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宮部みゆき流江戸怪談「変わり百物語」シリーズの新章「富次郎編」は早くも絶好調を迎えたようである――『黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続』宮部みゆき 文庫巻末解説【解説:小松和彦】

宮部みゆきのライフワーク、語り手を新たに新章スタート!
『黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続』宮部みゆき

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続』宮部みゆき



『黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続』宮部みゆき 文庫巻末解説

解説
まつかず ひこ

 本巻は、『三島屋変調百物語』すなわち「変わり百物語」シリーズの六巻目にあたる。百物語とは、数人が不思議な話を持ち寄って順番に語り、一話ごとに一本ずつ百本のロウソクの火を消してゆくという怪談会のことだが、参加者の一人ひとりにどのような意味や効果があったのかは判然としない。肝試し、暑気払い、夜長の暇つぶし……。
 著者はその効用を、シリーズの三巻目『泣き童子』の第四話「小雪舞う日の怪談語り」のなかで、怪談会の主催者・浅草蔵前の札差・づづしちろう衛門もんの口を借りて、次のように述べている。じんにまみれ、金のあかに汚れた商人の「心のすすはらい」をするには、家屋敷の煤払いをするように、「怪談語り」をするのがもっとも効果がある。「怪談語りをいたしますと、種々のお話を通して、神仙の御力、あるいはあやかしの不思議や恐ろしさに、おのずと身が引き締まることは確かでございます。人の知恵や理屈の届かぬ出来事を聞き知り、人の身の分際をわきまえる。こんぱく震えてちりが落ち、我欲滅して気が澄み渡る。」
 しかし、このシリーズでは、百物語のこうした「効用」を踏まえながらも、変わった趣向になっている。神田三島町の袋物屋・三島屋の黒白の間に、心に「汚れ」や「闇」を抱えて持ち、それによって「あやかし」を生み出してしまった経験を持つ語り手たちを一人ひとり招き、「語り捨て、聞き捨て」という条件のもと、怪談を語ってもらうのである。
 五巻目までのこの聞き役は三島屋の主人・めいの「おちか」で、彼女は幼なじみのいいなずけの尋常でない死に方に深く傷つき苦しんでいたのだが、おちかを預かった伊兵衛が「おちかの身に起きたことは度はずれた不幸だが、不幸比べをするなら、世の中にはもっと過酷なことだってあろう。それでも生きていくのが人というものだ。おちかなら、きっとそれを体得する日がくるだろう」と考え、この「変わり百物語」を思いついたのであった。
 おちかが「変わり百物語」を聞くうちに学び取ったのは、信じがたいほど過剰なまでに暴走する「人のじよう」であった。おんねんしつせんぼう、色欲、物欲、金銭欲、悲哀、心の弱さ等々。それをきっかけに生じた人間関係のゆがみや心の隙を狙って「あやかし」が入り込み、そして「怪異」が発生する。そうなのである、怪異の温床は、人の心の内にあり、それが表に出てきて形になったとき、どこでも、いつでも、怪異空間・怪異現象となるのだ。そこは、この世でもない、あの世でもない、異常な情念がそのあいだに生み出す、いわば水面の泡のように浮沈する、幻のようなもう一つの「異界」である。すなわち、怪談を語ること、聞くことは、怪異空間・怪異現象を再現し、その世界を追体験することに他ならなかった。聞くたびに出現する怪異・異界現象は、あるときは人であり、家であり、鏡であり、またあるときは書物、山や城等々、さまざまであった。
 おちかは、他人が語る怪談を聞き、驚き、怖れ、時には語り手に同情し、さらにはそこから生じる怪異世界にいざなわれながらも、そこにみ込まれることなく「心の煤払い」を重ね、ついに聞き役をなんとか勤め上げて、めでたく嫁入りして行った。
 留意したいのは、そこには、つねに「あの世とこの世のあいだを行ったり来たりしながら、欲しがる人には欲しがるものを売り、売りたがる人には買い取る」という、裕福な身なりの裸足はだしの、この世の者ではない「男」が寄り添っているらしい、ということである。この男は、一巻目の第五話「家鳴り」の終わりの箇所、人を呑み込んで生気を取り戻す「安藤坂の屋敷」から、おちかたちが辛うじて逃げ出したときに現れた「怪しい男」である。「あなたは何者か」と問うおちかに、「怪異を物語る場に来たがる連中をただ案内しただけだ」と告げ、次のような、とても意味深な言葉を残して去って行った。「おちかさん。あんたとはまた会う機会がありそうだ。ええ、何度でもお目にかかるでしょうな。あんたの話は終わっちゃいない。私とあんたの商いは、この先、まだまだ続くでしょう」楽しみだ。腹の底から楽しみです。
