連作短篇の名手が放つ本格民俗学ミステリ!
『触身仏 蓮丈那智フィールドファイルII』北森 鴻
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『触身仏 蓮丈那智フィールドファイルII』文庫巻末解説
解説
今回、那智と三國が挑む謎は──人里離れた場所にある
あらためて舌を巻かされるのは、情報量の多さ(民俗学的なディテール)がストーリー展開の妨げになっていないことである。本格ミステリーとしての演出面から見ると、事件のデータを
コンパクトに圧縮された謎解きが説得力を持つには、エキセントリックな性格と天才的な頭脳を併せ持つ蓮丈那智というキャラクターの魅力が欠かせない。ここで見逃せないのはカリスマ的な名探偵・那智とコンプレックスに悩まされる凡人・三國の師弟コンビが、シャーロック・ホームズとワトソン博士の関係をモデルにしていることだろう。
三國の視点は三人称だが、その語りはほぼ回想録に等しいし、「裏のフィールドファイル」(フィールドワーク中に事件に巻き込まれたせいで発表できなくなった事案)という体裁も、ホームズ
とはいえ、こうした探偵小説の定型に忠実な書き方は、北森作品のなかではむしろ異色の部類に入る。作品リストを振り返るとオーソドックスな本格ミステリーより、群像劇風のサスペンスに分類される作風がメインで、判で押したような「名探偵もの」のパターンに徹したのは『凶笑面』ぐらいだろう。「民俗学と本格ミステリーの融合」という難題をクリアするため、蓮丈シリーズが軌道に乗るまではあえて定型の力を借りたようなところがあって、熱心な北森ファンから見ると、型にはまりすぎて窮屈な印象が上回るかもしれない。
作者本人もそんなふうに考えていたふしがある。というのも、北森は前巻に収録された「
そういう意味も含めて、北森鴻という作家の本領が発揮されるのはシリーズ二巻目の本書からだと思う。具体的な「らしさ」として真っ先に目を引くのは、「教務部の狐目の担当者」の役割の変化だろう。『凶笑面』では、調査費をめぐって三國を悩ませる口うるさい男にすぎなかったけれど、本書では頼りない三國の相談役として「触身仏」を除く四編に台詞付きで登場、蓮丈研究室を支える「第三の男」というべき存在に格上げされているのだ。
それだけではない。前巻はフィールドワーク先での事件が主だったが、本書では那智のホームグラウンドである
師弟コンビのキャラクター描写にも、ふくらみと陰影が加わっている。主役の那智はいきなり全治二か月の複雑骨折で入院したり、男性の遺体と一緒の車中で昏睡状態で発見されたり、帰宅途中の公園で暴漢に襲われたり、と災難が続く。前巻の冷徹で人間離れしたイメージを塗り替えるように、弱さを抱えた生身の女性という側面に新たな光が当てられているということだ。エピソードを重ねるごとに「狐目の担当者」の存在感が増し、那智の
対する三國はといえば、『凶笑面』の時点より那智に対するマゾヒスティックな依存度に拍車がかかっているようだ。舞台や事件の性格によるとはいえ、作者がワトソン役いじりのギアを上げてきた印象を受ける。「死満瓊」では思いがけない「ご褒美」を与えられるのだが、那智の方に一切デレる空気がないのは、やはりそうでなくてはならない。
脱線はさておき、もう少し長い目で『触身仏』を見ると、蓮丈シリーズの過渡期的な作品と位置付けることができるだろう。その関係で注目しておきたいのは、那智と肩を並べるもうひとりの北森ヒロイン「旗師・
さて、本書には目に見える形での「旗師・冬狐堂」へのリンクはない。しかし、今回の五篇の謎の解き方(民俗学的解釈と探偵小説的解決の重ね方)には、宇佐見陶子が初参入した「双死神」での荒業のような、従来の枠に縛られない大胆な手つきが感じられないだろうか。だとすれば、作者が蓮丈シリーズにおいて、本格ミステリーとキャラクター小説のハイブリッドをあの手この手で試していたことの裏付けになるはずだ(ちなみに前記エッセイ「密室からの脱出」が発表された時期は「不帰屋」と「双死神」のインターバルに相当する)。三國の自虐描写が増えているのも、そうした試行の一環だろう。
さらに最終話「御蔭講」で、
シリーズ作品を発表順に読んでいく
最後にもうひとつ、本書の連作短篇集としての小粋な仕立てについて触れておきたい。北森作品には『メイン・ディッシュ』『共犯マジック』を始めとして、「連鎖式」と呼ばれる手法(独立した複数の短篇がリンクして、最終的に一本の長篇のごとき物語を浮かび上がらせる趣向)を取り入れた短篇集がいくつもある。「連鎖式」にはエピソードごとにタッチを変え、さまざまな語り口を盛り込めるという利点があるのだが、蓮丈シリーズの本書にはそれとは少し異なった趣向が凝らされている。連作の各篇で民俗学的なモチーフがバトンリレーのように受け渡しされる、という高等テクニックだ。
例を挙げると、「秘供養」の終盤で言及される仏像の分類が「大黒闇」のヒンズー教の神々のランク付けにつながり、「大黒闇」の鉄器文明に関する考察が……(以下略)という具合。そして、最終話「御蔭講」の民俗学的アイデアは思いがけない形で巻頭の「秘供養」にリンクするけれど、これはいわゆる「連鎖式」のどんでん返しとはひと味ちがう、らせん状の解釈ループめいた仕立てになっているようだ。『触身仏』という本がいわく言いがたい、独特のオーラをまとっているのは多分そのせいだし、パターン化したどんでん返しに飽き足らない作者にとっても、本書の締め方は会心の出来だったのではないか。
作品紹介・あらすじ
触身仏 蓮丈那智フィールドファイルII
著 者:北森 鴻
発売日:2024年04月25日
答えはない。意味もない。 民俗学は死に向かっている学問だ。
フィールドワークで災難や殺人事件に遭遇する民俗学者が存在するのか? 蓮杖那智の助手・内藤三國は、毎度の無理難題、考察に翻弄され疲弊する日々。東北地方の山奥に佇む石仏の真の目的。死と破壊の神が変貌を繰り返すに至る理由。海幸彦・山幸彦の伝説と死者の胃の中の曲玉の関係。即身仏がなぜ塞の神として祀られたのかを巡る謎。孤高の民俗学者が奇妙な事件に挑む5篇を収録。連作短篇の名手が放つ本格民俗学ミステリ!
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