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レビュー

数奇な道を辿りながら、一途に生きた女性を描く長編時代ロマン――『雷桜 新装版』宇江佐真理 文庫巻末解説【解説:北上次郎】

数奇な運命を辿った遊の凛とした生涯を描く、時代劇版ロミオとジュリエット。
『雷桜 新装版』宇江佐真理

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。



『雷桜 新装版』文庫巻末解説

解説
北上次郎(評論家)

 美しい小説だ。胸に残る小説だ。
 この小説のもっとも美しいシーンを引く。それは、馬に乗った二人が山から降りてくる場面だ。馬上にいるのは、斉道と遊。斉道が背後から遊をき抱き、遊は首をねじ曲げて斉道の唇を受ける。傾きかけた夕陽がその二人にあかねいろの光を浴びせ、その光のシャワーの中に斉道と遊が浮かび上がるシーンである。絵のように美しい。
 本書のラスト近くに出てくるシーンをいきなり引いてしまったが、読み終えてもこの美しさが残り続ける。この一幅の絵を描くために本書があると言っても過言ではない。それまでのストーリー、人物造形、そして構成にいたるまで、すべてがこのシーンに集約されている。
 なぜこのシーンが美しいかを語るためには、本書のストーリーをいくぶん紹介しておかなければならない。小説を読むことの喜びは、何が書かれているかを知ることにもあると思うので、なるべくならストーリーは紹介したくないのだが、この場合はそうも言っていられない。したがって、この先は本書を読了してからお読みになることをおすすめしておきたい。美しい小説がお好きな方なら、そして、人が人を愛することの切なさと喜びを描く恋愛小説がお好きな方なら、絶対にたんのうできるはずなので、ストーリーは知りたくないと思われたら、この解説は先に読まれないように、と書いておく。
 では、いいですか。まず、遊という少女の特異性がある。この少女は庄屋の娘に生まれながら、初節句の夜に何者かにさらわれてしまうのである。で、十五年後に突然、山から降りてくるのである。その姿は「長い髪を後ろで一つに束ね、つつそでの上着、たっつけばかま、袖なしを重ねている。草鞋わらじを履いた素足は黒く汚れていた。若者はまだ夏の季節には早いというのに、すでにけした顔をしている。しかし、くっきりした眼、濃いまゆ、鼻筋は通り、きっと引き結んだ唇はかすかに桜色をしていた」というもので、つまり誰が見ても女性には見えない。父親に会っても、「おれはらいという名であるが、昔々は遊と呼ばれていたそうじゃ。ぬしの息子で助次郎という者がおろう。おれの兄者だと言うた。その話はまことかどうか、ぬしに確かめに来た」と、男のような口調なのだ。
 だから、帰ってきたものの、里の暮らしになかなかめない。なにしろ、陽灼けだと思っていたら積年のあかだったと母親が驚くくらいで、ようするに体の洗い方も満足に知らない山育ちである。男のような口調もかわらず、愛馬に乗っては駆け回るので、「おとこ姉様」と呼ばれたりする。この特異なヒロイン像が一つ。
 もう一つは、斉道の事情だ。この男はなんと、将軍家斉の十七男である。どうしてこういう男が遊と一緒に馬上にいるのかというのが、この小説の最大のミソなのだが、もちろん理由がある。この青年は気の病で時々発作を起こすのである。家臣にいきなり刀を向けたりするから、清水家の用人榎戸角之進も休まる暇がない。この斉道は、のちに紀伊五十五万石の殿様となるのだが、その直前、遊のいる里に静養にやってくるのは、遊の兄助次郎が、斉道を当主とする御三卿清水家のちゆうげんとして雇われていた縁にほかならない。助次郎から幾たびか、遊の話を聞いていた斉道がどうせ静養に行くなら助次郎の村に行きたいと言いだして、お忍びの旅が始まり、かくて二人はかいこうする。いや、この二人を邂逅させるために、作者がこのように周到な舞台を作り上げたということだ。
