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レビュー

『小公子』『小公女』の著者が紡ぐ奇跡の物語。世界中で愛される児童文学の最高傑作を新訳!『秘密の花園』

文庫巻末に収録されている「訳者あとがき」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(訳者:

 二十世紀初め、大英帝国の統治下にあるインドで暮らしていた少女メアリは、両親をコレラによって失い、父方の叔父おじの住むイングランドのヨークシャーの屋敷にひきとられることになった。これまで社交生活に明け暮れる両親とはほとんど会話らしい会話を交わしたこともなく、インド人の乳母や召使いたちにかしずかれてわがまま放題に育ってきたメアリにとって、ヒースの荒野に建つ古い屋敷での暮らしは、想像したこともない新たな経験だった。しかし、屋敷に来てから、純朴なメイドのマーサや弟のディコンと知り合い、少しずつかたくなな心がほどけ、子どもらしさを取り戻していったメアリは、ある日、屋敷の奥にひきこもっていた病弱な少年コリンと出会う。その出会いによって、メアリにとってもコリンにとっても、新たな人生への扉が開かれることになった……。
 子どものときに初めて本書『秘密の花園』を読んだとき、古いお屋敷や閉ざされた庭という物語世界の設定があまりにも強烈だったせいか、同じ作者の『小公子』や『小公女』とはひと味ちがう、秘密めいたところのある不思議な物語として記憶に刻まれた。それから半世紀近くたち、翻訳するにあたり改めて作品を読み返してみると、生と死、喪失と再生が生き生きと描かれた物語にぐんぐんひきこまれ、ラストでは作者のフランシス・ホジソン・バーネットが作品にこめた未来へのまばゆい希望と期待が胸にあふれるのを感じたのだった。

 作者の経歴と作品の成り立ちについて、簡単にご紹介しよう。フランシス・ホジソン・バーネットは一八四九年にイギリスのマンチェスターに生まれた。父エドウィン・ホジソンは銀や鉄の高級な装飾器具製造をしており、一家は何不自由ない生活を送っていた。しかし、フランシスが四歳になる直前、一八五三年に父が三十八歳という若さで急死し、五人目の子どもを身ごもっていた母イライザと子どもたちは経済的な苦境に陥る。そこで母の兄の助言もあり、一八六五年、一家は新天地を求めてアメリカのテネシー州に移住した。しかし、アメリカでも母子家庭の暮らしは相変わらず苦しく、フランシスは以前から得意としていたお話作りの能力を生かし家計を支えようとし、雑誌社に作品を送ることを思いつく。そのため、きょうだいたちといっしょに野生のブドウを摘んで売り、編集者に送る原稿用紙と切手代をねんしゆつしたという。こうして一八六八年には初めて雑誌に作品が掲載され、それ以後、原稿料は一家の重要な収入源になった。
 一八七〇年、母のイライザがフランシスの華やかな成功を見ぬまま五十五歳で亡くなった。一八七三年にフランシスは眼科医スワン・バーネットと結婚、一八七四年に長男ライオネル、一八七六年に次男ヴィヴィアンを授かる。もっとも、夫の収入を補うために執筆はずっと続けていた。やがて一八八六年に次男ヴィヴィアンをモデルにしたと言われている『小公子』が出版されると大評判になり、バーネットの名声は確立した。主人公セドリックの長い巻き毛、黒いビロードの服に大きな白いレースの襟というファッションは世間の母親のあいだで大流行になったようだ。
 しかし一八九〇年、大きな不幸に見舞われる。長男のライオネルが結核で亡くなったのだ。さらに、夫婦仲がしっくりいかなくなり、一八九八年に正式に離婚すると、バーネットはイギリス、ケント州にカントリーハウス、メイサム・ホールを借りて一九〇七年まで九年にわたってそこで暮らすことになった。メイサム・ホールで暮らすあいだに一八八八年に出版された『セーラ・クルー』を書き直した『小公女』が一九〇五年に出版され、さらに一九一一年に出版された『秘密の花園』の最初の構想もこの家で得たと推察される。というのも、『白い人びと』(みすず書房・なかむらたえ訳)におさめられているメイサム・ホールでの暮らしをつづったエッセイ「わたしのコマドリくん」(一九一二年)に、はっきりとそのことが記されているからだ。その部分を少し引用してみよう。

「ああ、うれしい! こんなに近くまできてくれたのね!」と、わたしは囁きました。「ひょいと手を伸ばしたりして、あなたを怖がらせるようなこと、けっしてしませんからね。だってあなたはすてきな、かわいらしい野鳥であると同時に、わたしと同じように、いのちの通っている、わたしと同じように生きている、すばらしい存在なんですもの。魂を持ったひとなんですもの!」
 そうなんです。最初の朝のそんな出会いのおかげで、何年も後にわたしはまざまざと理解していたのです。『秘密の花園』のメアリがあの長い遊歩道(ロング・ウオーク)で身をかがめて、コマドリの囀り声の真似をしたときに、胸に浮かんでいたのが、まさにそうした想いであったことを。

