書評家・作家・専門家が《今月の新刊》をご紹介!
本選びにお役立てください。
(評者:岩井志麻子 / 作家・タレント)
この世には本当に賢くて何でも知っていて、特に専門分野では神か悪魔かというほど極めておられる方がいる、というのはたびたび目の当たりにしてきた。
南條竹則先生もその中の一人、といいかけ、何かが躊躇わせる。一つの既成の枠にというか、これ、とラベルを貼ったファイルの一冊に誰かと一緒に収めるのは、何かが違う。
一人一ジャンル、としかいいようがないのだわ、南條先生は。誰かと同種だと一緒にしたら、その誰かが高貴な瘴気にあてられて弱ってしまう心配もせねばならぬ。
南條先生も書いておられるように、私たちは『幽』怪談文学賞の選考委員として出会った。いつもお洒落な服装をしているのに常に手提げの紙袋をぶら下げている(雨の日は、それにビニールカバーがかかる)南條先生は、こんな物知りの頭の良い人がおるんぢゃなぁ~と私を畏怖させっぱなしだった。
いつも、鋭くも面白い先生の講義を聞いている生徒の気分だった。どんなに勉強が苦手な生徒にも、絶対にわからせてくれる天性の先生だった。
今回、この『ゴーストリイ・フォークロア 17世紀~20世紀初頭の英国怪異譚』の解説なんぞを先生の指名で書かせていただくことになり、改めてまとまったゲラを読み返していたら、あの会議室での選考会の雰囲気だけでなく、すべてを見通すような、そして異界をもちゃんと見渡しているような先生の眼差しが、まざまざとよみがえってきた。
英国の作家の物語を翻訳して紹介してくださっているのだが、南條先生による本編への解説、感想だけでなく、ご自身のほのぼのしながらもどこか物悲しさのあるご家族の話、不思議な趣のある旅行記や体験談などが前書き、後書きのように書かれている。
先生が紹介、翻訳した英国の作家の怪奇譚が面白く怖いのはいうまでもないが、何というか私は南條先生が語る南條先生物語が、さらにさらに面白くて怖くてならなかった。
たとえば「みんなの女の子」も、百年近く昔のスコットランドの中に私は入り込み、確かにその不気味で可憐で物悲しくも凶悪な何かが垣間見える女の子と会った気になる、どころか、生々しい記憶として刻まれてしまったのだが。
それよりもっと生々しく、本編の前置きのように書かれている十二歳までに人魂などを見なかったら一生見ることはない、とおっしゃった南條先生の曽祖母様の声がひそやかに生温かく耳元に聞こえてくるのだ。
定宿にしておられた東北の温泉旅館の薄暗い廊下を歩く先代の旦那さんの話も、深夜のスコットランドの寂しい橋のたもとで溺れる女の子より、深い闇を背負わせてもらえる。
「帰ってきた死人たち」は、死人に対する正しい対処法まで示唆に富んでいるし、冷やりとした死者たちと死の国を体感させてもらえるが、三越の前で南條先生が死人と似た人を間違えた、という話のほうが私は幽明両界を生身の体に強く感じさせられた。
繰り返すが、本編の英国・アイルランド怪奇譚はどれも不気味な詩情に満ちた物語ばかりだ。それが南條先生の、一見さらっと付記してあるような自分語りと絡まったとき、魔女の鍋の中の化学反応のように、もっと恐ろしくも美しい化合物が生まれてしまうのだ。
子どもの頃からずっと、好きだなぁと思える先生の授業は、勉強そのものよりも先生の人となりや先生の半生を見せてもらえるものだった。
それは成績表にはあまり反映されないが、その後の私の職業には大いに役立ったのだから、授業は無駄ではなかった。いや、それこそが私には正しい授業だったのだ。南條先生の御本を読ませてもらうのもいいが、また南條先生の怪奇な授業を受けたいものだ。
▼南條竹則『ゴーストリイ・フォークロア 17世紀~20世紀初頭の英国怪異譚』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321902000613/