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レビュー

何気ないひと言が、殺人鬼を生んだ――。貫井ミステリの最高峰!――『悪の芽』貫井徳郎 文庫巻末解説【解説:石井光太】

誰の心にも兆す“悪”に鋭く切り込んだ、傑作長編ミステリ!
『悪の芽』貫井徳郎

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。



『悪の芽』文庫巻末解説

解説
いし こう(ノンフィクション作家)

 読者の中に、「自分はいじめとは完全に無関係だった」と言い切れる人はいるだろうか。あるいは、子供の頃に誰かを傷つけた経験はなかったと断言できる人はいるだろうか。
 ほとんどの学校でいじめは起きている。直接手を下していなかったとしても、被害者の側からすれば、傍観者もまた加害者の一人である。また、何気なく発した言葉、とった行動が、予期せぬところで他者の心をえぐっていることもあるだろう。
 私たちはみんな心のどこかにそんな〝原罪〟を抱えているが、日頃はほとんど意識することはない。だが、何年か後に、被害者の身に何か大きな出来事が起きた時、突如としてその記憶がよみがえり、人生を大きく変えることがある──。

 本書は、都内で開かれたアニメコンベンションの会場で、四十一歳の無職の男性・さいひとしが無差別殺人事件を起こすところから幕を開ける。参加者の列に向かって十本近い火炎瓶を投げつけ、多数の死傷者を出したのだ。
 主人公は、三十年前に斎木と同級生だっただちしゆうだ。有名な銀行に勤めている彼は、このニュースを目にした瞬間、苦々しい過去を思い出す。彼は小学校時代に斎木の名前をもじって「斎木」と呼んだことがあり、それが発端となってクラスの中で斎木に対する陰湿ないじめが幕を開けたのだ。数カ月後、斎木はそれが原因で不登校になる。
 安達は、斎木が無差別殺人を起こしたのは小学校時代のいじめが原因ではないかと考え、その足跡をたどりはじめる。そして不登校がきっかけとなり、斎木が社会の隅で「ひきこもり」「ブラック企業の犠牲者」「ワーキングプア」として生きていく中で、社会への憎悪を膨らましていったことを知るのである。
 安達と同じく、斎木の周りの人々も事件を契機に人生が変わっていく。かつていじめに加担しながら今は幸せな日々を送る元同級生、わが子が不登校になった後も助けられなかった斎木の両親、事件で子供を殺害された遺族なども、事件といじめの因果関係について目を向けざるをえなくなる。
 なぜ、斎木は大量殺人事件を起こしたのか。あの時に自分は何ができたのか。そして今、何をすべきなのか。あらゆる人たちが斎木の心の闇に足を踏み入れ、怒り、悲しみ、後悔にもがき苦しむのである。

 本書を読み進めていく中で私の脳裏をよぎったのは、実際に起きた事件を取材する過程で知り合った大勢の関係者たちだった。
 私はノンフィクションの書き手として、これまでたくさんの殺人事件を調べ、ルポにまとめてきた。通常、大きな事件が報じられた時には、容疑者は身を隠しているか、すでに警察に逮捕されているかしている。そのため、事件の詳細を明らかにするためには、容疑者の周辺の人間関係を調べ上げ、一人ひとりに会って話を聞くことになる。
 容疑者の関係者とは、家族、友達、同級生、同僚、恩師といった人たちだ。聞き取り、卒業アルバム、名簿、SNS、電話帳、裁判傍聴などいろんな方法を駆使して関係者を見つけて連絡を取り、話を聞かせてもらったり、資料となるものをもらったりするのだ。それによって容疑者の人物像を浮かび上がらせ、事件が引き起こされたプロセスを描いていく。
 取材において金品の供与は基本的には行わない。おそらく取材経験のない人は、それならなぜ容疑者の関係者が、私のような第三者のインタビューに応じるのかと疑問に思うかもしれない。
 関係者が取材を受ける明確な理由がある。それは彼らが一つの共通の感情を持っているためだ。たとえば、ある児童虐待死事件の加害者の友人は、インタビューに応じた動機をこう話していた。
「彼(容疑者)が事件を起こした背景には、自分も何かしらの形でかかわっているかもしれない。だからこそ、止められなかったのが悔しい。今でも遅くないので、知っていることをすべて話すので事件がなぜ起きたのかを明らかにしてほしいです」
 他の関係者も同じだった。元担任の教師は「あの子を中学時代に不登校にさせてしまった自分のせいかもしれない」と語っていたし、実の父親は「自分が離婚をしたことも一因だろう」と語っていた。妹は「自分がもっとやさしい言葉をかけなかったのがいけなかった」と悔やんでいた。
 彼らは自分なりの視点で事件との関係性を見いだし、苦しんでいたのである。ゆえに、私のような取材者に自分の知っていることを赤裸々に打ち明け、代わりに実態を明らかにして社会に役立ててほしいと考えるのだ。彼らなりの「しよくざい」なのである。
 では、事件が起きたのは、彼らの責任だったのか。これは、非常に難しい問いだ。事件は容疑者がたどってきた人生の産物として起こるものであり、一つの要因に絞られるわけではない。それでも、彼らが何かしらの影響を容疑者に与えているのも事実だ。
 冒頭で私は〝原罪〟という表現を用いたが、それは生きることと他者に影響を与えることが同義だという意味においてだ。事件でも、事故でも、災害でも、予期せぬことが起きた時、私たちはその原罪を突き付けられる。

