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(評者:小山 聡子 / 二松学舎大学文学部教授)
くじ引きで勝つには、近所の家の鍋の蓋をこっそり持ち出すのがよい。これは、新潟県の魚沼に伝わる俗信である(172ページ)。無断拝借はよくないことだが、奇抜な着想が面白い。煮炊きをする鍋蓋は、一つの境界であり、不思議な力が宿るらしい。暮らしの空間は、平板なようで、豊かに意味づけられている。一見不合理な言い伝えは、危うさをはらんだ世界を秩序化する知恵である。
本書『魔除けの民俗学』は、民俗学の第一人者常光徹氏による、魔除けを中心とする俗信の集成である。三部から構成され、「Ⅰ 家屋敷と俗信」では、屋根をはじめとする家屋敷にかかわる俗信、「Ⅱ 生活道具と俗信」では箒や箕といった身近な生活道具を呪具とする俗信、「Ⅲ 災害と俗信」では地震の際の呪文、呪歌、呪符、流言などが取り上げられている。「さりげない日常のなかで、庶民が感じとり創意してきた知と技が俗信には凝縮している」という立場から、約四千点にも及ぶ膨大な俗信資料が参照された。豊富な事例を通して、「庶民の心意」が読む者に伝わっていく。常光氏の長年にわたる研究の成果を凝縮した書と言えよう。
本書を読んで、俗信の通時性に興味を引かれた。取り上げられている俗信の多くは、近世、近代のものである。しかし、それらの中には、古代や中世の事例と共通するものも少なくない。
たとえば、赤子の魂を狙い徘徊する「物の怪」を追い払うために箒が逆さまに立てられたり(119ページ)、猫が跨いだ死体を箒で叩いたりした(121ページ)、という。箒は「物の怪」を退散させるための呪具であった。箒や棒で打つ行為には災いをもたらす「モノ」を威嚇し排除する狙いがこめられていた、と常光氏は指摘する。また、仮死状態の産婦や赤子を鍋蓋であおぎ、邪悪な「モノ」を祓うことができるという俗信もある。鍋蓋には生臭物の臭いがしみついており、それを悪霊が嫌うと考えられていたらしい。
古代から中世にかけても、出産時には物気(古代から中世にかけては、「物の怪」ではなく「物気」と表記されていた)が跳梁すると考えられ、恐れられていた。そこでは、物気の調伏のため、僧侶による加持や修法が行われ、物気を打つ所作をして大きな音が響かせられていた(『山槐記』治承2[1178]年11月12日条、『明月記』寛喜2[1230]年正月2日条、『作法集』「験者作法」)。さらに、僧侶が調伏の修法を行う時には、臭気のある木などが火中に投じられていた(小山聡子『親鸞の信仰と呪術』)。臭気には、物気を倒す効果が期待されたのであろう。何百年の時を隔てても、人の行いは変わらない。
「Ⅲ」では、地震の時に咄嗟に唱える呪文「カアカア」や「マンザイロク」などが紹介されている。予想もしないできごとが起きた時の呪文などは、平安貴族社会に関する百科全書『二中歴』にも確認できる。圧倒的な自然の力を前にした際、無力な人間は、それでも言葉を唱え、自己と外界との関わりを調整しようと試みる。
『魔除けの民俗学』からは、時代を超えて受け継がれた人々のふるまいが浮かび上がる。さらに、全国で採集された証言が重ね合わせられることによって、地域性に左右されない行動の型があることも示唆される。時空を貫いて見出される「日本人」の姿を触知できることが、本書の魅力ではなかろうか。
住居環境が激変した現代、私たちは、俗信との関わりを断ちえたかのように考えがちである。けれども、自身の無力さを等身大に見つめられる人は少ない。宝くじを買う時に験を担ぐ人は、鍋蓋を拝借しようとする人を笑えない。本書は、私たちが「日本人」であることを顧みる鏡としても役立つであろう。昔からの習慣に倣っていたことを意識化することによって、日々の風景は別のよそおいをまとって立ち現れるかもしれない。
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