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レビュー

横溝正史の傑作長編推理―― 横溝正史『支那扇の女』文庫巻末解説【解説:中島河太郎】

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

横溝正史『支那扇の女



横溝正史『支那扇の女』文庫巻末解説

解説
中島河太郎  

 敗戦を契機として著者が論理とロマンを基調とする作風に転換し、日本の探偵小説界の動向に新しい路線を敷いたことはよく知られている。
 その後十数年間、やつぎ早に長篇、中短篇を発表し、けんらんこうな佳作が相次いで読者を魅了せずにはおかなかった。三十五、六年には「白と黒」の連載だけ、三十七年には若干の短篇と「仮面舞踏会」に着手したが、それも翌年早々に中絶しており、さすがに先頭に立ち続けた疲労が現われたと見るひとがあるかもしれない。
 だが、それは新作の側面からだけの観察で、実はその間も著者は決して筆を休めてはいなかった。著者の忠実な読者なら、「女王蜂」のヒロインの家庭教師が、ひまさえあれば毛糸を編んでおり、それが見事に小道具として生かされていたことを記憶しておられるだろう。この毛糸編みは戦時中からの著者の風変りな道楽であった。
 その他の趣味といえば、テレビの野球観戦があげられるが、もう一つ旧稿の手入れがある。「人形佐七捕物帖」は主人公の違うものを、佐七に改めたのがずいぶんあるし、改稿された作品がおびただしい。探偵小説でも締切りにせかされて意に満たぬもの、枚数の充分でなかったものを、中篇に改めたものが多い。
 これを著者の趣味に数えると𠮟られそうな気がするが、出版社からの依頼でなしに、自分の気の済むように書き改めるというのは、なかなか容易ではない。著者がよわいをすぎながら、今なお新作に取り組んでおられるのは、この絶えざる筆の修練のたまものにもよると思われる。
「支那扇の女」もはじめ短篇として発表されたものを、長篇化したものである。短命に終ったが、筑摩書房から雑誌「太陽」が創刊されたのは昭和三十二年で、その十二月号に載った。長篇として書き下されたのは、三十五年七月である。
 多少人物名は変えてあるが、設定はほぼ同じで、本篇の半ばくらいまでは短篇発表時の面影を残している。そして金田一のあざやかな指摘で、ぱっと幕が降りるのだが、本篇ではさらに複雑となり、動機も犯人も違ってきて、著者の小説作法をのあたり見る思いである。
 それはともかく、本篇の事件が起こるのは成城のお屋敷まちだが、ここは著者が疎開していた岡山から引揚げて以来住みついて、馴染深いところであった。明け方のあさもやのなかにパジャマ姿の女性が飛び出してきて、巡査のとめるのもきかず、電車に飛び込み自殺を敢行しようとする。どうやら防止したまではよかったが、彼女の家には二つの惨殺死体が転がっていたのだ。被害者はこの家の主人の先妻の母と女中で、飛び出した女性は後妻にあたり、主人の小説家はその夜は仕事場に泊ったと称している。
 家のなかを調べて、金田一が気にしたのは、ベッド・ルームへ持ちこまれていた「明治大正犯罪史」という書物だった。この中に出てくる毒殺魔と呼ばれている八木克子が、彼女の大伯母にあたるので、自分の体内にも犯罪者の血が流れていると信じこみ、夢遊病にとりつかれたというのだ。
 しかもこの克子の殺した良人の墓を一昨年あばいた折り、ひつぎのなかから克子の肖像画が現われたが、それが彼女にそっくりだった。その画こそ表題にられた「支那扇の女」と呼ばれるもので、日本の洋画れいめい期を飾るもっとも輝かしい傑作で、長くその所在不明を惜しまれていた作品である。この画は天才といわれた画家の作だが、彼こそは克子の邪恋の相手であった。
 目の前の事件の関係者についていえば、ヒロインは犯罪者の血を引くという強迫観念と、夢中遊行癖から、自分の発作中の凶行だと信じて自殺をはかったのだが、彼女の夫にとっては克子に殺されようとした夫が大伯父に当るのだ。すなわち毒殺事件に関係した夫妻を、それぞれ大伯父、大伯母にもつもの同士が昭和になって結婚しているのだから、そこに因縁を覚えるより、なにか魂胆があったのではないかと疑惑の目が向けられるのは当然であろう。
