波乱の相場を生き抜いた経済小説の先駆者。清水一行不朽のデビュー作!
『小説 兜町』清水一行 文庫巻末解説【解説:佐高信】
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『小説 兜町』清水一行
『小説 兜町』清水一行 文庫巻末解説
解説
横浜国立大学経済学部で「企業と人間──経済小説の世界」という講義をしたことがある。半年間の特別講義を終えるに当たって、試験がわりに「経済小説にみる企業と人間」というレポートを提出してもらった。
「何か経済小説を読んで、その中における企業と人間をさぐってほしい」と言ったのだが、城山三郎と並んで清水一行の作品が多かった。
中に、城山と清水を比較して論じているレポートがあり、それによると「城山作品からは背広の香りがするのに対し、清水作品からは脂ぎった腕の毛穴から噴き出す汗の臭いがする」という。
城山作品には、〝酒〟や〝女〟といった「男の遊び」の部分が欠落しているが、それがリアリティを薄くしている。城山の潔癖性と清水のえげつなさを雑誌にたとえると、「さしずめ、『プレイボーイ』とビニール本といったところだろうか」と、この学生は書いていた。全面的に賛成するわけではないが、この指摘は両者の違いを端的にとらえている。
さて、数多くの清水の小説の中で、「第一に読むべき作品は」と問われたら、私はためらいもなく、この『小説
日本推理作家協会賞を受けた新幹線公害の『動脈列島』、日本経済の闇を食う手形パクリ屋などを扱った『虚業集団』等、十指に余る清水の秀作の中で、この作品をまず挙げるのは、これが清水のデビュー作だからでもある。
一九六六年春、この作品が三一新書として出た時、清水は水上温泉にいた。当時30代半ばだった清水は週刊誌のトップ屋をやっていて、仲間と一緒に〝骨休め〟のドンチャン騒ぎをしていた。そこへ、三一書房の担当者から興奮した口調の電話が入る。
「すごい売れゆきだ。昨日出て、もう今日増刷だ」
1万8千部からスタートして、増刷が5千部。合計2万3千部だから印税も大分入るぞと、騒ぎに拍車をかけて帰って来たら、さらに増刷でまた増刷で、アッという間に20万部超えのベストセラーになった。
同じころ、朝日新聞の1千万円懸賞小説に三浦綾子の『氷点』が入選して出版され50万部もいったので、その陰に隠れた形になったけれども、水準以上の大当たりだった。こうして、刺激的な作家、清水一行はデビューする。
これ以後、清水は『買占め』、『虹の海藻』とたてつづけに兜町小説を発表した。
山陽特殊製鋼の倒産に端を発して、山一證券が経営危機に陥り、日本銀行がその山一に無担保、無制限の特別融資をした昭和40年不況の翌年に出された『小説 兜町』は、沈みきっていた証券界に火をつけた。特に、立ち直りのキッカケを求めていた山一證券では、一度に千冊も買って、社員に配った。この作品を貫く激しいスピリットがカツを入れると思ったのだろう。
「兜町」について、清水はこう書いている。
「昨日の勝利者が今日は敗残の身を陋 屋 に潜める。株の世界とはそういうものだ。カネが乱舞し、ある人間の人生が、ほんの短い時間に燃えつきる。だが、一度、この〈シマ〉の妖しい雰囲気にひたった者は、そこから抜けきることはない。
兜町──そこは、日本資本主義のメッカ。よくも悪しくも、この世界は日本経済の動向を敏感に反映してきた」
清水は、一九五八年から一九六一年にかけての「岩戸相場」という株式ブームの中の資本の動きを描く目的で書き出したのだが、いつのまにか、主人公とした山鹿悌司の生きざまに主題が移っていった。
山鹿のモデルは当時の日興証券営業部長、斎藤博司。清水によれば「生き方に熱気を漲らせた本物の男」だった。
一九一五年生まれのその斎藤に会ったことがある。一九八二年にフリーになった私は、まもなく『夕刊フジ』に「実と虚のドラマ──経済小説のモデルたち」という連載を始め、清水の紹介で、70歳目前の斎藤に取材したのである。頭髪は薄くなっていたが、大柄で迫力があり、声の張りもまったく失われていなかった。