 一九〇〇年、バーネットは十歳年下の俳優志望の医師スティーヴン・タウンゼンドと再婚するが、二年足らずで破局。一九〇五年にはアメリカの市民権を獲得し、一九〇八年にはニューヨーク州ロング・アイランドのプランドームに土地を購入して家を建て、エッセイ「庭にて」(一九二五年・『白い人びと』所収)で描かれているような庭を設計して移り住み、ガーデニングと執筆にいそしむ日々を送るようになった。
 こうしてこの家で『秘密の花園』、『消えた王子』(一九一五年)、『白い人びと』(一九一七年)などが紡ぎだされたのだった。『白い人びと』のエピグラフの詩はジョン・バローズのWaitingの一節で、亡くなった長男ライオネルに献じられている。「時間と空間、高山と深淵/いかなる力が押しとどめようとも/彼は戻る、わがふところに。」という言葉に、息子やこの時期に立て続けに死別した兄や友人たちを悼むバーネットの思いが読みとれる。また、『秘密の花園』に登場する、妻を失ったメアリの叔父の姿とも重なるだろう。おそらく、ライオネルを失ってから、バーネットにとっては、愛する人々に先立たれる孤独と寂しさとの闘いがずっと続いていたのではないだろうか。その経験をもとに、死に別れた人が見える一族を主人公にした『白い人びと』を書いたのではないかと推測できる。
 一九二四年、多くの作品を世に送りだしたフランシス・ホジソン・バーネットは、七十五歳の誕生日を前に、このプランドームの自宅で息をひきとったのだった。

 一八九三年に出版された『バーネット自伝 わたしの一番よく知っている子ども』(翰林書房 まつしたひろやけおき編・訳)はバーネットが二歳ぐらいのときから、アメリカに移住して小説を書きはじめる十七、十八歳までをつづった自伝的作品だが、十四章の「木の精の日々」には、のちの『秘密の花園』に結びつく描写が頻繁に登場する。
 たとえば、バーネットの分身である子どもは訪れる人がいない枯れた庭で紅はこべを発見し、興奮する。そのときのバーネットの記憶は、メアリが初めて秘密の花園に足を踏み入れたときの行動に投影されているように思える。あるいは次の描写は花が咲きはじめた秘密の花園でのメアリの姿をほう彿ふつとさせるだろう。

 ほとんどいつもひとりきりでしたが、よく知っている花と一緒にいると、決して独りぼっちではありませんでした。ごく自然に、花に話しかけたり、かがみこんでやさしい声をかけたり、キスしたり、友人や愛するものを見るようにその子を見上げる様子がかわいいと褒めたりしました。

 こうして見ると、花園を発見してからのメアリは子どもの頃のバーネットの姿と重なる部分が多いし、そもそも『秘密の花園』にはバーネットの人生観が端的に反映されていると思う。「庭にて」で、バーネットはこんなふうに語っている。

 とにかく庭を持っているかぎり、ひとには未来があり、未来があるかぎり、ひとは本当の意味で生きているのです──ただ地球上のある空間を占めているというだけでなく。積極的に生きつづけてこそ、人生は生きるに値するのですから。未来を望みみる姿勢のあるなしこそ、二つの生きかたの分かれ目だとわたしは思っています。
 時と関心があたえられるかぎり、ひとにすばらしい未来を提供してくれるものは、また状況はさまざまでしょうけれど、そのうちでもとくに単純明快で、自然で、しかも楽しいのはガーデニングではないでしょうか。

『秘密の花園』のテーマは、まさにこのバーネットの言葉に集約されていると思う。丹精をこめて作りあげた庭が与えてくれる未来と希望、生きる喜びを、バーネットはメアリとコリンとディコンという三人の少年少女の姿を借りて描きだしたのだ。わがままで自己中心的だったメアリとコリンは、庭を作り植物を育てることによってやされ、人間として大きく成長していく。そのおかげで、これまでの失望とあきらめの人生ではなく、明るい希望と未来が二人の前に開けていくのだ。「いつまでも生きる、ずっとずっと生きるんだ!」というコリンの心の底からの叫びはそれを端的に表現しているだろう。
 こうしたことからも、バーネットの児童文学作品の中でも『秘密の花園』は作者の人生観が色濃く投影された特別な作品と言えるだろう。実際、バーネットの伝記を書いたグレッチェン・ホルブルック・ガジーナは『秘密の花園』をバーネットの代表作として位置づけている。児童文学に分類されているものの、大人が読んでも、いや、人生の荒波や失望や喪失を経験した大人が読んでこそ、バーネットが本書にこめたテーマは心の琴線に触れることだろう。本書が出版されたときバーネットは六十一歳。ぜひ、その世代の成熟した大人の方々にも『秘密の花園』を読んでいただきたいと願っている。

ご購入&試し読みはこちら▷フランシス・ホジソン・バーネット / 訳:羽田詩津子『秘密の花園』| KADOKAWA


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