ヘラヘラっとした雰囲気を身にまとう男が現れた瞬間の、「キタキター!」感がものすごい。二人組作家ユニット・降田天の『偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理』は、探偵ではなく犯人側の視点を採用した、いわゆる倒叙ミステリの連作集だ。表題作は、日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞している。
第一編「鎖された赤」は、二十歳の大学生・宮園尊が神奈川県神倉市の駅前交番へと向かうシーンで幕を開ける。〈もうこうするしかない。(中略)僕は少女を誘拐し、神倉市のある場所に監禁している〉。自首しようとしているのか? 時計の針は巻き戻り、尊の少女監禁計画が詳述されていく。数ヶ月かけて準備し実行したが、監禁三日目にアクシデントが起こった。彼が神倉駅前交番に足を運んだ、自首とは異なる思惑が明かされる。そこにいたのが、狩野と名乗る四十代のおまわりさんだ。〈にこにこ、というより、へらへらしている〉。尊は一刻も早く用事を済ませたいのだが、狩野はのんきな口調で世間話を繰り出してくる。こちらの返事を求めながら、矢継ぎ早に。喋りのスピードに頭が追いつかず苛立ち、話題を方向転換させるためについた嘘が、猛烈な勢いでほころびを見せる。ぎくり、と、どきりが重なって、罪を認めなければいけない状態へといつの間にか辿り着く。
第二編「偽りの春」は、高齢者詐欺グループのリーダー・水野光代を視点人物に据える。仲間の一人が大金を持ち逃げし、誰も知らないはずの根城に〈これまでのことを黙っていてほしければ、一千万円を用意しろ〉と脅迫状が届いた。状況を打破するために試みた新たな犯罪からの帰り道、パトロール中のおまわりさんに声をかけられる。「キタキター!」が発動する瞬間だ。気分が悪そうだという親切心で乗せられたパトカー内で、狩野の世間話は職務質問へとスライドしていく。
倒叙ミステリの名作といえば『刑事コロンボ』であり、『古畑任三郎』だ。二作の主人公の共通点は、刑事であるということ。殺人事件が起こったら現場に駆けつけ、早々と目星をつけた犯人に付きまとい、嘘を暴いて罪の告白へと追い詰める。いわば狩人タイプだ。しかし、本作の主人公はおまわりさん。基本は交番に駐在して地域住民の相談に応え、担当地域をパトロールする。その過程で、まだ顕在化していない犯罪の匂いを嗅ぎつける。タイプは? 蜘蛛だ。知らなかったとはいえ自らの意思で、彼のテリトリーに足を踏み入れてしまったことこそが、犯人たちの失策の原因だった。倒叙ミステリ特有の「こいつさえいなければ」という不運の感触が、かつてない強度で突き刺さる。
実のところ、本作の異色性は、第三編以降により濃く出ている。特に第四編「見知らぬ親友」は、犯人視点の一人称という倒叙ミステリならではの方法論を活用し、同じ一つの現実も、人によってまるで違って見えるという衝撃を実現している。連作の最後には完璧なエンドマークが打たれているが、もっともっとシリーズの続きが読みたい。嘘は必ずバレる。後ろめたさが人を狂わせる。そのシンプルな真実を、物語を通して腹の底まで叩き込んでおくためにも。
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倉知 淳『皇帝と拳銃と』(東京創元社)
著者初の倒叙ミステリ・シリーズの探偵役は、警視庁捜査一課の乙姫。〈暗く深く、虚無の深淵を覗き込むがごとく、陰気で表情の感じられない瞳。黒い洞穴のようなその目が、恐ろしい“死神”の印象を最大限に強めている〉。倒叙ミステリの犯人たちにとって、名探偵とは要するに「死神」なのだ。
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