最初の場面は甲子園球場だ。
え、時代小説じゃないの? と思うだろうが、どうかそのまま読み続けてほしい。
この短いプロローグに描かれているのは爽やかな青春の一コマだ。何でもどんなときでも全力で楽しむ、という薫風館高校野球部のスラッガーが登場する。そして本編に入ると、物語は一気に三百年の時を遡る。同校の前身である石久藩の学び舎・薫風館に通う少年たちが登場するという次第。
なぜこのような捻った構成になっているのかは後述するとして、まずは石久藩の少年たちを追ってみよう。
主人公は鳥羽新吾。以前は上士の子らが通う藩校の生徒だったが、家格ですべての順列が決まってしまう息苦しさに耐えかねた新吾は、母の反対を押し切って、身分に関わりなく門戸を開いている薫風館に移る。今では、庶民の子も大勢通う自由で伸びやかなこの学び舎がすっかり気に入っている。
普請役の嫡男で豪放磊落・明朗闊達な間宮弘太郎と、貧農の息子ではあるが村を豊かにするため町見役を目指して勉強する聡明な栄太という親友もでき、新吾は青春を謳歌していた。
ところがある日、妾宅にいた父が久しぶりに帰宅したかと思うと、いきなり新吾に「間者となり薫風館を探れ」と告げた。薫風館の内に主君暗殺の陰謀があるというのだ。さらに栄太が暴行され、生死の淵をさまよう重傷を負う。こちらはかつて新吾を敵視していた藩校の連中の仕業に違いない。
相次ぐ出来事に混乱する新吾は、この事態をどう乗り切るのか──。
ああ、うまいなあ。あさのあつこの描く〈少年の日々〉は、本当にいい。彼らの幸せを願わずにはいられないような、まっすぐな少年を描くのがあさのあつこは実にうまい。
他にも『火群のごとく』『燦』(ともに文春文庫)、『天を灼く』(祥伝社)など〈幼馴染の三人〉を対比させながらその友情と成長を描いた著作が幾つかあるが、タイプは違えど、どれもまっすぐに伸びようとする若者の姿がとても気持ちいい。と同時に、その少年たちが大人になる過程でぶつかる壁の存在と、それを乗り越えることの困難を知ることも共通している。
本書の主眼もそこにある。本書で新吾たちがぶつかるのは、生まれたときから将来が決まっている〈身分〉という枠の存在だ。だが身分制度そのものについての話ではないことに注目。あさのあつこが本書で描こうとしたのは身分間の対立ではなく、身分という大人が作った社会システムに少年が翻弄される様子であり、システムの問題点に〈気づく〉だけの知性を育まねばならないという点にある。
身分が低くても能力があり真面目に励んでいる栄太はとてもわかりやすいアイコンだが、家格の高い家に生まれた少年もまた、その身分に縛られているということが本書にはきちんと描かれる。むしろそちらの方が印象深い。
押し付けられたシステムの中で少年たちは足掻く。大人の思惑で振り回され、政治の都合で利用され、無力を自覚しながら自分の進む道を模索する少年たちの姿が切ない。人と人が傷つけ合うほど醜い姿はない、という栄太。栄太の仇を討つのは簡単だが、それでは何も変わらないと考える新吾。
そして彼らは、システムは変えられなくても、気づいて学べば人は変われるという真理に到達するのだ。
序章と終章が現代の野球部だった理由はここだ。子どもは大人の思惑や政治の都合で作られたシステムに否応なく飲み込まれる。それは今も昔も変わらない。だからこそ、子どもたちが楽しめなくなるような社会であってはいけない。そこに気づいているかと、この物語は大人たちに告げている。
それだけヘヴィなテーマを内包しつつ、読み心地のいい爽やかな成長物語に作り上げたのは、著者の手柄だ。後の野球につながるような場面を仕込む茶目っ気も楽しい。まさに薫風のごとき物語に身を任せ、至福の読書を味わっていただきたい。
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