麻薬、暴力、資本主義、アステカ神話などいくつもの顔をもち、読み手ごとに異なる箇所で魅了され、幻惑される小説『テスカトリポカ』。本作の多彩な魅力を、世界屈指の読み巧者たちが多面的に語る書評プロジェクト、第3弾!
クライムノベルと世界文学の融合
(評者:大森望/書評家、翻訳家)
とんでもない怪物が現れた。
大藪春彦賞と吉川英治文学新人賞の二冠に輝いた『Ank : a mirroring ape』から3年半。佐藤究が新たに野に放つ『テスカトリポカ』は、驚くべき異形の小説にして、まさに小説のモンスター。
犯罪小説と言えば犯罪小説だが、こんな犯罪小説はいままで見たことがない。臓器密売ビジネスの地獄で、現代ノワールとアステカの神が出会う。暴力と神話の壮絶すぎるミックスに度肝を抜かれる。
題名のテスカトリポカは、アステカ神話に出てくる神様の名前。ナワトル語で〈煙を吐く鏡〉の意味がある。鏡像認知を手がかりにパニックサスペンスと人類進化SFを合体させた前作に対し、今回は、古代文明の「鏡」が資本主義の闇を映し出すことになる。
まず登場するのは、2002年3月に川崎市川崎区で誕生した土方コシモ。父親は暴力団幹部の日本人。母親は父親の経営するクラブで働くメキシコ人。
悪の主役は、メキシコ北東部を支配する悪逆非道の麻薬組織〈ロス・カサソラス〉を仕切る四兄弟のひとり、バルミロ・カサソラ。一族は、メキシコ湾に面する港湾都市の出身。
今から500年前、この地に降り立ったエルナン・コルテスは、そこに築いた植民都市を拠点に、アステカ文明を征服した。だが、アステカの偉大な神々は滅んでいない。四兄弟がまだ幼いころ、彼らの祖母リベルタはくりかえしそう語った。いわく、
「白人の文明に取りこまれたふりをして、アステカの神々は奴らのはらわたを食いちぎり、首を切り落として回っているんだよ……海を越えて、アステカの偉大な神々のもたらす災いが、どこまでも広がっていくんだよ」
リベルタの本当の名前は〝鏡の雨〟を意味する〈テスカキアウィトル〉。先祖は、恐るべき神、テスカトリポカに仕えたアステカの神官だったという。テスカトリポカは、よく知られたケツァルコアトルのライバル的な存在で、さまざまな異名を持つ。〈
人間の心臓を神々に捧げるアステカの儀式について見てきたように生々しく語るリベルタの言葉は四兄弟にとり憑き、後年、彼らはこう呼ばれて恐れられることになる。すなわち、
〈敵の幹部を捕らえて、心臓をえぐりだし、アステカの神に捧げる狂信者ども〉
若者たちは彼らに憧れてアステカを象徴する入れ墨を肌に刻み、カトリックを見限ってアステカの神を崇める者も出た。
だが、〈ロス・カサソラス〉は、対立する組織〈ドゴ・カルテル〉との血で血を洗う麻薬戦争の挙げ句、大型ドローンによる空爆を受けて壊滅。ただひとり、からくも落ち延びたバルミロは、執拗な追跡を逃れてメキシコを離れ、インドネシアのジャカルタに潜伏。移動式屋台を購入し、コブラの串焼きを売りながら再起のチャンスをうかがう。バルミロがそこで知り合った相手が、日本人の臓器密売コーディネーター、末永充嗣だった。
末永は、数々の難手術を成功させた腕利きの心臓血管外科医だったが、轢き逃げ事故を起こして国外逃亡。いつか最高の環境でふたたびメスを握る日を夢見ながら、専門知識を生かして臓器密売に関わっている。その末永が、バルミロに新たなビジネスを持ちかける。いわく、
「心臓こそが人体のダイアモンドなんだよ」
中でも、アジアでもっとも大気汚染度の低い国、日本で育った心臓には、顧客である中国人富裕層にとって大きな付加価値がある……。
かくしてバルミロは末永とともに日本に渡り、川崎で新たなビジネスを立ち上げる。
一方、ある事件によって天涯孤独の身となった少年コシモは、17歳で更生保護施設を出て、川崎の工房でナイフづくりの修業をはじめる。その作業に天性の才能を発揮するコシモだが、納品に行った先でバルミロに見込まれ、彼の
ナワトル語とスペイン語のルビが入り乱れる文章は呪術的・麻薬的な中毒性があり、何度もリフレインされる〈
すさまじい筆力で血と暴力を正面から描き切った悪の神話。クライムノベルと世界文学の融合と呼んでも、あながち誉めすぎではないだろう。瞠目の衝撃作。
▼佐藤 究『テスカトリポカ』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322003000419/