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「子を生す・持つ」「家族をつくる」ことについて正面から扱った作品集――『いるいないみらい』窪 美澄 文庫巻末解説【解説:渡辺ペコ】

子どもがいてもいなくても、毎日を懸命に生きるすべての人へ。珠玉の短編集
『いるいないみらい』窪 美澄

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

いるいないみらい』窪 美澄



『いるいないみらい』 文庫巻末解説

解説
わたなべ ペコ(漫画家) 

「子をす・持つ」「家族をつくる」というテーマを、くぼすみさんという作家はデビュー以来繰り返し描いてきた。
 作中で「性交」が子細に描かれていても、その後ろには「生殖」に対するさらに強い関心が一貫してあったように思う。

 本作『いるいないみらい』は、まさにその「子を生す・持つ」「家族をつくる」ことについて正面から扱った作品集だ。
 どちらも、いくら考えても何かを言い切ることはできないし答えは個々で見つけるしかない。強いて言うならそれが答えといえるかもしれない。
 でも、だからこそ窪さんは、何度でもそのテーマを取り扱う。おそらく、なのだけど、どんなに熟考して作品にしても、「子を生す・持つ」「家族をつくる」ことについて未だ納得しておられないのではないだろうか。何度でも、あらゆる角度から問い直し、疑い、考え続ける。答えはない、ということを答えとしない。

 並べるのは大変せんえつなのだけど、私自身、原家族の中に子として生まれ、大人になり熟考し決断して子を生した現在も、「子を生す・持つ」「家族をつくる」ということについて理解はもちろん、納得もしていない(念のために言うと、満足していない、というのではなく納得していないのだ)。
 家族が、生殖が、わからない。ついでにいうと性交もよくわからない。どれも実際やってみてもわからない。漫画に何度も描いてみてもわからない。折り合いをつけるつもりで描いても、未だ納得いってないのだ。多分死ぬまでわからないまま、納得できないままかもしれない。

 それゆえ、『いるいないみらい』という作品に、そして、「答えはない」ことを前提にしつつも諦めず根気強く向き合う窪さんの姿勢に、勝手に心強く思ったりしている。
 いったいどういうことなのか、多くの人は平気な顔でこなしているように見えるけれど、といい歳になり親にもなった自分がぶつぶつ言い続けても考え続けてもいいのではないか。そんな気がする。

 さて、本題の作品について。
 本書の主人公たちは言葉も態度も慎重だ。それぞれの物語の中で他者に対して感情や考えを表すのはごく一部、そしてそれはかなり体裁が整えられているように見える。
 どうでもいい相手に対してだからではなく、大切な相手に対しても。

「1DKとメロンパン」で、知佳は夫の智宏への礼儀として、「想像していたほどおいしくはなかった」メロンパンを「おいしー」と喜んで二個食べる食いしん坊キャラを演じ続ける。
「私は子どもが大嫌い」では、茂斗子は養母のうれしそうな顔を見るために「ぱんぱんになったおなか」でシチューをおかわりする。
 作中では「食べること」が愛情といたわりの意趣を持った演技としてたびたび描かれる。もういい大人であるはずの女性たちが、「子ども」に対するように食べ物を提供する家族に対して、期待される「子ども」のような姿を演じて見せる。

 知佳は智宏に対して、茂斗子は養父母に対して、それぞれ恩義と愛情への落とし前をつけ、しっかり報いることで「家族」という名の円環を完結させようとしているように見える。
「1DKとメロンパン」ではその円環の中に新しい要素「(本物の)子ども」が入る可能性を夫の智宏から示唆されて知佳はひるむ。
「私は子どもが大嫌い」の茂斗子は、養父母との暮らしの中で役割を全うすることに幸福と使命を感じているように見えるが、他人である「子ども」のみくの出現によって、予定外の意識や感情が外にひろがりだす。「子どもが大嫌い」な茂斗子が見知らぬ子に対してどこまで介入するのか関われるのか、それはぜひご自身の目で見届けて頂きたいが、慎重に一歩ずつ歩み寄り、その過程で茂斗子が幼いみくに安心できる場と食事を提供し案じる側に回る姿に胸が詰まった。

