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レビュー

プライスレスな才能から目を離すな! 『余命二億円』

〝これは凄い作家が現れた!〟
 周防柳のデビュー作『八月の青い蝶』を読み終えた瞬間にそう思った。
 書店員の最大の役得は注目作品を事前に読ませていただけることだが、とりわけ小説すばる新人賞の受賞作品は期待値が高く、毎年特別に気合を入れて読み込む。それはそうだろう。この賞の歴史を紐解けば第二回(一九八九年度)は花村萬月、第三回(一九九〇年度)は篠田節子という大御所を輩出しただけでなく、その後の受賞作家も百花繚乱である。あえて名前を記せば佐藤賢一、村山由佳、荻原浩、熊谷達也、池永陽、竹内真、堂場瞬一、山本幸久、三崎亜記、飛鳥井千砂、天野純希、千早茜、矢野隆、朝井リョウ、畑野智美、櫛木理宇、行成薫……直木賞受賞作家も多く、まさに現在の文芸書ジャンルのど真ん中で活躍中の作家ばかりだ。
 そうした錚々たる作家・作品群の中でも第二六回(二〇一三年度)の『八月の青い蝶』は近年最大の収穫といって過言ではないほど、際立って印象深い作品だった。小説すばる新人賞作品でこれほど鳥肌が立った経験は後にも先にもない。物語は平成と昭和を行き来するがメインの舞台は戦時下の広島。淡く激しい禁断の恋心が原爆によって一瞬に引き裂かれる様がなんとも切なく虚しく胸をうつ。美しき蝶と灼熱の炎はまさに生と死、ままならぬ運命の象徴ともいえる。「原爆文学」として評価されるこの一冊を僕は究極の恋愛小説ととらえて読んだが、いまだにこのインパクトを超える恋愛ものに出合ってはいない。この作品は二〇一五年に、全国でも熱意のある書店が多いエリアで知られる広島地区の書店員たちによる第五回広島本大賞「小説部門」の作品に選出された。個人的にも〝この作家・作品は凄い〟という同志がたくさんいたという裏付けを得てうれしいニュースであった。
 衝撃的なデビュー作『八月の青い蝶』は被爆者である祖父の実体験にインスピレーションを得たもので、周防柳のいわば手持ちのカードで描かれた作品である。そうなると第二作が非常に気になるところ。約半年後の二〇一四年九月に刊行された第二作は『逢坂の六人』だ。これにもまた大いに驚かされた。紀貫之や六歌仙が活躍する「古今和歌集」成立の裏側を描いたこの作品はまさかの歴史もの。通常、デビューから三作品は同系統のジャンルを定着させるのが業界のセオリー。現代ものと時代ものでは陳列する棚も異なるので書店員泣かせの第二弾であった。しかしそこは実力派の著者。ライバル多きジャンルでもしっかりと存在感を示した恐るべきこの二刀流。ますますこの作家から目が離せないぞという気持ちが募った。
 三作目は二〇一五年刊行の『虹』である。これまた大好きな作品だ。今度は現代もので〝復讐〟にまつわる尋常ならざるミステリー。犯罪被害者と加害者の理屈にはならない関係性を描いているが厭世的というか虚ろでやるせない空気感はこの作家独自のもの。娘を死に追いやった男に近づき同じコンビニに潜入し命懸けで死の真相を知ろうとする母親。これほど突き抜けた親心は稀有だろう。なんという刺激的な設定なのか。想像を軽々と超越し続ける展開の妙と時系列を操った構成も見事で、確固たる周防文学を見せつけた作品であった。
 そして二〇一六年に単行本が発売となった本作『余命二億円』の登場だ。順調に年一作ペース。これまでの三作品はデビュー出版社である集英社からであったが初めての他社・KADOKAWAからの刊行。別会社の編集との駆け引きの中でどんな化学反応があるのか期待に胸を躍らせながら読み進めた。
 当時、読んだ直後の僕の感想コメントをそのまま引いてみる。

 →情念が揺らぎ善と悪が激しく交錯。これは恐るべき〝泣き笑い〟の物語だ。眼前に横たわる死を確かに感じ、生々しい生への希求があふれ出す。予期せぬ事態に直面し巻き起こる骨肉の争い。行き交う欲望の裏側から偽らざる人間の素顔が見えてくる。人生の終末と対峙する場面は決して他人事ではない。今まさに読んでおくべき〝本物〟の物語。計り知れない価値がある作品だ!

