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欲望渦巻く文壇で闘う女性を描いた、巨匠・松本清張による傑作ロマン長編!――松本 清張『美しき闘争』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

松本 清張『美しき闘争』文庫巻末解説



松本 清張『美しき闘争』文庫巻末解説

解説
ほそ まさみつ  

 昭和を代表する作家といわれて、あなたは誰を連想するだろうか。小説の好きな人なら、即座に十人や二十人は挙げられると思う。その中に高確率で、まつもとせいちようの名前が入っているはずである。平成四年に亡くなるまで執筆を続けた作者だが、やはり活動の中心は昭和といっていい。『点と線』『眼の壁』によって、いわゆる社会派ミステリー・ブームを昭和三十年代に巻き起こしてから、常にエンターテインメント・ノベルの最前線で活躍し、数々の作品を生み出してきたのだ。
 しかし一方で、松本作品は昭和を越え、平成から令和という時代でも読み継がれている。これに関して、ひとつの記憶がある。作者が亡くなりしばらくして、書店の棚から文庫の松本作品が減っていったのだ。エンターテインメント作家には、よく見られる現象であり、作者も一握りの名作が残るだけかと思ってしまった。だが、そんな考えは大きな間違いだった。作品のテレビドラマ化や映画化が相次ぎ、新たな若い読者を獲得。再び、文庫も改装版などで復刊し、たちまち松本作品が書店の文庫の棚を占拠するようになったのである。作者に関する書籍も多く、私も二〇〇五年に『松本清張を読む』というガイドブックを刊行した。作者と作品に対する関心は常に高く、時代を超越するだけの力が膨大な物語にあったのだ。
 では、その力の源泉は何か。人間の持つ普遍的な感情を刺激することだ。さまざまな形で存在する社会の抑圧や理不尽。これをうらみ・ねたみ・そねみなど、誰もが抱えている感情と共にえぐり出すのである。
 しかも作品はバラエティに富んでいる。戦後日本に対するGHQの理不尽は、『小説帝銀事件』『日本の黒い霧』等の小説やノンフィクションへと結実した。一方で、小市民が会社や家庭から受ける抑圧や理不尽を、ミステリーの形で描いた作品も数多い。本書『美しき闘争』も、そのような物語といっていいだろう。出版業界を舞台に、男性社会のあれこれにほんろうされるヒロインの軌跡をつづった長篇である。
『美しき闘争』は、「京都新聞」他に一九六二年一月から十月にかけて連載。一九八四年十一月に、カドカワノベルズから上下巻で刊行された。物語は井沢恵子が、夫の米村和夫と離婚した場面から始まる。姑との確執に疲れ、結婚生活が一年でたんしたのだ。米村家を出て、行き先に困った恵子は、女流作家の梶村久子を頼る。かつて文学少女で、作家の高野秀子の秘書のようなことをしていた恵子は、それなりに文壇に知り合いがいるのだ。しかし久子の家には、彼女と男女の関係らしい、評論家の大村隆三がいた。大村の態度で久子に誤解されてしまい、恵子は困惑する。
 その後、大村の下心ありのお節介により、「週刊婦人界」の記者の職を得ることができた。ところが働き始めて早々に、「週刊婦人界」は小説界社に編集者込みで身売り。小説界社の竹倉社長がエロ路線を強めるといい、多くの編集者が反発。人のいい山根編集長が苦慮する。ピンク・ルポの取材で熱海の温泉街に行った恵子だが、竹倉社長に襲われ、からくも逃れる。また、小説界社の編集部長・前川一徳と久子が一緒にいるのを目撃する。なにかと身辺の落ち着かない恵子だが、やがて久子が湯河原で死んだという情報が入ってきた。だが詳細は不明だ。そして訳がわからないまま、湯河原に行くことを命じられるのだった。
 本書に登場する男性陣は、病気の妻を抱えている山根編集長を除くと、クズ野郎ばかりである。大村隆三・竹倉社長・前川一徳の三人は、それぞれ恵子を狙い、魔手を伸ばす。彼らの欲情を描く作者の筆はえており、それだけに読んでいてムカムカしてくる。また、恵子に未練たらたらの米村和夫は、別ベクトルのダメ野郎だ。人はいいがマザコンで、結婚しているときは妻と姑の緩衝材になることができなかった。それなのに他人になった恵子に独善的なことをいうのである。本書のヒロイン、どうにも男運がない。
 さらに、久子が死んだという話を聞いてからの、後半の展開にも注目したい。本当に久子は死んだのか。ミステリーの興味でストーリーを巧みに引っ張り、しだいに真実が見えてくる。そこから浮かび上がるのは、やはり男の身勝手な姿なのだ。男の理不尽な欲望に翻弄される恵子は痛々しく、だからこそ目が離せない。そういえば、カドカワ ノベルズ版の「作者のことば」に、

