとき持ってたバッグ……」
「気が付かなかったわね。あの会場の人に訊いてみましょう」
 と、文乃は言った。
「あなた、名前は?」
 と、幸代が訊くと、少女はなぜか目を伏せて、
「私……矢ノ内香といいます」
 と答えた。
「矢ノ内さんね」
 幸代が、有里の持っていた手帳に文字を書いて、「この字でいい? お宅の方に連絡しようと思うけど、電話番号とか……」
「いいんです」
 と、矢ノ内香は、少しはっきりした口調で言った。「家族はいません」
「いない? おうちは──」
「家もありません。私……地方から出て来たんです。入院したりして、お金、持ってないんですけど」
「いいのよ、それは。心配しないで」
「でも……」
「大丈夫。ともかく今夜は眠って。ね、明日また来ますからね」
 幸代がなだめて、やっと少女は落ちついた様子で目を閉じた。
「──何だか、わけのありそうな子ね」
 と、廊下へ出て、幸代が言った。
「また変なことに係り合わないでよ」
 と、文乃が顔をしかめた。
「そうだなあ」
 と、加賀が有里を見て、「あの映画の撮影の後にも、とんでもないことになってたそうじゃないか」
「終ったことは考えないの」
 と、有里は言い返した。「私には、この心強いボディガードがついてるもん」
 有里が加賀の腕に自分の腕を絡めて、ぐいと引張った。
「加賀君」
 と、文乃が言った。「有里と付合うなら、防弾チョッキを買った方がいいわよ」
 ──ともかく、「レッドカーペットの夜」は、さほど危険なこともなく、終ったのである。

▶#1-4へつづく
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