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(評者:片丘フミ)
みなさんは「筆耕士」という仕事を知っていますか?
招待状の宛名や案内の看板などを毛筆で書くお仕事だそうです。確かに、パーティーの招待状に毛筆で自分の名前がきれいに書かれていて、見惚れたことがあったような……。でも、そうした「文字を書くこと」を専門に請け負っている仕事があることまでは、思いが至りませんでした。めっきり手書きの少なくなった現代では、いかにもその道を究めた「職人」が就くお仕事のように感じます。
本作『かくしごと承ります。~筆耕士・相原文緒と六つの秘密~』は、駆け出しの「筆耕士」である主人公が「文字」を通じて人と出会い、仕事に、恋に、大きく成長していく物語です。相原文緒は書道学科を卒業して四年目の二十六歳。現在は、大学時代の教員であった都築のもとで、筆耕士として一人前になるべく、日々奮闘しています。舞台は静岡県三島市。富士山からの水流が湧き出る「水の都」の美しさが、文緒の初々しさや純情さと共鳴して、読んでいて清々しい気持ちにさせられます。
文緒のもとに舞い込んでくる依頼は様々です。お菓子屋さんのお品書き、生まれてくる子供の命名書、字が下手なご当地アイドルのサインの代筆、招待状の宛名書き、告発状の代筆……。きれいな文字で書いて欲しいというシンプルな要望だけではなく、自分の筆跡を残したくないという理由からも文緒は仕事を引き受けます。そして、文字が単なる記号ではなく、意味を持っている以上、代筆をする過程で依頼人の「想い」にも触れることになるのです。時として、代理で書いて欲しいという想いは、秘密を抱えた「かくしごと」でもあります。
手書きの文字がまとっている雰囲気や筆圧、癖。そんなアナログな情報から、文緒は依頼人の文字に込めた想いを汲み取り、それまでも表現しようとします。その過程で、依頼人の置かれた状況に共感し、居ても立っても居られず、行動に移すこともしばしば。
第四章の「青ひげ氏、五度めの招待状」では、高校時代の親友「夏野」から結婚式の招待状の宛名書きを頼まれます。親友の祝い事とあって喜んで引き受けた文緒でしたが、結婚相手の名前を聞いて動揺を隠せません。神定主税。以前に二回も、結婚式の招待状の代筆をしたことのある相手だったのです。一方で夏野も何かを隠しているようにも感じます。心配になった文緒は意を決して、夏野にその不吉な結婚の真相を確かめるべく、再会を果たしにいきます。
また、第五章、第六章では、文緒が密かに想いを寄せ続ける都築との切なくも麗しい関係性のエピソードが描かれます。先生と学生、既婚者と独身者、年の差……。二人を分かつ壁に、文緒の想いは遮られ続けてきました。近くにいるのに伝えられない想いが、消せない恋心が、二人のピンチを機に抑えきれないくらい溢れてきます。筆耕士の仕事を通じて、人間として成長した文緒は、一歩踏み出し、自分自身の想いを形にすることを決意します。
文字は、人に何かを伝えるためにあるものだ。
遠くに住む人へ、未来の自分へ、子孫へ。
記憶にとどめておくために、正確に理解してもらうために、面と向かっては言えないことを伝えるために。
(p.276より)
日常でまとまった文章を手で書くことはどれほどあるでしょうか。PCで文字を打ったり、スマホで書き込んだりする機会の方が圧倒的に多い時代。でも、手書きの価値は失われていっているわけではありません。むしろ、特別な意味が付与されて、さらに魅力が深まっていると感じるのは私だけではないはず。「私が書いた」という痕跡がくっきりと残るその文字を大切に書きたい。そして、その意味だけでなく、想いを嚙みしめて受け取りたい。文字という毎日目にするその記号が、想いを宿して訴えかけてくる。文緒の手書きの文字も見てみたいなぁ、と思わずにはいられません。
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