 不妊治療を試みたことのある人ならば、「無花果のレジデンス」での睦生と波恵のやりとりに、あの「子づくり」のしんどさを思い出すかもしれない。もしも波恵が女性向けインターネット掲示板に、精液検査で傷つき治療からひとりでふらり逃げ出す睦生のことを書いたならば、その繊細さとぜいじやくさはたたかれたかもしれない。でも幸いなことに、睦生はどこか母のように慕う千草という存在と彼女の言葉によって、波恵との正面対決を免れたようにも見える。

「ほおずきを鳴らす」の勝俣は、過去に自分の娘、千夏を弔うという大きな喪失を経験しており、公園で偶然出会った千夏の幻影を思わせるような女性、蛍に心かれていく。叶わなかった千夏の「みらい」を見たかったのかもしれない。けれど「確かにあの店の男が言ったとおり、そばで見れば、彼女は若い女の子ではない。彼女に成長した千夏の面影を重ねるほどのさびしさを抱えていたことに僕はひるんだ」。
 恋愛や情欲ではないところがまた切ない。

「金木犀のベランダ」のパン屋を営む主人公夫婦、繭子と栄太郎は、子のいない仲の良い夫婦という点で「1DKとメロンパン」の知佳と智宏と共通している。「子を持つ」という希望を夫側が抱く点も。
 けれど、関係性の長さもあろうか、繭子と栄太郎はもう少しお互いに歩み寄り、踏み込んでいくことに挑戦する様子が印象的だ。
 繭子は自分の生育歴から「子(養子)を持つ」ことに臆しているが、栄太郎は丁寧に自分の希望を伝え続ける。

 最初に私は、本書の主人公たちは言葉も態度も慎重で、他者──それが親しい大切な相手であっても──に対して感情や考えを表すのはごく一部で、それもかなり体裁が整えられているように見える。と書いた。繭子も例外ではないように見受けられる。けれど、店の常連客である高齢の節子さんの言葉は繭子をそっと力づける。
「あのとき言っておけばよかった、って後悔が私には山ほどあるのよ。あなたには言っておくわ。ご主人とはなんでも話をなさい。怖がらなくてもいいの。大丈夫」

 どの物語にも共通して、安心や励ましや転機となる言葉や態度をそっと差し出すのは血縁関係にある相手ではない。
 そして、読者である我々もまた、全くの他人である主人公たちの個人史、誰にも打ち明けてないような感情、わだかまり、渇望を言葉のみを介して知ってきたのだった。
 実際には出会うことも言葉も目線すらも交わすこともなかった彼・彼女たちは、それでも現実の私達の記憶や心情に痕跡を残していく。

 その先にあるのは、本書を読まなかった「みらい」とは、ほんの少し異なる「みらい」かもしれない。

作品紹介・あらすじ
『いるいないみらい』



いるいないみらい
著者 窪 美澄
定価: 682円(本体620円+税)
発売日:2022年04月21日

子どもがいてもいなくても、毎日を懸命に生きるすべての人へ。珠玉の短編集
結婚して3年、35歳の知佳は智宏と2人暮らし。産休に入る同僚を横目に、結婚しているだけで幸せじゃないか、とメロンパンの欠片をコーヒーで飲みくだす日々だ。不妊治療を経て無事に出産した妹を見舞った夜、智宏から「赤ちゃん、欲しくない?」と問われた知佳は、咄嗟に答えられず……(「1DKとメロンパン」)。既婚、未婚、離婚、妊活、子供嫌い……すべての家族の在り様に注ぐ温かな眼差しに満ちた5つの物語。解説・渡辺ペコ
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322112000463/
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