40年のソウル在住歴、しかも休日には釣り人として各地をくまなく歩きまわり、郷土料理にも精通するグルメ、勝弘さんならではの一冊。
時々ソウルでは珍しいもの、おいしいものをごちそうしていただく間柄だ。
とかく政治がらみの話題を評論するとなると堅苦しくなりがちだが、この本ではさまざまな場面で登場する「食」に着目することで、日本人とは違った韓国人の民族性や思考・文化の違いまでもが透けて見えて面白い。
韓国人にとっての「食」は、日本人が想像するよりもはるかに重要なものであり、執着も強い。
韓国では「먹고 살다」(モッコ サンダ)という表現が慣用句のように使われる。直訳すれば「食べて生きる」という意味。「살다/生きる」だけでもよさそうなものだが、やはり食があってこその生なのだろう。
更に韓国人は「食べて生きるため」に仕事をするのだから、これをおろそかにするのは人間として正しくないと考えている向きがある。
それにくらべ、日本では食べることに執着するのははしたないことであり、時には卑しいなどとそしられる。
日本はやはり「武士は食わねど高楊枝」の文化なのだ。そこへゆくと韓国ではなにはともあれ、まず食べることから始まる。
88年オリンピックに向けて盛り上がるソウルを盛んにテレビ取材していた頃のことだ。
私たち日本人スタッフは昼時になっても仕事が一段落しないと、「メシ押し」といって平気で仕事を優先させる。
それどころか「押しっぱなし」になって、「メシ抜き」になることも日常茶飯事だ。
ようやく私たちが取材を終え、車に戻ってみると運転手さんが勝手に食事に行ってしまい、こちらが待ちぼうけを食らうなどということがよくあった。
スタッフたちは「職場放棄だ」とあきれ顔。
二度とそういうことが起こらないようにと、昼時をまたいで取材を続けるときなど、ガイドさんが一生懸命運転手さんに気を遣い、ドリンク剤やつなぎのおやつなどを差し入れ、ご機嫌をとるのに腐心していた。
今では日本人の取材クルーが、食事より仕事を優先させることは韓国社会でも浸透しているので、運転手さんも我慢しているが、内心では「日本人はメシもまともに食わせない奴ら」と思っていることだろう。
また、あるプロジェクトで韓国人の女性スタッフと仕事をした折りのこと。
食事そっちのけで仕事を進める日本人男性スタッフを気遣って「お食事をしてください」と親切に言ったつもりが、かえって怒られたと涙目で私に訴えてきた。
食事もせずに厳しく仕事を優先する日本人の姿は、彼女の眼に冷徹に見えたことだろう。
韓国では男性に対する悪口で「飯も食わない奴」という言い方がある。
男なら男らしくガツガツと沢山食べるのが「たくましく、魅力的」と映るらしい。小食な男などひ弱で使い物にならないというわけだ。
女性にしても似たようなところがある。日本女性にとって大食というのはやや恥ずかしいことというイメージがあるが、韓国ではそうでもないようだ。
今でこそドラマの中にでてくる女優さんも上品に食事をしているが、昔のドラマでは綺麗な女優さんが、スプーンにてんこ盛りのごはんを頬張るので驚いた。しかし韓国ではこの「口いっぱいに頬張る」というのは、決して悪いことではない。
日本と韓国では食事に対しての思いがかくも違っている。たっぷりと、気前よく、みんなで、楽しくが基本なのだ。そしてないときには分け合う。
韓国人にとって、食を分かち合うことは情を分かち合うことなのだ。
この本はそんな彼らが政治の局面で分かち合う一食にどんな思いを込めてきたかが窺える、含蓄に富んだ読み物だ。
書誌情報はこちら≫黒田 勝弘『韓めし政治学』
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