しかし、かつての「日本中をブンまわすような大活躍」については一段と声を大きくして語りながら、日興証券を追われた経緯は「ボクの口からは言いたくない」と口を閉ざした。
「兜町最後の相場師」と呼ばれ、株屋から証券会社へと〝近代化〟する時流に抵抗して大勝負をかける山鹿こと斎藤のような存在を、大証券は必要としなくなっていた。その転換の決断を下したのは、のちの日興証券社長、遠山元一で、『小説 兜町』では大戸元一となっている。
斎藤は退社後、『日刊スポーツ』で「株式実践道場」を開いたが、道場開きに当たって清水は次のような推薦文を寄せた。
「とにかく熱気があり、株が好きで、株をやるために生まれてきた人といえる。だからこそ年齢に関係なく、いまも活躍していられるのだろう。株が上がる下がるということには必然性があるが、リーダーによって、より相場が大きくなる。その力のある、大爆発を起こせる人だ」
一九五八年から一九六一年にかけて、斎藤は連戦連勝、70銘柄を当て、双葉山の69連勝もオレには及ばない、と豪語していた。その勝利銘柄の1つに本田技研がある。
『小説 兜町』には、本田技研の社長の「本田宗助」が、浜松で芸者遊びをしながら、「うちの株は千円以上になる」という場面がある。
当時、本田宗一郎が社長の同社は辛うじて破局を乗り切った、全国に400近くあるオートバイ会社の1つに過ぎなかった。しかし、斎藤はこの「ガラッ八だけど遠慮のない、そして欲のない」本田に惚れ込み、本田株を推奨しつづけた。この株は、ストップ高を幾日も続けるかと思うと、一転して大暴落もするような波のある株だった。藤沢武夫とコンビを組んで、自分の会社の発展に命を懸け、火の玉のように
斎藤のこうした相場の建て方、持って行き方、利食い方を、モデルの斎藤自身が感心するほどの迫力で描き切った『小説 兜町』は、それこそ〝ストップ高〟のような売れ行きを示した。作者の清水自身が、株のことを熟知した〝相場師〟だったからだろう。
それに水を差すように、思わぬところから強烈な反発がやってきた。主人公が奥さんを捨てて若い女のもとへ去るこの小説に、斎藤夫人がカッとなったのである。
本ができてまもなく、20冊ほど持って勇んで斎藤宅を訪ねた清水は、夫人から玄関払いをくわされた。こんなウソを書かれては、子どもたちにも影響がある、ということだった。
「おもしろくも何ともないほど生真面目なウチの人を、どうしてこんなふうに書いたのか」と詰め寄られて、清水はビックリして、「今日はこれで帰ります。いずれ、また、ごあいさつに」と斎藤宅を後にした。
そして、小説をおもしろくするために書いたのであって他意はないのだからという手紙を斎藤夫人に出した。
夫人はこれを大事にしている。下町育ちでハキハキした夫人は、「私も若かったから」と笑いながら、「しかし、勝負師の家は大変なんですよ」ともらした。その声にズシリとした実感がこもっていた。
いま、兜町には勝負師はいない。いや、勝負師には住みにくい世界になったのだ。
「シャクにさわって、シャクにさわってしょうがない」
と斎藤は憤激した。
「大蔵省(現財務省)の行政指導が厳しすぎて、このままでは兜町は死んでしまう。アレもやっちゃいかん、これもやっちゃいかんと、禁止規定ばっかりだ」
作品紹介・あらすじ
小説 兜町
著者 清水 一行
定価: 946円(本体860円+税)
発売日:2022年09月21日
波乱の相場を生き抜いた経済小説の先駆者。清水一行不朽のデビュー作!
魚のブローカーから一転して興業証券へ再入社する。37歳の山鹿悌司の転身は、「兜町最後の相場師」へのスタートとなった。入社から2年後、株式市況の悪いなか、新設された投資信託販売特別班長の1人に山鹿は抜擢された。まったくの素人にもかかわらず、独自の発想と勘で金融機関から大口の注文を集めた山鹿は、たちまち兜町で頭角をあらわしていく――。相場を生き抜いた男の、波乱万丈の半生を描いた経済小説の金字塔!
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