 読みながら何度ハッとさせられたことか。読後の興奮を思い出した。タイトルはそのものズバリ。二億円の遺産をめぐるストーリーだ。そもそも人に値段をつけるなんてという綺麗事は通用しない。いざという時がやってくれば誰でも避けては通れない修羅場を体験しなければならないのだ。周防作品の中でも最も読みやすく入り口としても最適なのではないだろうか。そうした点でも今回の文庫化は多くの読者に薦めやすくなって意義深い。
 導入は「序章 遺族」からはじまる。葬式は遺族の芝居、香典はその見物料という表現にもゾッとさせられるが、〝湿っぽいキノコみたいな〟喪服の遺族たち、〝はいている意味のない〟薄手の靴下、〝でたらめな音符のような〟いがぐり頭……父の葬儀の描写があまりにもリアルで胸に突き刺さる。この表現の巧みさで一気に物語に引き込まれるのだ。主人公は田村たむら次也つぐや。ストーリーは父親である田村工務店社長の思いもよらぬ交通事故から動き出す。近所の女の子を助けようと身を投げ出して起きた不慮の事故。一命をとりとめ、いったんは意識を取り戻すものの加害者側との補償問題の交渉をしているうちに容体が急変し植物状態に。延命治療の是非をめぐる懊悩おうのう。兄・一也かずやと遺産二億円をめぐる本音のぶつかり合い。金が絡むと人間は醜い素顔を曝け出す。
 父と子、男兄弟の葛藤に内縁の妻・良美よしみまで登場し事態は思わぬ方向へと傾いていく。義理の姉・玲子れいことの不適切な関係。次也と同じ腎臓病(巣状分節性糸球体硬化症)を抱えた兄の息子・しょうとの交流。確かな死と直面し終末医療や臓器移植について真剣に考えさせられるばかりでなく複雑怪奇な人間関係の妙に心奪われ、ラスト一文に至るまでまったく飽きさせることはない。父から子へ、命のバトンが渡される尊さも伝わり、一筋縄ではいかないまさに出合ったことのない読み応えを感じた。この物語自体がままならぬ運命の象徴とも言えるだろう。
 体温まで伝わってくるような血脈の物語にただ唸るばかり。圧巻とはこういう作品を指すのだろう。ありきたりなミステリーでもなければ単純明快な絆を綴った家族小説でもない。人間の価値そのものを問いかける何冊もの小説を読み終えたような充実感のあふれる余韻を堪能できた。
 この『余命二億円』の後にも途切れることなく注目作を刊行。二〇一七年は角川春樹事務所から「古事記」の作者に挑んだ『蘇我の娘の古事記ふることぶみ』、二〇一八年は集英社より聖徳太子が編纂した我が国初の国史をテーマにした『高天原 厩戸皇子の神話』と連続して日本の古代史を深掘り。とくに前者は「本の雑誌」二〇一七年上半期エンターテインメント・ベスト10の第一位になり増刷を重ね大きな話題となった。書評家・北上次郎氏をして「これほど面白い小説はそうあるものではない」と言わしめた作品である。そして二〇一九年一月には再び舞台を現代に戻して小学館から『とまり木』が発売。仕事の幅を広げて、まさに脂の乗り切った充実のラインナップだ。
 単行本の最新刊『とまり木』についてもう少し書き記しておきたい。軸になる登場人物は不幸を一身に背負った女性と少女で、二人は互いの傷を認めあいこの世とは違うある場所で交流する。ファンタジー的なアプローチながら感じさせるのは奇妙なまでのリアリティ。まさしく閉塞感あふれ生き辛いこの世の空気が伝わってくるのだ。ささやかな夢も希望も運命の悪戯によって歪み、ねじれて深い闇の世界へと堕ちてゆく。孤独の寂しさを和らげ、喪失の哀しみを癒してくれ、迷える現代人の道しるべとなるような一冊。派手さや力強さはないが、著者の作品群の中で最も人間的で宗教観も伝わってくる好著である。
 周防作品のとりわけ現代ものの最大の特色といえば抗うことのできない運命のもと、圧倒的な存在感で横たわる死を前にして、儚くも確かな生を描き切る点だと感じる。生という名の眩しい光と死という名の暗い影、その明滅はとてつもなく鮮やかで激しく揺らいで魂に届く。
 著者にとっての生と死を意識するポイントとは何なのか。『とまり木』の刊行記念で小学館PR誌「本の窓」(二〇一九年二月号)〝自著を語る〟コーナーにそのヒントがあった。容赦ない死と対峙して確かな生をつなぎ伝える『余命二億円』を読み解く鍵にもなりそうで引用したい。

 四十年近い月日のあいだに、生きることがつらくなった人に少なからず出会いました。自分もまた、いく度か生きることがつらくなりました。(中略)人は何度でも生き直せると、私は信じています。その力と場所を、神様に与えられているのですから。

 デビューから五年余り。一作たりともハズレなし。至福の読書体験を約束でき、いま最も新作が期待できるのは周防柳であろう。何はさておきコンプリートすべき作家である。次作は得意な古代の歴史・時代ものか現代ものか、はたまたまったく違うジャンルで勝負するのか。その引き出しは豊富で深淵。これから一体どんなテーマを世に問うのか楽しみで仕方ない。
 デビュー時に青々としていた美しい蝶は見事に羽ばたき、時空を超えて大空彼方に向かって突き進む。確信しながらこう思う。
 この作家は凄い成長を遂げている!


書誌情報はこちら≫周防柳『余命二億円』


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