【カドブンレビュー】
憧れの人といえば、誰にでも思い当たる存在があるだろう。それはキラキラと煌く特別な存在だ。
例えば私が子供の頃アイドルはトイレなんか行かないと思っていた。いや、そんなことありえないと理屈では分かっていても、頭の片隅では本当に行かないんじゃないか、と思っていたものだ。それは「こうあってほしい」「こうでなくちゃいけない」というファン特有の身勝手な願望が作り上げた偶像だ。しかし愛情ゆえのそんな想いも暴走すれば悲劇を生むことになる。
身勝手な母親に抑圧された生活をおくる少女、幕居梓は閉じ込められた押し入れの中で新進気鋭の若手恋愛小説家、遥川悠真の作品を諳んじることが唯一の楽しみだった。そんな梓はあるきっかけで憧れの遥川と知り合い、彼のマンションに出入りするようになる。小説に対して真摯に向き合うが故にスランプに陥った遥川は、梓が遥川を真似て書いた作品に衝撃を受け、彼女に黙って自分の作品として発表してしまう。彼を救いたい一心で作品を書き続ける梓の隣で、自尊心を失い壊れていく遥川。身を削るようにして書いた小説のプロットも「あんなの今の遥川悠真の小説じゃない」と否定され、正しい「遥川悠真」のあるべき姿を示す梓に呑み込まれていく。憧れ、愛情、嫉妬、諦念、依存。様々な感情が絡み合い、そして悲劇は起こる。
寄り添えば寄り添うほどお互いを蝕んでいく二人。純粋に遥川を救いたいと思う梓の行動が、逆に彼を追い詰めていく様はどうにもいたたまれない。しかし終盤にかけて激しく揺れ動く梓の感情と行き過ぎた行動には、純粋な愛情に混じって身勝手なエゴが見え隠れする。
憧れの存在に少しでも近づきたいという気持ちは自然な欲求だと思うが、手が届かない歯がゆさや切なさゆえに、より魅力的に感じるという面もあるだろう。離れているからこそ夢が見られるし、お互いが支えあえる。ファンと憧れの対象との間にはそんな「幸せな距離」とでも呼ぶべきものがあるのかもしれない。
>>斜線堂 有紀『私が大好きな小説家を殺すまで』
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