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【解説:ヤマザキマリ(漫画家)】正義の人、サイバラ『できるかなゴーゴー!』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説者:ヤマザキマリ / 漫画家)

 私の人生は、なんとなく成り行きによって構築されてきた。若いうちに海外で暮らすことになったきっかけも、11年一緒に暮らしてきた詩人の男性と妊娠・出産直後に別れを決意したことも、漫画家になったことも、その後の結婚も、いろんな国に暮らしてきたことも、すべて自分の意志とは関係のない、成り行きによるものだ。そして西原さいばらさんとの出会いも、私にとっては予測外の、不思議な成り行きによるものだった。
 まだ『テルマエ・ロマエ』がヒットする前、ポルトガルのリスボンに暮らしていた私は子供を、日本語の読み書きをしっかり覚えられるようにと、週に一度だけ日本人補習学校に通わせていた。ある日、子供のクラスの担任だった在ポルトガル30年の年配の先生から「ヤマザキさんって漫画描いてらっしゃるんでしたよね」と声をかけられた。「実は昨日、漫画家の女性とお医者の二人組みの取材の手伝いをしたのだけど、それが随分妙な人たちでねえ」
 かつて暮らしていたリスボンの、私の本棚には日本から持ってきた西原さんの本が何冊か並べられていた。だから、すぐにそのお医者と一緒に来た漫画家が西原さんであるということもわかった。アテンドをした担任の先生にとってはリスボン1の美味しさだと思っていた鶏肉料理を食べに連れていっても不味いと文句を言い、二人で盛り上がる会話の内容も素っ頓狂過ぎてついていけない。お医者さんが学会に参加するから、漫画家さんのほうはそれに付いて来たのだと言っていたけど、随分へんな人たちだったわよ、と先生は眉間に皺を寄せながらも、その奇妙な二人と過ごした短い時間を名残惜しそうな口調で語った。
 その後、遊び半分で描いた古代ローマ人の風呂漫画が雑誌で連載されることになり、気がついたら単行本になり、ヒットするというこれもまた全く自分には想定できなかった方向に人生が転がった。これも成り行きである。1年後には夫の仕事の都合でポルトガルからアメリカのシカゴへの引っ越しが決まり、ダウンタウンのハイライズ・マンションの50階の部屋に閉じこもって、抱え込んでしまったいくつもの漫画連載と日々格闘しながら過ごしていた。
 ある日、日本から妙な連絡が入った。西原さんがシカゴまで私を〝潰しに〟来るという。画力での対決を申し込みたいとあり、私は当時仲良しだったシカゴの日本領事に「このたび、潰されるかもしれないことになったのだが、どうしたらいいだろう」と相談をした。兼ねてから西原さんのファンでもあった領事は、大変好意的に私たちの対決のセッティングを進めて下さった。
 シカゴにやってきた西原さんは、凶暴な武器を携えているわけでもなく、思慮深く親切な人だった。人生の獣道をズタズタボロボロになっても毅然と生き抜いてきた人の貫禄と諦観が感じられた。メディア上での大胆な言動は、時には手の施しようのない自分の繊細さを守るための甲冑なのかもしれない、と初対面でありながらそこまで彼女の人となりを推し量らずにはいられなかった。それくらい西原さんの印象は柔らかかった。
 シカゴの対決の後、日本に帰るたびに私は西原さんと会うようになった。他の作家さんを潰す企画にも何度か呼ばれて飛び入りすることもあった。彼女との忘れられないいくつかのエピソードのうち、最も印象的だったのは、当時東京で借りていた仕事場に何人かの友人たちを招き、西原さんから紹介してもらった敏腕イタリアンシェフを呼んで、食事会をしたときのことである。そこに集まる人のほとんどが飲兵衛のんべえであり、西原さんもふくめ酒癖が決して良いとは言い難いメンツが数人交ざっていた。宴もたけなわになったころ、「締め切りがあるからそろそろ……」と立ち上がった某ヒット作品の著者である、やはり様々な苦労を乗り越えてきた女性漫画家に向かって、とある文芸作家が「いいよなあ、漫画家はたくさん儲かってさあ」と漏らしたのである。すると向かい側に座っていた、しこたま飲んで人の話など半分程度にしか聞いていないように見えた西原さんが、その男性作家の椅子を思い切り、本当に思い切り蹴飛ばしたのである。
「バカにするな! 漫画を描くのがどれだけ大変なのか、どれだけの犠牲を払って描いているのか、てめえにわかるか!」
 西原さんはその後酔い潰れて床にぶったおれ、アシスタントのあいちゃんと編集者の八巻やまきさんに抱えられて去っていった。



 西原さんは正義の人である。
 彼女の奇抜や大胆に見える言動も、様々な国を転々としてきた私には全く自然なことにしか思えないし、情動を制御操作できず普段から大暴れしている困った人たち(とくに自分の周りのイタリア家族)と違って、西原さんは何でもかんでも外に放出してスッキリすればいい、というわけでもない。西原さんは地球に住まう人間の築いた社会の怖さや不条理についても、十分過ぎるくらいわかっている。人間が作った既成概念をひっくり返し、人々が普段気にしてもいない事象の実態を暴こうとする「できるかな」シリーズもそうだが、彼女は自分の中に蓄積する多様な思惑や感慨を、エンタメ作品として昇華させる術にも長けている。ただし、家族や弱い立場の人など、人間として生きていく上で本当に守らねばならないものがある場合は、身一つで体当たりするくらいの正義感が発動するのである。西原さんは、古代神話のアマゾネス族に生まれたとしても、その長になれるくらいの素質を持っている。

「今度はアフリカで会おう!」と西原さんと約束を交わしたのはいつのことだったか忘れてしまったが、お互い耄碌もうろくする前に実現させられたらいいなと思う。できればでっかい夕日が沈むサバンナの木の下で。そこがきっと西原さんと私にとって一番ふさわしい場所のように思えてしまうから。

西原理恵子できるかなゴーゴー!』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321902000612/


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