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大河ドラマで注目。三舟の才人、天下無双の歌人の生涯に迫る。――『藤原公任 天下無双の歌人』小町谷照彦 文庫巻末解説【解説:谷知子】

政界の頂点を断念し、宮廷のカリスマとして文化面の指導的地位に立った生涯を、研究の第一人者が描く人物評伝。
『藤原公任 天下無双の歌人』小町谷照彦

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

藤原公任 天下無双の歌人』著者:小町谷照彦



『藤原公任 天下無双の歌人』文庫巻末解説

解説
たに とも(フェリス女学院大学教授)

滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
(滝の水音は、絶えてから長い年月がたったけれども、その名声は今も世間に流れ、聞こえてくることよ)

百人一首』にえらばれた藤原公任の一首である。実にうまい、れの歌である。滝の音は絶えて久しいと言いながら、「鳴り(「成り」のかけことば)」「流れ」「聞こえ」と、「滝」の縁語を駆使して、和歌のことばによって滝の水を流し、音をたててみせたのだ。この歌は、長保元年(九九九)九月十二日、左大臣藤原道長が嵯峨に遊覧し、公任も同行、大覚寺(現在の京都府右京区嵯峨大沢町)滝殿で詠まれたという。大覚寺滝殿は、嵯峨天皇の御所があった名所だったが、道長一行が行ったときには滝水はすっかりれていた。そこで公任は、和歌の中で過去の滝の水音をよみがえらせたのだ。さすが、とうならせる一首だ。
 公任の才は和歌に限らない。いわゆる「三舟の才」である。本書第一章から引用しよう。舞台は嵐山。一行の主はやはり道長である。大井川に漢詩・かんげん・和歌の三つの舟を仕立て、それぞれ得意なものに乗せて、才芸を競わせた。

同行の人びとは公任に注目した。公任は漢詩・管絃・和歌のいずれにもたんのうだったからである。

 道長がどの舟に乗るかとたずねると、公任は和歌の舟を選んで、見事な歌を詠んで人々を感嘆させたという。その歌が次の一首である。

朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉のにしき着ぬ人ぞなき
(朝がまだ早く、嵐山は寒いから、山風で散る紅葉の錦を着ない人はいない)

「嵐の山(嵐が吹く山)」に地名の「嵐山」を掛け、散りかかる紅葉を「錦の衣」に見立てるという凝った趣向を用いながら、歌全体はすらりとした自然体で、やはりこれまた熟練の技である。
 公任の功績は和歌にとどまらないが、やはりその筆頭は、天下無双の歌人としての業績だろう。本書第一章から引用すると、『拾遺抄』の撰集、秀歌撰『三十六人撰』、歌学書『新撰髄脳』、私家集『公任集』と枚挙にいとまがない。三才のうちの漢詩文については、作文会での作詩、『和漢朗詠集』(和歌も)があり、音楽については、管絃の名手としての数々の逸話を有し、風俗歌、仏教音楽にも通じていたとされる。三才以外にも、書にも優れ、ゆうそく故実に通じ、名著『北山抄』を著わすなど、まさに才人である。
 しかも、公任は、本書第二章に詳しいように、名門出の貴公子であった。とすると、さぞや公任は栄華を極めたに違いないと思われるだろう。しかし、公任が生きた時代には、たぐいまれな政治家道長がいた。本書は「三舟の才人、天下無双の歌人」にひき続き、「権力者をめぐる惑星」と、もう一つの公任の顔を描きだしてゆく。華麗なる家系に生まれ、人並みはずれた能力を持ちながら、巨星(道長)をめぐる惑星のような人生を余儀なくされた公任。同時代の藤原実資には道長への追従と映ることもあった(『小右記』)。しかし、道長と正面切って争うには、公任は賢明すぎた。道長が栄華の絶頂に到達した時代には、「ひたすら道長の賛美者となり、文化面での担い手としてわが道を進んでいく」道を選んだと小町谷氏は言う。しかし、その内面には様々なかつとうがあっただろう。本書は、そのあたりの心のひだにまで分け入って、生々しい描写がなされ、読者はぐいぐいと引き込まれてゆく。
 小町谷氏は、人間に対して強い関心があるのだろう、道長以外にも多くの人物との交流が描かれていて、本書の大きな魅力の一つとなっている。和歌、日記、説話など諸資料を縦横無尽に引用しながら、登場人物の心にも分け入ってゆく。リアルかつ立体的な人物像の描き方はまるでドラマや映画を見ているような面白さがある。公任失意の時代で言えば、「公任の態度はどうも楽天的であったようである」「痛烈なしっぺい返しだった」「公任にはこくな運命を強いることになった」などと、現代人の共感を誘う表現がちりばめられている。
 また、公任の時代は、女房文化が栄えた時代である。第一章には、紫式部、清少納言といった才女たちが登場する。清少納言との交流は「当代の才子才女の機知くらべ」「おたがいにぜつぽうがさえたやりとり」と表現し、紫式部も「公任に一目おいていた」と指摘する。和泉式部も、公任の白河の別荘を訪問して、歌の贈答をしていたという。

公任の機才がもてはやされて、宮廷社会の花形になっていたことが、これらの才女たちとの交渉から、うかがい知られるのである。

 また、藤原実資、道信、実方、為頼らとの交流も、主に私家集の贈答歌を読み解きながら、その実態を解き明かしていく。研究者にとって初見の内容も多く、一条朝の人間関係や文化のありようが見事に描き出されている。圧巻とも言うべき箇所である。
 小町谷氏は、公任を次のように総括する。

公任は個の叙情を歌う歌人というよりも、ひとつの時代の文学を担った指導者だったのであり、そのカリスマ性に意義があったといえよう。(略)公任の生涯は、歌人・歌学者という枠にとどまらず、政治家・才芸者といった大きな足跡のものであった。

 さらに、道長との関係については、次のように締めくくる。

公任が才芸者として多角的な活動ができたのは、一条天皇の聖代、道長という大政治家の存在と、王朝文化の黄金時代に生まれあわせた幸運にも恵まれていたのであろう。大舞台に大役者が立ったのであり、その活躍の幅広さは、現代の多能な文芸家たちと似通うものがあるかもしれない。

 これはまさしく愛のことばである。公任の生涯に対する最高のさんだと思う。小町谷氏の修士学位論文は公任がテーマだったという(倉田実編『小町谷照彦セレクション2 拾遺和歌集と歌ことば表現』花鳥社)。本書は、きわめて優れた研究者である小町谷氏が、長年の研究に基づき、愛をこめて社会に送り届けた、最も優れた「藤原公任」論である。

作品紹介・あらすじ



藤原公任 天下無双の歌人
著:小町谷照彦
発売日:2023年10月24日

大河ドラマで注目。三舟の才人、天下無双の歌人の生涯に迫る。
百人一首の「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」の歌で著名な藤原公任。栄光の家系に生を受け、有職故実に造詣が深く、音曲・漢詩・和歌などの風流文事に優れた才能を発揮した。社交の花形として活躍したが、政治家としては巨星・藤原道長をめぐる惑星の存在にとどまった。政界の頂点を断念し、宮廷のカリスマとして文化面の指導的地位に立った生涯を、研究の第一人者が描く人物評伝。解説:谷知子

第一章 三舟の才人、天下無双の歌人
第二章 栄光の家系
第三章 得意と失望とのはざま
第四章 権力者をめぐる惑星
第五章 栄華の余光
第六章 憂愁の晩年

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322306001004/
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