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レビュー

孤高の検事の気概と執念を描いた、心ふるわすリーガル・ミステリー!――柚月裕子『検事の信義』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

柚月裕子『検事の信義



柚月裕子『検事の信義』文庫巻末解説

解説
みず たつ 

 この稿を書くにあたり、現在発売中のかたさだシリーズ『最後の証人』『検事の本懐』『検事の死命』それに本書の四作を送ってもらい、すべて目を通した。時間的にいえば二〇一〇年から一九年まで、ほぼ十年にわたって執筆された作品群である。
 デビュー後十年足らずで、もうライフワークになろうかというこれらの作品を書きつづけている作者のエネルギーにまず感嘆する。これほど短期間に、これほど著しい進境を遂げた作家もいないと思うのである。
 現に多くのファンがついているようで、文庫本三冊の奥付を見てびっくりした。
 二十一刷、二十二刷、二十一刷と、小説が売れなくなっている昨今の出版界では考えられない増刷を重ねている。
 出版不況の深刻さが増し、小説の読者は減る一方、作家の時間給などコンビニのバイトより低いんじゃないかと思われるのが偽らざる現状なのだ。
 わたしなどまだ栄光が残っていた時代にデビューできたから、その恩恵にもあずかれた。だから最近の作家は気の毒だなあと、つねづね思いつづけていた。柚月クラスの中堅作家が、いちばん苦しいんじゃないだろうかと同情していたのだ。
 余計なお世話でした。いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの売れっ子作家だったなんて、まったく知らなかった。
 山形の小説講座に招かれ、作品を読んで講評したのが、作者との出会いだった。
 文章が素直で、ことばの使い方が初々しかったのを褒めたと覚えているが、それでもまさか、プロになれるとまでは思わなかった。
 ほんの、十数年前のことである。彼女の保持していた能力が想像のらちがいであったことを、いまは率直に認めざるを得ない。
 ネットをのぞいて読者の声も渉猟してみた。
 熱烈なコメントであふれていた。多くが男性で、年齢層も幅広い。
 ほとんどが主人公である佐方貞人の生き方に感動し、共鳴したり自分の理想を重ねたりして、今後の指針にしたいとばかり異様なほどボルテージが高い。
 佐方という人物は、一言でいうなら職務に忠実な融通の利かない正義漢だ。
 奉職しているところが地検という上意下達を旨とする組織であってみれば、職責をまっとうしようとすればするほどあつれきが起こり、抵抗や圧力が増してくる。
 シリーズの大方のストーリーはその過程を描くことに費やされているのだが、佐方はどのような圧力を受けようとけっして屈しない。すったもんだしながらも最後は、多少かたちは崩れようが信条に背かない結果を勝ち取って行く。
 読者にしてみたらそのカタルシスがたまらないわけで、一度読んだらまたつぎも読みたくなる中毒性と刺激に満ちている。
 しかし読者の声を読んでいるうち、デジャビューのような、既視感にとらわれてしまうことに気づいた。とりたてて新味のない、どこかで聞いたようなことばやフレーズであふれているのだ。
 言ってしまえば、読書体験として通過しなければならないアイテムのようなもの、つまりこのシリーズは、人が成長して行く過程で一度は読むことにはまってしまうタイプの小説だということだ。
 なにもおとしめるつもりでこんなことを言い出したのではない。わたしの年代で言うなら、やまもとしゆうろうの時代小説がそれに当たっていた。
 彼の晩年の代表作『もみノ木は残った』や『ながい坂』は、当時の日本人の絶大な賞賛と共感を得て、彼をして当代随一の国民作家へと押し上げた。
 二作とも一九五〇年代から六〇年代にかけて執筆されている。日本経済が戦後復興を成し遂げ、の繁栄期へ向かって疾駆していた時代と軌を一にしているのだ。
 当時の世相を知らない人でも、新幹線の開業と東京オリンピックの開催が六四年であったといえば、どのような時代であったか、なんとなく想像していただけるのではないだろうか。