「家庭の外に職業を持つ女性は多い。
 心と生活の自立、──それが彼女たちの願望と言えるだろう。
 が、社会の複雑な人間関係の中で、その実現は必ずしも容易ではない。
 さまざまな障害があるだろう。女性ゆえのハンディも否定し切れまい。
 へいたんとは言えぬ、その道のりで、彼女たちは健気に戦い、迷い、そして悩む。
 夫と離婚、週刊誌記者として働くヒロインに託して、その姿を描いてみた。」

 と、記されている。留意したいのは、この言葉が本の刊行時──すなわち一九八四年のものであることだ。「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」、いわゆる〝男女雇用機会均等法〟が制定されたのは翌八五年のこと(実施は八六年)。まだ、社会のさまざまな分野で、女性に対する差別や機会の損失などが、当たり前に行われていた。ましてや作品が連載された一九六二年当時、社会における女性の扱いが、種々の問題をはらんでいたことはいうまでもない。それを作者は、出版業界で働くようになった恵子を通じて、鮮やかに表現してのけたのである。
 なお作者は本作と同時期に、大企業のBG(ビジネスガール。現在のOL)を主人公とした長篇ミステリー『ガラスの城』を「若い女性」に連載していた。もともと清張作品には女性を主役にしたものが少なくないが、この時期、職業婦人に焦点を当てて、社会の理不尽を描こうという意図があったのかもしれない。
 さて、男性陣ばかりけなしてしまったが、女性陣も恵子を翻弄する。「週刊婦人界」の記者の土田智子や、ある理由で恵子が頼ろうとした女性作家たち。彼女たちの言動も身勝手であり、醜い人間性を露呈させているのだ。多数の登場人物によって、出版業界の汚れた部分を読者に見せつけることも、本書の目的だったのではなかろうか。なるほど、雑誌ではなく新聞連載だから書けた作品かもしれない。
 出版業界で、さんざんな目に遭った恵子は、どうなるのか。本書の着地点に、納得できない読者がいるかもしれない。現代的な感覚では、そう思ってもおかしくないのだ。しかし恵子は、「女の不幸は、それがどんなかたちでも、半分は自分の過失だと思うわ」といってしまう、昭和の女である。だから彼女は、きわめて昭和的な選択をするのだ。
 それでも恵子は、たしかに男性社会と戦った。この事実はなくならない。昭和から比べればよくなったが、令和の現在でも女性は、幾つもの社会的な苦労を負うことがある。そうした女性たちが本書を読めば、共感や反感など、激しい感情を覚えることだろう。半世紀以上前に書かれた物語が古臭くならず、今も読まれる理由はここにある。

作品紹介



美しき闘争 上/下 新装版
著者 松本 清張
定価: 各748円(本体680円+税)
発売日:2021年11月20日

欲望渦巻く文壇で闘う女性を描いた、巨匠・松本清張による傑作ロマン長編!
井沢恵子は姑との不和が原因で夫と離婚した。ひとりで生きていくため、文芸評論家・大村の紹介で『週刊婦人界』の記者の職に就くが、それをきっかけに大村は恵子にしつこく迫るようになり……。
詳細:(上)https://www.kadokawa.co.jp/product/322103001863/ 
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