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(評者:伊奈利 / カドブンレビュアー)
自分が、自分でも驚くような行動をとるなんてことは、きっとこの先一生ないだろう。そんなふうに日々を淡々と過ごす透は、高校2年の春、クラスメイトの嫌がらせから、他のクラスの女子に嘘の告白を仕掛けることになる。相手は特進クラスの美少女・真織。二人は面識もなく、当然断られるものと思っていたが、意外にも真織は透の告白を条件付きで受け入れた。
嘘の告白から始まる恋人ごっこ。真織と過ごす時間は意外にも透の日常に新鮮な驚きと鮮やかな色彩をもたらして、次第に嘘は嘘でなくなっていく。
しかし真織は、事故の後遺症による記憶障害を抱えていた。今日一日の記憶を、夜、眠りとともに失くしてしまう。毎日がその繰り返し。それでも、透と真織は一日限りの恋を積み重ねていく――。
物語は透の日常、真織の日記、二人を間近で見守る真織の親友・泉の回想が混じりあって描かれる。三者三様の視点が、毎日透と真織の間に生まれては失われていく儚い感情を浮かびあがらせる。
前半は読んでいるほうが面映ゆくなる可愛い恋人ごっこが続くが、彼らの本当の意味での「恋」は実は後半から描かれる。著者である一条岬さんはあとがきで「人はあらゆるものを得る傍らで失ってもいきます」と書いている。また「失くすかもしれないと想像することで、それをより一層大切にしたいという気持ちになる」とも。それを真織たちの心を通して描き出したのだと感じる、痛切なラブストーリーだ。
人は忘れていく生き物だと私も思う。「忘れない」と言いながら忘れ、忘れたことを忘れる薄情で鈍感な生き物。この小説の読者層は本来、主人公たちと同じ10代、20代の若い人たちだと思う。けれどできれば私は、忘れることに慣れ、それを受け入れて生きるもっと上の年代の人たちに読んでほしいと思う。
この物語に登場する少年少女たちはそれぞれの背景から「幸福な子ども」とは言い難い。すでに当たり前にあった大切なものを失くしてきた彼らは、子どもらしからぬ達観と、大人顔負けの他人への思いやりをもって寄り添いあい、日々を丁寧に生きている。子どもたちは、私たちが年を経るごとに理解してきたはずの、でも見失っていることを教えてくれる。何も起こらない平凡な日常は、実はとても特別で、忘れてしまった思い出がどんなに大事なものだったのかを。大切なものは、全部、自分の中にあるということを。
たとえすべてを忘れても、悲しみ、痛み、喜び、思い出は全部あなたの中に残っているということを。そして今、あなたの分かちがたい一部となっていることを。
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