 主人公は、いずれも幕藩体制の中で藩政に携わっていた上級武士である。とくに前者は仙台伊達だて家の家老であったはらという実在の人物で、お家騒動の悪役としてよく知られていた。周五郎はその評価に従来とちがう光を当て、あらたな人物像をつくり出した。
 その苦難の軌跡と内的かつとうは、時こそちがえ現代と重なっていることを明らかにし、手探りしながらやみくもに突っ走らされていた当時の日本人の感性を揺さぶらずにはおかなかったのだ。
 周五郎はこの二作が頂点であったとも思えない六七年、六十三歳で他界してしまうのだが、つぎはどんなものを書いたか、できたら読みたかったと惜しまれた。人間いかに生きるべきか、昭和という時代の変転を周五郎とともに読者も併走していたのである。
 佐方シリーズも認知症、飲酒運転、連続放火、贈収賄と、題材に時代を配しながら、つぎつぎと起こる事件に立ち向かう佐方の行動が活写される。
 職務に忠実なあまり地検には五年しか留まることができず、以後は在野の弁護士として一八〇度ちがう立場から事件を処理する。
 その行動は快刀乱麻というにはほど遠く、ときには読んでいるほうがいらいらするくらい鈍重で、感受性も鋭いとは思えない。仕事を除いたらなにも残らないような生活感の乏しさ、情緒や人間としての膨らみにも欠け、どう見てもヒーローにはなりそうもないタイプなのである。
 それでいながら強烈な読後感を残してしまうのは、どのような事態に陥ろうと信念が揺らぐことはない佐方の一貫した姿勢に読者が魅了されるからだ。佐方が愚直であればあるほど、彼に託する読者の心情が作者に寄り添ってしまうのである。
 佐方の生き方の源は、シリーズで繰り返される父親のエピソードに求められる。
 佐方の父親ようせいは郷里を代表する大物弁護士でありながら、晩年は業務上横領罪に問われ、潔白を主張することなく服役、そのまま獄死してしまう。
 その理由が依頼人との信頼関係、友人と交わした約束を守るため罪に問われたというのだから、これくらい愚直な生き方もない。
 佐方は郷里へ何度も足を運ぶうち、父の死の真相を知る。知ることによって、以後の生き方が形成されてしまう。
 人が人を信頼するとはどういうことか、ただの口約束を、自己の人生を捨ててまで守り通した父親ほど愚直で、ぶれない人間はなかった。同じ道を歩いている佐方が、この父親に自己を照射して生き方の範としなかったはずはないだろう。きれい事に過ぎるかもしれないが、シリーズの最大の魅力が佐方のこのかくせいにあることはまちがいないのである。
 よく知られている話だが、作者は一一年の東日本大震災で父親を亡くしている。行方不明になった父を探し、何度も郷里へ足を運び、ついにはがいと対面するという劇的な体験をしている。父を見つけるまでは震災を過去のものにすまいとした腹の据わり方、強固な意志、柚月裕子という作家の根源がここにある。
 作者の描く母親像はありきたりで、精彩があるとは言えない。それが父親像となるとじつにせいで、陰影に富んだものとなる。無念の死を遂げた父親への敬愛と哀惜、なによりもリスペクトが、作者の血となって不断に流れており、読者はこの小説を読むたびその脈動に触れ、あたかも自分の内なる鼓動を探り当てたかのような感激に浸るのである。

作品紹介



検事の信義
著者 柚月裕子
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2021年10月21日

孤高の検事の気概と執念を描いた、心ふるわすリーガル・ミステリー!
検事・佐方貞人は、亡くなった実業家の書斎から高級腕時計を盗んだ罪で起訴された男の裁判を担当していた。被告人は実業家の非嫡出子で腕時計は形見に貰ったと主張、それを裏付ける証拠も出てきて、佐方は異例の無罪論告をせざるを得なくなってしまう。なぜ被告人は決定的な証拠について黙っていたのか、佐方が辿り着いた驚愕の真相とは(「裁きを望む」)。
孤高の検事の気概と執念を描いた、心ふるわすリーガル・ミステリー!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322103000612/
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