角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『魔女の暦』
著者 横溝正史
『魔女の暦』横溝正史 文庫巻末解説
解説
中島河太郎
著者の作品目録を
締切にせかされて書き上げたものの、どうしてもそれでは気が済まなくて、心ゆくまで書き直したくなってくる。推理小説の場合に限らず、捕物帖でも同様である。出版社から長篇化や改稿を依頼されたわけでもないのに、こつこつと自作の改訂を怠らないのが著者の習癖であった。
作家にはそれぞれ特有の癖があって、いったん筆を
「魔女の暦」もはじめ、「小説俱楽部」の昭和三十一年五月号に発表されたもので、のちに現在の形に改訂された。
この物語には途中三か所ほどに、犯人の犯行スケジュールを書きつける場面が挿入されていて、いっそう興味をそそっている。もちろん、著者は周到な用意のもとに、その正体に気付かれるような手抜かりはしていない。ペンを握っている手は、黒い手袋をはめているので、男か女かわからない。犠牲者の殺害方法がきまったとき、洩らした忍び笑いの声も、あまりに低かったので男女の区別すらできなかったほどである。
事件の背景は浅草のストリップ劇場だが、二年ほど前の「
正体不明の人物が決意を示した通り、まず魔女に扮したストリッパーが血祭にあげられた。それが金田一の目前で演ぜられた惨劇の第一幕である。殺人は舞台で用いられた吹矢に塗られた猛毒によるもので、第二幕にはやはりショーの小道具の鉄の鎖が使用されていた。しかも被害者はボートの中に全裸で、その鎖に縛りあげられていたのだ。
つぎつぎに犠牲者を出したこの劇団のストリッパーたちは、それぞれパトロンや内縁の夫、情人があるにもかかわらず、他の劇団関係者との間に交渉があって、その錯綜した人間関係が捜査当局の手を焼かせて、解決のめどがたたない。
容疑者は彼らに限られているはずだが、動機もつかめなければ、アリバイを追求するにも手ごたえがない。金田一と等々力警部のコンビも、なかなか成果をあげられぬうちに、第三の事件が起こってしまった。
いわば限られた人間が対象で、事件の発端から注目しながら、手も足も出なかったわけだが、惨劇が
「火の十字架」は「小説俱楽部」の昭和三十三年四月号から六月号まで連載された。これにもヌード・ダンサーが登場するが、「魔女の暦」が劇団関係者の入り乱れた男女関係にからんでいたのに対し、このほうはヌードの女王だけに三人の男をかけもちして貫禄を示している。
本篇も金田一への事件予告の手紙から始まっているが、こんどは前回と違って、指定の場所へ出かけたときにはもはや間に合わなかったのだ。浅草の劇場から新宿の劇場に送られたトランクの中に、昏々と睡っている全裸のダンサーを発見して騒いでいる間に、浅草では酸鼻を極めた
等々力警部と金田一がその現場へ急行すると、すでに「魔女の暦」事件で
だが、この残虐な他殺死体の発見以前に、同じ劇団の女優の殺害が判明したが、これらはトランク詰めで運ばれたヌードの女王を中心に、戦時中の
とにかく、第一の被害者の
著者が諏訪で病を養って、再起したのは昭和十年の初頭であった。当時探偵小説は既成・新人作家ともに振るい、新時代確立の機運が
「真珠郎」の初版が、谷崎潤一郎の題字、江戸川乱歩の序文、松野一夫の口絵、水谷準の装幀に飾られて刊行されたのが十二年のことだが、それに書きためてあったエッセイの草稿を清書したものを、「私の探偵小説論」として添えている。
その中に「顔のない屍体」を論じた一文があって、このトリックに殊に関心の深い著者の見解が
だが、一人二役や密室殺人にはいろいろな解決法があって、作者の狙いどころの力点が、主としてどのような解決法によって読者を驚かせるかというところにあるのに反して、「顔のない屍体」の場合は、いつもその解決法がきまっている点に特色がある。すなわち一つの屍体の顔が誰だかはっきりしないが、ある人物だと推定された場合、
「探偵小説の興味の多くが、その意外なる解決法にあるにもかかわらず、『顔のない屍体』の場合に限って、常に解決は読者に看破されることになるのである。それにもかかわらず、この問題がいつも読者の興味をとらえ、作者の食慾をそそるのは、興味の焦点が解決法にあるのではなくて、いかにして分りきった解決が、巧みにカモフラージされるかというところにあるのである」
と、このトリックの魅力を説いている。
たしかに著者は手を換え、品を換え、いろいろな工夫を
「魔女の暦」の事件にしても、一千万円の保険が効果的に使われている。「火の十字架」では、事件予告の手紙ひとつをとっても、仮名遣いや代名詞の伏線を織りこんだり、写真家の目を通して被写体である人間の心理を分析したり、ちりばめられた小さなトリックに、それぞれハッとさせられるものがある。
両篇ともに浅草の大衆劇場の女性を主役にした愛欲図絵が描かれているが、二十年代の風俗を
作品紹介
魔女の暦
著者 横溝 正史
没後40年記念復刊! 横溝正史の傑作長編ミステリ!
浅草のレビュー小屋舞台中央で起きた残虐な殺人事件。魔女役が次々と殺される――。不適な予告をする犯人「魔女の暦」の狙いは? 怪奇な雰囲気に本格推理の醍醐味を盛り込む、傑作長編推理
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