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レビュー

ファンタジーの目を通して 描くリアル 『リラと戦禍の風』

 これは意志の物語だ。
 何のために上田うえだ早夕里さゆりが小説という虚構を綴るのか、その決意の物語だ。
 舞台は第一次大戦下の欧州。一九一四年に始まった戦争は、すぐに終わるという当初の予想を裏切って、先の見えない長期戦へ突入していた。
 西部戦線のシャンパーニュにいた若きドイツ兵のイェルクは、悲惨な戦いの中で次第に心が麻痺していく。そんなある日、彼の近くで砲弾が炸裂。このまま死ぬ、と思ったとき、彼は不思議な人物に助け出された。
 交戦地区にふさわしくないしゃれた外套がいとうをまとい、いい身なりをした穏やかで気品のある紳士。次にイェルクが目を覚ましたとき、彼は清潔で快適な館の中にいて、その紳士――伯爵から驚くような話を聞く。
 曰く、伯爵は四六〇年も生き続けている魔物で、イェルクの精神を半分だけ連れてきた。今ここにいるイェルクは伯爵が作った虚体であり、実体は残った半分の精神とともに今もシャンパーニュの塹壕ざんごうにいる。二体の記憶は夢を通して共有される。また、虚体となったイェルクは他人の内部に入り込むことができる――と。そして虚体のイェルクに、伯爵はリラという少女の護衛を依頼する。
 リアルな戦場の場面から一転、物語が突如としてファンタジーの世界になだれ込んだのには驚いた。魔物? 虚体? 人の中に入り込む?
 だが、戦場はもう嫌だと思ったイェルクが伯爵に、実体もここに連れてきてほしいと文句を言ったくだりを読んで、背筋が伸びた。伯爵は、それは無理だと答えるのだ。なぜなら

「いま、ここにいる君は」

「一刻も早く、戦場から解放されたいと望んでいる。だが、シャンパーニュに置いてきた実体は、戦友たちの先行きを心配して、ひとりでは逃げられないと言っているのだ」

 人の心はひとつではない。戦争をいとう半分がなくなった実体のイェルクはすっきりした気分で戦いに臨む。祖国のために戦っているのだという、清々しさにも似た思い。心の内のせめぎ合いがなくなるとはこういうことか、これが描きたかったのか、と思った瞬間に物語に取り込まれてしまった。
 本書にはことあるごとに、人間の多面性が描かれる。強さと弱さ、誠実と不実、思いやりとエゴイズム。それらが寄り合わさったのが人間であり、そのバランスは周囲の環境や体験で簡単に変わることを思い知らされる。特に戦時と平時の違いの描写は圧巻だ。
 いや、人の心だけではない。ものの見方もまた、ひとつではないのだ。イェルクが護衛を頼まれたリラはポーランドの生まれ。祖国を踏みにじったドイツを憎み、ドイツ人のイェルクを憎んでいる。イェルクにしてみれば、それは僕がしたことではない、と思うがリラは納得しない。個人として出会えば友人になれるのに、国が戦いを始めたとたんに敵になる理不尽。
 読者は虚体のイェルクとともに、国境を越えて戦時下の欧州を俯瞰する。銃後で飢餓に苦しむ人々。兵士を消耗品としか考えていない上層部。食べ物を得るため危険な橋を渡る女性。社会主義運動で戦争終結と革命を目指す者がいる一方で、戦争に生きがいを見出す者もいる。そしてそんな中でも人間らしくありたいと願う心の切実さ。戦時下の彼らを見て虚体のイェルクが下した決断を、どうかじっくり受け止めていただきたい。
 特に心を刺すのは、この第一次大戦が最初の戦争でもなければ最後の戦争でもない、という事実である。なぜ人は戦争を繰り返すのか。抗うすべはないのか。時と場所を超えて人々が抱き続けるその問いかけを、著者はすべてを見通す不死の魔物に託した。
 だからファンタジーなのか、と頷いた。戦争はどんな虚構よりも残酷なリアルだ。だが虚構だからこそ伝えられるリアルがある。虚構にしか伝えられないリアルがあると、本書は高らかに謳っている。それが物語の力だと。
 壮大なスケールと重厚なテーマ。上田早夕里の新たなる到達点だ。


書誌情報はこちら≫上田 早夕里『リラと戦禍の風』


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