 このヒロインの夫は妻の内奥の恐怖を承知しているくせに、その原因となった書物を家に置きっぱなしにし、妻とそっくりの毒殺魔の肖像画を見せたりしているのだから、外部犯人侵入説をしゃべってみたところで、当局にとりあげられるはずがない。
 著者は周到に過去の事件と現実の事件が、強いきずなで結ばれていることをほのめかして、この惨劇の背後に潜む陰湿な策謀を暗示している。しかも八木家の当主の語るのを聞けば、事件勃発の心理的要因となった古い書物の中身が、誤解と中傷に充ちたものだと、ヒロイン夫妻は知っていたはずだという。金田一と当局にとっては、まさに青天のへきれきに等しい教示であった。
 問題の肖像画が墓のひつぎから発見され、しかもすぐさま処分されたというから、ますます疑いをもたれたが、それがきっかけとなって、第二の殺人が判明した。第一の事件で生き残った子供の記憶から、金田一の作戦の構想が練られ、外苑での終幕は意表をついて凄惨な様相を呈する。閑静な高級住宅地の未明に始まったこの事件は、対照的に激動の大団円を迎えるのだが、忌わしい伝承のために、かえって生涯の道を踏み迷わされた人びとに痛ましさを覚える。
 この事件で金田一は個人的な助手として、多門修を起用している。数犯の前科をもっているが、先年殺人事件にまきこまれて、あやうく犯人に仕立てられるところを、金田一の働きにより助かった。以来、金田一に心酔し、そのためなら犬馬の労を惜しまない。この青年は「扉の影の女」の事件で一層活躍することになっている。
 夢中遊行といえば、イギリスの古典的な探偵長篇「ムーン・ストーン」を思い出す。いまではほとんど振り向かれることのないトリックだが、著者はこの古臭くみえるタネを使って、作品の謎をいやが上にも難解にすることに成功している。
 明治十五年と昭和三十二年との間に、七十年ものへだたりがあるが、その隔たりを見えぬ血統でしかと結びつけ、再転三転する犯人の追求に興奮させられながら、考え抜かれた犯行計画の全貌に接してりつぜんとさせられる。
 当時金田一は緑ケ丘町の高級アパート、緑ケ丘荘に住んでいたが、「女の決闘」はそこへ移り住んでから間もなくぶつかった事件であった。
 土地の住人のイギリス人夫妻が帰国するので、さよならパーティーが開かれ、金田一も出席した。参加者のなかに作家がいたが、彼の別れたばかりの妻と、新しく迎えた妻とが鉢合わせした。別れた妻には主人の覚えのない招待状が届いたらしい。
 ところが席上で、後妻は毒物入りのソフトクリームにより、危く死にかけた。その隣りにいたのが先妻である。つぎに作家自身が毒殺され、疑惑は先妻に注がれるが、金田一が耳にとめていた一言が、謎を解くきっかけになった。
 先妻と後妻の対立が表立った波瀾を起こさぬだけに、無気味さを感じさせるが、女性同士のしつという狭い視野からだけではなく、プライドの問題まで掘りさげている人間観察と、遠い国との手紙のやり取りで事件を解きほぐした手腕は、なんといっても老巧である。

作品紹介・あらすじ



支那扇の女
著者 横溝 正史
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2022年01月21日

横溝正史生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
鮮血が飛び散る部屋の中で、血溜りに鼻を押しひしゃげて突っ伏す寝巻姿の女。そして隣の部屋には、額をざくろのように割られ、凄まじい形相をした老婆が死んでいた! 駆けつけた等々力警部と金田一耕助はただちに聞き込みを開始。だが、使用された凶器の意外な捨て場所、さらに70年前、世間を恐怖のどん底に陥れた毒殺事件とのからみが、事件をますます複雑にしていった。謎の因縁話に秘められた斬新なトリック、横溝正史の傑作長編推理。ほかに「女の決闘」を収録。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322111000517/
amazonページはこちら


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