『居酒屋ぼったくり』(アルファポリス)がドラマ化されたのに続き、『放課後の厨房男子』(幻冬舎文庫)がジャニーズのアイドルグループ・ふぉ〜ゆ〜で舞台化と、ここに来て秋川滝美の小説が俄然注目を浴びている。
デビュー作は、俺様セレブと専属夜食係が主人公の『いい加減な夜食』(アルファポリス)だ。その後、料理を核にした恋愛小説、お仕事小説、青春小説などを次々と発表。美味しそうな料理と安心して読めるハートウォーミングな世界に惹かれたファンは多く、どのシリーズも順調に巻を重ねている。
ただし——。
新刊『向日葵のある台所』は、これまでのようなラブストーリーでもお仕事小説でもない。従来のテイストを期待して読むと、苦さに驚くだろう。そしてその苦さの先にあるほのかな甘みに、もう一度驚くに違いない。
主人公の森園麻有子は、美術館に勤める学芸員。中学二年生の娘・葵とふたり暮らしのシングルマザーだ。親子仲は良く、家事を分担しながら平和に幸せに暮らしている。
ところが突然、姉から電話がかかってきた。母の正恵が倒れた、というのだ。退院後も一人暮らしをさせておくわけにはいかないが、自分のところは夫と母の折り合いが悪い。麻有子のところで母を引き取ってほしい、と。
麻有子は断固断りたい。なぜなら子どもの頃から母に優しくされたことなど一度もなく、ずっと言葉による虐待を受け続けていたのだから。家を出て二十年以上経った今でも、ふと母の叱責や皮肉が蘇って動揺するほど、トラウマになっているのだ。
ふたりの関係が良くないことを知っている葵は麻有子を心配する。そしてついに、正恵が家にやってきた……。
読者はまず、姉の身勝手さに憤り、母の理不尽な躾の数々に苛立ち、その反動で麻有子に同情するだろう。けれどその同情は、次第に姿を変えるはずだ。母親と姉にはっきり文句を言ってスッキリしろ、と思うときもある。予想外に軟化した正恵に、腹を割って話せば意外と通じるのでは、と考えたりもする。葵の思いやりに胸を打たれ、一方で葵に過剰な負担がかかっているのではと心配したりもする。つまり、はじめは単なる同情だったのが、次第に読者は麻有子と一緒に悩むようになるのである。
なぜか。それは麻有子の立場が、誰しも経験し得るものだから。
麻有子の場合は親との関係だが、これを「解決しないまま、逃げて蓋をしてきた過去の傷」と言い換えてみればいい。誰しもひとつやふたつ、思い当たることがあるのではないか。
逃げ切れたと思っていたのに、はからずもその傷と向き合わねばならなくなったとき、人はどうするのか。本書はそこを鋭く突いてくる。だから痛いのだ。だから考えてしまうのだ。自分ならどうするか、と。
麻有子が「毒親」から逃げ出したのは正しい選択だったろう。だが自分も親も歳をとり、さらに娘ができた今、過去にはできなかった「向き合う」ということができるようになった。昔は気づかなかったことに気づく、昔は言えなかったことが言える。そのくだりは実に温かく、実に励まされた。
傷を癒すのに遅すぎるということはないのだ。昔はできなかったことも、今ならできるかもしれないのだ。なんて心強いメッセージだろう。
しかも、著者お得意の料理描写が、実にうまい具合に物語にアクセントをつける。トラウマの象徴だったキュウリ、わらびもちに込めた思いやり、うどんが運ぶ思い出、祖母が孫に教える炒りゴマ。登場する食べ物が、母娘三代をつないでいく。必要以上にドロドロさせず、葵が緩衝材となって穏やかに話が進むので、身につまされる辛い話は苦手、という人にも安心してお薦めできる。
秋川滝美初の家族小説は、傷を抱えるすべての人の背中を、大丈夫だよ、とそっと押してくれる。そんな物語なのである。
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