作家ならば誰もが一度は挑戦してみたいと思う、上下巻。自他共に認める代表作となることが義務付けられた、大長編。加藤シゲアキは作家デビュー六年目の第五作『チュベローズで待ってる』でついに、実行に移した。上巻は「AGE22」(第1部)、下巻は「AGE32」(第2部)と銘打たれている。それぞれの物語が開幕した時点での、主人公の年齢だ。こんな上下巻、読んだことがない。
二〇一五年秋から始まる上巻でまず驚かされるのは、主人公・光太の「就職活動全敗が確定した日、歌舞伎町でスカウトされてホストになる」という初期設定をセットアップする速さと滑らかさ、それに伴う文章のスピード感だ。題材、物語の展開、文体——すべての要素をエンタメ方向へと舵取りした作家は、回想をできるだけ使わず(スピードが遅くなるからだ)、現在、現在、現在で押していく。これまでも書き継いできた「ボーイ・ミーツ・ボーイ」の関係性は、ホストクラブのチュベローズの内外でさまざまな形で花開き、計り知れない内面を持った女性達も確かな実在感を発揮。ホストとして培った度胸やコミュニケーション技術が、二度目の就活で活かされていく……という二重構造は、主人公に感情移入しながら読み進める読者にとって、快感以外の何ものでもないだろう。あっという間に最終ページに辿り着き、そこで目にした光景を前に、下巻をすぐ手に取らざるを得なくなる。
長い物語を読む楽しみは、登場人物と記憶を共有し、思い出す喜びを味わうことにある。一〇年後へと時が進み、二〇二五年夏から始まる下巻では、光太が会社員となり、気鋭のクリエイターとして活躍している。かつての夢が現実となり、上巻の登場人物達との再会と和解が連鎖する序盤は、下巻へと読み進めてきた読者を確実に射貫く、快感の嵐なのだ。と同時に「新宿女子高生連続失踪事件」に象徴される小さなクエストが積み重なり、関係者としてやむを得ず探偵役を務めることになった光太の快進撃もまた描かれていく。SF的ガジェットを投入した近未来描写も頼もしく新鮮で、あぁ、やっぱりこの物語は面白い。そう思っていたから、まさかあんな感情を味わうことになるとは想像もしていなかった。下巻で作家が試みた何よりのチャレンジは、常識という名のリミッターを外し、読者が快感だと思えるラインを大きく逸脱して登場人物の内面をとことんまで掘り進めることだったのだ。それはフィクションだからできる「実験」だ。「実験」に裏打ちされた物語を通して人は、己の真の姿を知るのだ。
上巻は壮大な「フリ」で、下巻は「オチ」だった。あるいは、上巻がエンターテインメントの王道を行く物語という意味で「ベタ」だったとすれば、下巻は「メタ」。主人公の活躍を追体験する物語ではなかったのだ。主人公の活躍を追体験する「私」についての物語だった。こんな上下巻、読んだことがない!
著者はジャニーズのアイドルとしても活動している、というきらびやかな前情報を完全に忘れる、総計五三八ページ。自他共に認めざるを得ないだろう代表作であり、問答無用の最高傑作だ。
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『キッズファイヤー・ドットコム』
海猫沢めろん
(講談社)
定価(本体1,300円+税)
現代作家随一の知性派でありながら、元ホストという経歴を持つ著者が最新作で選んだ題材は「歌舞伎町のホストがクラウドファンディングで子育て」。2015年の物語は、続編に当たる同時収録作で2021年へとジャンプ。絶望をデッサンしつつ、かすかな希望も描き出す。
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