 この男はいったい何者なのだろうか。怪談の語り手をあつせんする口入屋のとうあん老人の分身? 変わり百物語自体の精? それともひょっとして著者の分身? その判断は、読者に委ねられているわけだが、それを解く手がかりがないわけではない。おちかの祝言が行われていた日、酔い覚ましに宴席を離れて外に出た伊兵衛の次男・とみろうの前に、富次郎にとっては初めての出会いとなった「あの男」が現れ、「おちかの嫁入りを聞いて、いささか縁があったので、御祝いを述べるためにやって来た」と言づけて去っていったからである。これは、これまで寄り添っていたおちかから離れて、次の聞き役となる富次郎に寄り添うことになったというあいさつでもあった。このことを踏まえれば、この男の正体がそれとなく浮かび上がってくる。
 それはさておき、こうして、五巻・三十話に及ばんとする「変わり百物語」シリーズの、いわば「おちか編」は終了し、本巻から「富次郎編」が始まることになった。
 このシリーズの特徴は、日本文化の深層に脈流する怪異文化に働きかけ、またアイデアを得つつ、語り手の体験・見聞に応じた多様な怪異・ようかいの類い、いいかえれば、著者によって新たに創り出された、独自の怪異・妖怪の類いが語られてきたことにある。
 もちろん、本巻でも、硬軟とり混ぜた、斬新な怪異・妖怪が登場している。第一話の「泣きぼくろ」では、泣きぼくろにもったすさまじい「愛欲の念」がもたらす一家離散の悲劇が語られる。このほくろにかれた女のみだらな姿には目を背けたくなるが、その一方、取り憑いた女の顔から泣きぼくろがポロリと抜け落ち、床をって逃げ隠れる様は、まことにこつけいあいきようがある。まさしく著者の想像力が生み出した秀逸な「あやかし」と言えるだろう。
 著者は、怪異を女性の「情念」と絡めて物語ることを好む。右の第一話もそうだったが、第二話の「しゆうとめの墓」も同様で、ここでは、嫁いびりをする姑の執念深い「りん」がもたらす怪異が、姑の墓をめぐって語られている。
 第三話の「同行ふたり」にも、第四話の「黒武御神火御殿」にも、著者の好みの「あやかし」が登場する。前者では、落雷による火事の現場をたまたま通過した飛脚に乗り移った「あやかし」は「のっぺらぼう」であったし、後者では、後に富次郎によって名づけられる「黒武御神火御殿」という、江戸の町中に出現する「不思議な屋敷」が舞台となっているからである。五巻目まで読み進んできた読者ならば、きっとうなずけるだろう。
 とりわけ、この「黒武御神火御殿」は、「安藤坂の屋敷」など比にならないほど大きなスケールの、誘い込まれたらどんなに頑張っても抜け出せない凶悪な「不思議な屋敷」であって、それぞれ罪を背負った六人のこの御殿のとらわれ人の命が順に奪われていく謎解き仕立ての展開と、息をのむ結末は、圧巻である。さらにいえば、そこにちりばめられている、「神隠し」「迷路」「時間の流れの違い」「怪獣」「尽きせぬ富」「武者のおんりよう」等々の諸要素も、怪異・怪談の聞き手である富次郎だけでなく、さらにその読み手である私たちの好奇心と想像力を十分に刺激し満足させてくれるはずである。
「変わり百物語」シリーズは、「富次郎編」の第一巻・第三十一話にして、早くも絶好調を迎えたようである。この先、どんな話が語られるのだろうか。期待が大きくふくらむ。まだ百話目は遠いが、そのときが来たあかつきには、「変わり百物語」の世界を、様々な角度から解剖し考察してみたいものだと、私はひそかに思っている。

作品紹介・あらすじ
『黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続』宮部みゆき



黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続
著者 宮部 みゆき
定価: 1,100円(本体1,000円+税)
発売日:2022年06月10日

宮部みゆきのライフワーク、語り手を新たに新章スタート!
文字は怖いものだよ。遊びに使っちゃいけない――。江戸は神田にある袋物屋〈三島屋〉は、一風変わった百物語を続けている。これまで聞き手を務めてきた主人の姪“おちか”の嫁入りによって、役目は甘い物好きの次男・富次郎に引き継がれた。三島屋に持ち込まれた謎めいた半天をきっかけに語られたのは、人々を吸い寄せる怪しい屋敷の話だった。読む者の心をとらえて放さない、宮部みゆき流江戸怪談、新章スタート。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322108000236/
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