 ようするに、山育ちの「おとこ姉様」と、わがまま放題の青年殿様の出会いである。二人がそうなってしまったのにはそれぞれ事情があり、同情の余地はあるけれど、身分も性格もまったく不釣り合いの二人といっていい。最初の出会いは井戸の脇。「そちは誰だ」と見知らぬ若者に声をかけられ、その物言いにむっときた遊は、「ぬしは礼儀知らずだの。おれが誰かと問う前にぬしから名を名乗れ。おれが応えるのはその後だ」と対するから、穏やかではない。こうして運命的な出会いをするのである。
 馬上のシーンが美しいのは、本来なら出会うべきではない二人が出会ってしまい、それぞれの事情から心を閉ざしていた二人が、山の自然の中で心を開き、結ばれていく姿がそこに集約されているからである。私たちが日々の暮らしの中で忘れてしまいがちな、人を恋することで自分を開放していく充実感が、ここにあるからである。それを、世界を肯定する力、と言い換えてもいい。だから、たとえようもなく、美しい。
 この小説には他にもさまざまな趣向が凝らされている。そのことも指摘しておかなければならない。そもそも、遊がなぜさらわれたのかという謎があるのだ。その背景も作者は周到に作り上げているが、これ以上は本書をひもとかれたい。
 宇江佐真理にとって本書がきわめて異例の作品であることにも触れておく必要がある。オール讀物新人賞を受賞した『幻の声』から始まる「髪結い伊三次捕物余話」シリーズ(伊三次とお文の関係はいったいどうなるんだ!)に代表されるように、宇江佐真理の作品には江戸下町を舞台にした人情小説が少なくない。この傑作シリーズ以外でも、岡っ引き稼業を描く『泣きの銀次』、代書屋五郎太を主人公にした『春風ぞ吹く』、そして武士の世界を描く『余寒の雪』、ええい、まだあるな。『あやめ横丁の人々』『深川恋物語』と人情味あふれる作品が数多い。思いつくまま書名をあげているだけで、まだまだ作品はあるが、宇江佐真理のすごさは、そのどれもが傑作であることで、こういう作家が数少ないことは書いておく。特に、「髪結い伊三次捕物余話」シリーズから一冊選べ、と言われたら絶対に頭をかかえてしまうだろう。
 それはともかく、宇江佐真理はいつも、男と女の、家族の、淡く哀しいつながりを、人情というスパイスをかけて実に巧みに描きだすのである。そういう作品群を一方に置くと、この『雷桜』はきわめて異色の作品といっていい。隣接する二つの藩の、ちょうど境界に位置したために瀬田村をめぐる争いがあり、その庄屋の娘に生まれた遊の悲劇があり、そして一方に気の病で発作を起こす斉道の悲劇がある。すなわち、ストーリー性の濃さが際立っている。さらに、複雑な舞台を作り上げたあとはまっすぐに二人を対面させること。つまり、ある種のシンプルさが、この物語に絶妙な強弱のリズムを与えている。結果として、せき的な恋愛物語が現出するから、計算されつくした長編といっていいが、複雑でありながらシンプル、というのはこの作家にとって異例なのである。
 ともあれ、この恋愛物語をたっぷりと堪能されたい。まったく、絶品である。

※本解説は、二〇〇四年二月に小社より刊行した文庫『雷桜』に収録された解説をもとに加筆したものです。

作品紹介・あらすじ



雷桜 新装版
著 者:宇江佐真理
発売日:2024年02月22日

数奇な道を辿りながら、一途に生きた女性を描く長編時代ロマン
何ものにも縛られない自由な娘・遊と将軍家斉の息子・斉道の運命の恋――。

江戸から西へ、三日ほど歩いたところにある瀬田村。そこの庄屋の愛娘・遊は、乳飲み子の頃にさらわれた。15年の時を経て、遊は狼女となって帰還する。一方、家斉の息子・斉道は、身体も弱く、癇癪持ちということもあり、気難しい性格をしていた。ある日、転地療養ということで瀬田村が選ばれ、斉道一行が訪れる。庄屋を訪ねていた斉道が出会ったのは、自由に生きる遊だった。やがて、二人は惹かれ合っていくが――。数奇な運命を辿った遊の凛とした生涯を描く、時代劇版ロミオとジュリエット。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322307000517/
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