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(評者:村上貴史 / 書評家)
船橋署の取調室で米良恭三警部補は、住宅街の路上で起きた撲殺事件の容疑者と対峙していた。その男は、現場から逃走する姿を目撃され、凶器からは彼の指紋も発見されていた。状況的には、限りなく“黒”。彼は、氏名、生年月日、本籍地、職業、学歴、前科前歴については、米良の求めに応じて答えを返していた。しかしながら、どうして殺したのか、という問いに対してだけは、何故かかたくなに口を噤み続けるのだった……。
翔田寛の新作『黙秘犯』は、黙秘する男をプロローグで描き、しずしずと幕を開ける。続く第一章も静かなスタートだ。
千葉県館山市の夕凪館は、両親と娘、さらに通いの中年女性と住込みの板前の5人で営む民宿だ。まず、この民宿の娘、24歳の友部杏子の縁談が語られ、続いて、10日前に弟が近くの海水浴場で溺死したという情報が読者に提示される。弟の死は警察によって事故と結論付けられたが、杏子は、その結論を素直に受け入れられずにいた……。
そう、静かに家族の様子を描くのである。こんな『黙秘犯』だが、その静けさのなかで、翔田寛は、物語を徐々に転がし始める。プロローグで黙秘を続けていた男が夕凪館の住込みの板前の倉田であるという情報を皮切りに、被害者のひととなりや過去、あるいは人物間のつながりを読者に提示していくのだ。それらは意外であり、ときに醜悪であり、ときに不透明である。そうした事実が捜査陣によって一つずつ突き止められていく様はテンポよく心地よい。だが、事実が明らかになるにつれて真相に近付くのかといえばそうではない。逆である。謎は徐々に、そして予想をはるかに超えて、深まっていくのだ。単純な撲殺事件ではないらしい。今回の犯罪の背後には、一体なにが潜んでいるのか。ミステリとして実に魅力的な展開である。
こうして、事件の構造や謎の拡がりでまず読者を魅了する『黙秘犯』は、同時に、捜査陣の造形においても魅力的だ。なかでも、三宅義邦巡査長と増岡美佐巡査という船橋署刑事課コンビが読み手を愉しませてくれる。三宅は、新米の増岡を「ガリ勉でこだわり屋、そのうえ、けちん坊」と評したりしているが、この二人、なかなかどうしてよいコンビなのだ。真相究明につながる糸を見落とさず、食らいつき、貪欲に情報収集を進める。遠慮も忖度もなしに、だ。それが心地よい。しかも増岡が捜査を通じて成長していく様も読めて、それもまた愉しい。
この二人に加え、彼らの同僚の香山亮介巡査部長の捜査などに著者はフォーカスを与えながら捜査の進展を描くのだが、この江戸川乱歩賞受賞作家は、そのまま刑事たちをゴールまで連れて行ったりはしない。彼らの前に、大きな壁を用意しているのだ。高くて分厚い壁だ。詳述は避けるが、そんな壁が存在することに、読者としては著しい憤りを感じる、そんな壁だ。しかも、残り48時間というタイムリミットのなかで壁を崩さねば、真相も正義も失われてしまう。ギリギリの状況で必死に捜査を進める面々の活躍は、実に熱い。そのうえで彼らは、十分にロジカルである。論理と証拠に説得力がなければ壁は崩せないからだ。この壁との闘いは、後半の山場として抜群に読み応えがある。
この壁が代表するように、人間社会の醜い面が本書にはいくつも描かれている。犯罪はもちろん、権力の傲慢、虐め、嫁いびり等々、実際に社会に存在している醜さだ。そんな現実が投影されたこの物語においては、それらによって心が深く傷付けられた人物が何人も登場する。著者の巧みな筆さばきによって彼らの傷を読者が自分のものと感じられるからだろう――そんな世界においても正義を求めて奮戦する船橋署の面々の、なんと頼もしく、なんと清々しいことか。
ちなみに彼らの活躍は、本書に先立って2017年に刊行された『冤罪犯』でも読むことができる。平成22年の幼女連続誘拐殺人事件で犯人とされた田宮龍司は、犯行を否定したまま獄中で自殺したが、7年後、過去の事件と酷似した幼女殺人事件が発生し、田宮が冤罪だった可能性が浮上する……というミステリだ。三宅も増岡も香山も活躍するこの作品は、『黙秘犯』の読者が、刊行順とは逆に読んでも問題なく堪能できる。しかも、警察という男社会のなかでパワハラやセクハラを受ける増岡も描いているため、本書での捜査陣の心情をより深く理解するうえでも有用だ。是非ともあわせて読んで戴きたい。
それにしても、だ。『冤罪犯』も『黙秘犯』も、プロットと警察描写で読者をたっぷりと愉しませてくれる小説だった。いささか欲張りだが、早くも第三弾を心待ちにしてしまっている。
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