 本書のタイトル「悪の芽」は、犯罪の要因としてのほうであり、すべての人はそれに加担してしまう可能性があることを示している。
 私たちはその原罪から逃れることはできないのだろうか。世の中の悪の芽とは無縁ではいられないのか。
 私はそうは思わない。少なくとも、事件取材で出会った容疑者の周りにいた人たちの決断は異なっていた。
 前出の児童虐待死事件において、容疑者を不登校にしてしまったと悩む元担任の教師は、その後、元不登校の生徒が多く通う定時制高校の管理職となり、先頭を切って不登校を減らす取り組みを行った。毎日、校門の前で生徒にあいさつをし、学校運営に支援団体を組み込み、卒業生のアフターケアを行う仕組みを作ったのだ。
 容疑者の妹は、事件を機に家族と頻繁に言葉を交わすようになっただけでなく、こども食堂にボランティアスタッフとしてかかわるようになった。自分の家族だけでなく、地域の幼い子たちが健全に育つようにと活動をはじめたのである。
 元担任の教師はそれをした理由を次のように語っていた。

「後悔ですよ。もっと自分にできることがあったんじゃないかっていう後悔です。でも、教師をやる限りずっとそれはついてくることだと思うんです。それなら、たとえこの先に同じことが起きても、後悔しないことをやっていこうと思ったんです」

 本書を読み進める中で私の胸を打ったのは、登場人物たちが事件とかかわったことで自分の考え方や生き方を変えていくところだ。
 会場に居合わせたことで事件の一部始終を動画に撮影し、ネットに流した大学生・かめたにそう。彼は事件を多くの人に伝えようと動画投稿にのめり込むが、途中でその影響力の大きさに気づき、ある決断をする。
 かつての斎木をいじめた同級生のかべともは、過去を後悔する中で、自分の子供も学校で起きているいじめに悩んでいることを知る。そして息子にあることをする。
 被害者の遺族であるなりあつは、斎木が事件を起こした背景にいじめがあるという情報をつかみ、加害者の一人である安達を特定する。ネットに彼の個人情報をさらす直前、ある心境の変化が訪れる。
 彼らが事件と向き合う中でどのような選択をしたのか。主人公の安達が最後にどんな光景を目にしたのか。本書を最後まで読んだ人なら、それがわかるだろう。
 人は原罪を抱えて生きていくものだ。だが、それによって悪の芽を育てることもできれば、あらがって別の芽を育てることもできる。私たちは社会にどんな種をくべきなのか。
 本書は、そんな問いを感動と共に投げかけてくれる。

作品紹介・あらすじ



悪の芽
著 者:貫井徳郎
発売日:2024年01月23日

何気ないひと言が、殺人鬼を生んだ――。貫井ミステリの最高峰!
大手銀行に勤める41歳の安達は、無差別大量殺傷事件のニュースに衝撃を受ける。40人近くを襲ってその場で焼身自殺した男が、小学校時代の同級生だったのだ。あの頃、俺はあいつに取り返しのつかない過ちを犯した。この事件は、俺の「罪」なのか――。懊悩する安達は、凶行の原点を求めて犯人の人生を辿っていく。彼の壮絶な怒りと絶望を知った安達が、最後に見た景色とは。誰の心にも兆す“悪”に鋭く切り込んだ、傑作長編ミステリ!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322303000874/
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