文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説者:縄田 一男 / 文芸評論家)
赤川次郎さんの〈鼠〉シリーズ第一集『鼠、江戸を疾る』が角川書店から刊行されたのが二〇〇四年十二月、そして巻を重ねて記念すべき第十集となる本書『鼠、噓つきは役人の始まり』の刊行が二〇一六年の十二月。十二年以上も続く長期シリーズを久方ぶりに読み返して、何でこんなことに気がつかなかったのだろう、という発見が二つ、私にはあった。
一つは、このシリーズが読者を幸福にするそれであるということ──そんなことは当たり前じゃないか、という読者諸氏もおられるに違いない。しかしながら、私は、あることを確かめたくて、思わず担当編集者に電話をし、「〈鼠〉シリーズの読者の年齢層は現代ものより高いですか?」と尋ねてみた。すると「特に高いということはなく、いつもの赤川さんの読者と同じです」という答えが返ってくるではないか。
もったいない、私は年輩の読者にこそ、このシリーズを読んでもらいたい、と思った。というのも、〈鼠〉シリーズにおける、物語の運び、登場人物の所作、
主演は東映なら
例えば、第一話「鼠、横車を押す」の(ここからは作品の内容に立ち入るので、是非とも本文の方を先に読んで下さい)ラスト、鼠が、
また、さとと
続いて第二話「鼠、雨の夜の人助け」は、他人の空似と思われた武士二人、実は──というところで物語は逆転していくが、ここから、私のもう一つの発見が如実に示されていくのだが、そのことは後でまとめて記そうと思う。
さらに第三話「鼠、空っ風に向う」では、謎の「おさとさま」をめぐって、
そしてこの話にも名場面、名台詞がある。鼠の、
「屋根の上じゃ、俺の方が慣れてるぜ」
という台詞にはじまり、
「誰だ!」
「猫じゃねえ、〈鼠〉だよ」
匕首(あいくち)が空を切って、よけようとした武久(たけひさ)は瓦(かわら)に足が滑って、そのまま転落した。
と
こういう場面を
そして表題作に登場するのは、いまや、江戸で〈鼠〉と人気を二分する奉行所の与力・〈
ところが、〈鬼万〉の座敷に呼ばれて気に入られた〈鼠〉の知り合いの芸者・
「あの飲み方、酔い方は普通じゃないね。すぐにカッとなって刀に手をかけるあたり、何か胸の中に辛 いものを抱えてるよ」
と見抜く。
その人間的苦悩が〈鬼万〉の別の顔をつくってしまったのだ。表題作はこの一巻の中でも最も
そしてこの一篇も、私の二つ目の発見が色濃く出ている作品なのだ。
次なる第五話「鼠、刺客修業の裏表」は、〈鼠〉の妹・小袖の道場仲間(といっても小袖の方が師範代なのだが)
しかも、おかしいのは刺客としてやって来た浪人は、強いのか弱いのかその力量はまったく不明。実は貧乏故に
それに、
「何ごとも、道を究めるのは同じことです。おかげさまで『足』の面白さも分って来ました」
といい出すのだから悪人であろうはずはない。
そしてこの物語では、ラストで敵役と思われていた人物の本心が明らかになり、読者もホッとされただろう。
そしてこの一巻も、第六話「鼠、天井裏に眠る」で幕になる。
発端は、
当然だが、この白骨には秘密があり、屋敷で寝ずの番をしていたが、重い〈眠り病〉を抱えていた
そして、掛軸一本を盗むために屋敷に忍び込み、この事件に巻き込まれた〈鼠〉は、白骨の一件の黒幕が、先代の殿様の奥方で、いまは出家した
時代小説や時代劇を少しでもかじったことのある方なら、もうお分かりですね──。
〈眠〉
と、
〈円月〉
と来れば、故
そして、眠狂四郎がつかう円月殺法とは、剣を下段に構え、ゆっくり円を描く。相手は一瞬の眠りに誘い込まれ、狂四郎が円を描ききるまで持ちこたえた者はいないという。
狂四郎といえば市川雷蔵の当たり役。雷蔵も初期は、〈
しかし、三十代半ばで病気に倒れ、帰らぬ人に。狂四郎シリーズの最終作となった「眠狂四郎 悪女狩り」では、雷蔵の出番を少なくするため、江原真二郎の
さて、余談が過ぎたので、私の二つ目の発見について記しておくと、この一巻は、これだけ読者を楽しませ、幸福にさえしておきながら、一貫してシビアなテーマを打ち出している。
それは一言でいえば、侍は封建時代の奴隷である、というものだ。
本書の中で、ユーモラスなものも、ハードなものも、多くは封建制度の基盤となっている家や藩に縛られて事件を起こしているではないか。
例えば表題作に示された〈鬼万〉の悲痛な叫びを聞いてみよう。
「その呼び方だ。〈鬼万〉なぞと。俺は人間だ。鬼なんかではない」
「俺はな、神原家に婿養子に入ったのだ」
「女房も、初めから俺のことを見下していた。義母はもちろん、使用人でさえ、俺のことをさげすむような目で眺めていた」
そんな〈鬼万〉の救いは情け容赦なく手柄を立てることしかなかった。
「鼠、空っ風に向う」の馬鹿馬鹿しい討ち入り騒動や、「鼠、雨の夜の人助け」の米の買いつけをめぐる遺恨、「鼠、刺客修業の裏表」における抜け荷への誘惑等々──。
〈鼠〉はそんな武家社会のしがらみを軽々と超越して、読者に胸のすく思いを与えてくれる。一巻読み終わっても、すぐまた次が読みたくなる。それが〈鼠〉シリーズなのである。
▼赤川次郎『鼠、嘘つきは役人の始まり』の詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321902000557/