文庫解説 文庫解説(下巻)より
「黙示録」の謎を解明せよ――国際謀略と史実が絡み合うグローバル時代の暗号ミステリ『救世主の条件』
暗号ミステリーは短篇向きである。いきなり本書を否定するように書き出しになってしまったが、もう少し聞いて欲しい。まず、暗号ミステリーの名作を挙げてみよう。E・A・ポーの「黄金虫」、コナン・ドイルの「踊る人形」、M・D・ポーストの「大暗号」、江戸川乱歩の「二銭銅貨」、泡坂妻夫の「掘出された童話」……。どうしても短篇ばかりになってしまう。もちろん暗号が重要な役割を占める長篇ミステリーは沢山あるし、竹本健治の『涙香迷宮』のような、暗号に淫した作品も存在する。それでも暗号ミステリーのメインは短篇だ。
これは当然のことである。暗号ミステリーの面白さは、暗号を解く過程の思考とその結果の解答であり、ストーリーの動きはなくてもいい。いろいろな物語の装飾は、むしろ邪魔になる。暗号の謎に特化しようとすれば、必然的に短篇になってしまうのだ。したがって優れた暗号ミステリーは、短篇メインなのである。
だがそれに、異議を唱える作家が現れた。中見利男だ。暗号師の蒼海と、少年忍者の友海のコンビを主人公にした、一連の時代小説シリーズで、暗号小説の新たな地平を切り拓いたのである。ひとつは暗号=ミステリーという認識を崩したこと。時代伝奇小説に暗号が登場することは珍しくないが、物語のひとつの要素として扱われることがほとんどだ。ところが作者は、暗号そのものを主題とした。作中を埋め尽くした暗号に感嘆し、その暗号によってストーリーが動くことに仰天する。時代暗号小説とでもいうべきか。暗号小説の斬新な可能性が、示されていたのだ。
さらにいえば、時代小説である利点を生かし、ダイナミックな展開と、激しいアクションを成立させる。暗号をメインにしながら、長篇に耐えるだけのストーリーを構築したのも、作者の手柄といっていい。まさに新世紀の暗号小説が誕生したのだ。その手法は、暗号ミステリーである本書でも踏襲されている。
本書『救世主の条件』は、二〇一一年十二月、角川書店より『救世主の条件 キリストの暗号』のタイトルで刊行された。ストーリー自体は変わっていないが、加筆修正が為されているので、既読の人もあらためて読んでいただきたい。
物語の主な舞台は、キューバ危機の真っただ中のアメリカだ。ちなみにキューバ危機とは、一九六二年の十月から十一月にかけて、アメリカとソ連の間で起きた、軍事的緊張の高まりのことである。発端は十月二十二日に、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが発した声明だ。ケネディはテレビを使い、キューバにソ連のミサイル発射基地が建設中だといい、キューバに武器を運ぶ船舶に対する海上封鎖を宣言。これに反発したソ連と、一触即発の状況になった。米ソが戦争となると核ミサイルが使用されると予想され、世界中が戦慄したのである。
同月二十八日、ソ連のフルシチョフ首相の、キューバから攻撃的武器を撤収するという宣言を受け、事態は解決するかに思えた。しかし、キューバのカストロ首相の「いかなる査察にも応じない」との宣言により、アメリカは再び海上封鎖を実行。紆余曲折を経て、十一月二十日に海上封鎖が解除され、戦争の危機は回避された。なお先の話になるが、キューバ危機が切っかけとなり米ソの関係は急速に接近し、いわゆる〝雪解け〟へと向かうことになる。
ところが本書で描かれたキューバ危機は、発端から違っている。十月十三日、フルシチョフ首相から、ケネディ大統領に届いた挑戦状。そこには『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」に記されている〝666〟が、誰を指しているのか明らかにし、西側のマスメディアで公式に発表しろと書かれていた。ソ連が不穏な動きを見せる中、大統領を中心としたホワイトハウスの面々は、666の謎を解くべく奮闘する。大統領の命を受けた弟のエドワードは、『ヨハネの黙示録研究学会』をでっちあげ、666の件に関する懸賞金広告を打つ。そしてやってきた、若泉ケイという日本人の聖書学者から、666の指す人物の、意外な正体を教えられるのだった。
本書のスケールは、とてつもなく大きい。テンプル騎士団、アイザック・ニュートン、アルバート・アインシュタイン……。時代と場所を超えて、実在の人物と史実が積み重なり、キューバ危機へと至る。そして緊張が高まる中、アメリカ、ソ連、バチカン、キューバの思惑が交錯。ケネディ大統領から、『救世主の塔』と呼ばれるソ連の工作員まで、多数の人物が登場し、物語は激しく動くのだ。
こうした物語構造から連想されるのが、ダン・ブラウンの『ダ・ヴインチ・コード』である。二〇〇三年にアメリカで刊行され、世界的なベストセラーとなったミステリーだ。特色は現代を舞台にしながら、歴史上の有名な文物や団体などを結びつけ、壮大なスケールの謎を生み出したこと。以後、このタイプの作品が次々と書き継がれ、現在へと至っているのだ。本書の中に、『ダ・ヴィンチ・コード』のタイトルが出てくるので、作者も意識しているのだろう。
だが、単なるエピゴーネンにはなっていない。本書には独自の魅力が横溢しているのだ。それが暗号である。666は誰を指すのか。キリスト教圏最大の暗号を、作者は見事に解き明かし、意外な人物だと指摘する。しかもそれで終わりではない。以後も、執拗なまでに暗号が解かれ、隠された言葉が次々と浮かび上がってくる。よくもまあ、ここまで考えたものだと唖然茫然。暗号が解読されたときに覚える知的快感を、たっぷりと味わえるのである。
さらに666の正体を通じて、作者が訴えたいテーマも露わになる。何が善で、何が悪なのか。複雑化する世界の中で、平和を求めるためには、どうすればいいのか。作者は本書によって、その道筋を明確に示した。ここも物語の、大切な読みどころなのだ。
その他、ケネディ大統領暗殺の実行犯といわれる、リー・ハーヴェイ・オズワルドの扱い方にも留意したい。また、若泉ケイを通じて、やがて実行される、キング牧師の抗議デモにも触れられている。こうした要素が絡まり合い、ストーリーを盛り上げたり、テーマを強調したりしているのだ。
国際謀略がある。歴史秘話がある。裏切りとアクションがある。そして何よりも、暗号がある。重厚長大な暗号ミステリー。中見利男でなければ書けない、唯一無二の作品といえよう。
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