文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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(解説:
「
垣根涼介は、一九六六年、長崎県に生まれた。
その一方で作者は、二〇〇五年に、会社のリストラに直面した人々を描いた連作集『君たちに明日はない』を刊行。自身の体験を反映させたという垣根流お仕事小説で、多くの読者を獲得した。作品はシリーズになり、NHK総合でテレビドラマ化されている。
さらに二〇一三年の『光秀の
モンティ・ホール問題とは、アメリカのゲームショー番組のゲームに関する論争が由来になっている。そのゲームを要約すると、閉じた扉が三つあり、ひとつが当たりになっている。まずプレーヤーが、ひとつの扉を選び、司会のモンティが残されたふたつの扉のうち、外れの扉を開ける。ここでプレーヤーは、最初に選んだ扉を変えてもいいといわれる。この場合、変えた方がいいかどうか、という問題である。
普通に考えると、変えても変えなくても、確率二分の一に見える。だから選ぶ扉を変えても、当たる確率が上がるとは思えない。だが実際は、変えた方が当たる確率が高いのだ。なぜそうなるのかは煩雑になるので書かない。興味のある人は、ネットで検索するといいだろう。なるほど、そういうことかと感心するはずだ。
そしてこの問題が、大きな騒動に発展する。ニュース雑誌にコラムを連載していたマリリン・ボス・サヴァントが、モンティ・ホール問題についての読者の質問に、正解は扉を変更する。なぜなら扉を変更すれば、当たりの確率が二倍になるからだと答えたのである。これに対して、マリリンが間違っているという投書が相次ぎ、有名な数学者までが反論する騒動になった。もちろんその後、マリリンの主張が正しいことが証明されたが、とんだ御難というしかない。
ところでこのマリリンというコラムニスト、かつて「ギネスブック」で、存命中の世界でもっとも高いIQの持ち主に認定されたことがある。おそらく彼女にとってモンティ・ホール問題の正解は、自明の理だったのだろう。だけど多くの人は、それが理解できず批判したのである。突出した才能や知性は、大衆と隔絶するということか。その観点から日本史を
『信長の原理』は、「小説 野性時代」二〇一六年八月号から一八年四月号にかけて連載。二〇一八年八月、KADOKAWAから単行本が刊行された。『光秀の定理』の姉妹篇といえるが、内容そのものは関係ない。どちらも未読の人は、まず本書を読んで、面白かったら『光秀の定理』に手を伸ばすといいだろう。
母親の愛情に恵まれず、幼い頃からひとりで遊んでいた
と書けば、すぐに分かる人もいるだろうが、本書は〝働き蟻の法則〟を使って、織田信長及び、彼の家臣を描いている。やがて織田家を継ぎ、勢力を伸ばしていく信長は、ことあるごとに働き蟻の法則を検証。二・六・二の割合を、さらにシンプルに一・三・一として、自分の家臣に当て
だが、それが本書の成功の源になっている。信長が目指したのは、自分をトップとして、配下のすべてが一所懸命に働くことだ。いうなれば究極の成果主義である。もちろん信長にも欠点はある。むしろ多い方かもしれない。また蟻の実験の結果、〝この世に神は無くとも、神に近いこの世を支配する何かの原理のようなものが、存在するのか。それが、これらの事象を発生させているのか〟と思うようになる。
それでも信長は、常に思考し、準備をし、時には命を懸けて、自分のやるべきことを実行する。そうしなければ未来が切り
さらに織田家の統一から本能寺の変に倒れるまでの信長の軌跡が、随所で働き蟻の法則と照応させながら、ガッチリと描かれている。だから、よく知っている史実を、新鮮な気持ちで読めるのだ。信長が
しかも信長だけでなく、彼の家臣も、きっちり書き込まれている。信長の思考に迫りながら、実利主義に徹する
「自分のような特に傑出した能力がない人間に、何よりも大事なのは、競争に勝ってゆく生き方を志すより、絶対に負けぬ生き方──織田家でしぶとく生き残っていく道を、確実に選ぶことだろう」
と思う。これは働き蟻の法則で六割に所属する人間の思考だ。トップの二割に属さない人間だって、どう生きるかは考えている。信長の配下や、周囲の武将たちも掘り下げているからこそ、本書の重厚な読み味が生まれているのである。
さて、以上のような作品の内容を踏まえながら、あらためて作者が歴史小説を執筆した理由を探ってみたい。もともと作家になったときから、歴史小説を書きたいという意識はあったそうだが、それを阻んでいたのが言語運用の問題だった。歴史小説は使える言葉に縛りがあるが、モダンな感覚を取り入れようとすれば、言語運用の縛りに対抗できるような文章スタイルが必要になる。そのため作者は『ワイルド・ソウル』の第一章で、一九六一年のアマゾンを詳しく書くというトライをした。これに手応えを感じ、本格的な準備を始め、『光秀の定理』に取り組んだのだ。
なるほど歴史小説は、書くべくして書かれたのか。だが、それだけで納得するわけにはいかない。大雑把な分類になってしまうが、クライム・ノベル─お仕事小説─歴史小説という、一部が時期的に重なりながら、別のジャンルへと移っていく、創作の流れに注目すべきだろう。「小説トリッパー」二〇一九年冬季号に掲載されたインタビューの中で作者は、
「努力すれば報われるって言葉があるじゃないですか。それは違うと思います。報われるのは、正しい方法論で考えて努力する人間だけです。それは、自戒としても強く感じます。死ぬまで走り続けるしかない時代に、僕らは生まれてきてしまっている。何も考えずに漫然と働いている人間はやがて淘汰されます。『君たちに明日はない』も、実はそういう話です。本質はそれなんです。ジャンルは違えども、書いているテーマは、実は僕の中では変わっていない」
といっている。〝死ぬまで走り続けるしかない時代〟に、どう生きるべきか。このテーマこそが「涼介の原理」なのだ。だからジャンルを変えて、常に作者自身が変化していく。それは作家として、死ぬまで走り続けるメソッドであり、覚悟の表明だ。ついでにいえば歴史小説では、現代と通じ合う戦国時代が選ばれている。詳しく触れる余地がなくなったが、動乱の室町時代を舞台にした『室町無頼』も同じ理由だろう。また、モンティ・ホール問題や働き蟻の法則を投入することで、時代に左右されない不変の法則を提示。これにより戦国時代の物語を、現代人が受け入れやすくなっているのである。内容と作品の存在そのものが、作者の姿勢を明確にしている。そこに垣根涼介の
ところで『光秀の定理』『信長の原理』と読んで、次の主人公は豊臣秀吉だなと思った人はいないだろうか。私はそう思った。また別の、何かの法則を投入した作品が生まれると確信したのだ。ところが作者は、こちらの安易な予想を簡単に覆す。「週刊朝日」に連載し、今年(二〇二〇年)に単行本が刊行される予定の歴史小説第四弾『
▼垣根涼介『信長の原理 上』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000362/
▼信長の原理【上下 合本版 電子特典付き】(電子書籍)はこちら
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