近松半二をご存じだろうか。近松、という姓から『曽根崎心中』や『国性爺合戦』の近松門左衛門を連想する読者が多いと思うが、二人は直接的な関係こそないものの、江戸時代の人形浄瑠璃、現代では文楽と呼ばれる同じ芸能の世界で活躍した。
近松半二の本名は穂積成章。父は大坂で私塾を経営する儒学者だが、人形浄瑠璃好きというくだけた一面を持っていた。ことに近松門左衛門に入れ込んで、近松本人と交流を持ち、亡くなる前に愛用の硯をもらうまでになる。成章もまた、父に誘われるまま大坂道頓堀の竹本座に通い、人形浄瑠璃の世界に親しんだ。そして、十代になりグレかけた成章に、父は近松門左衛門の硯を譲り、「お前はな、いつか浄瑠璃が書きとうなる」と芝居がかった様子で予言するのである。近松半二という名は、近松門左衛門の半分でもいい作品が書けるように、という意味で付けられたものだ。
大島真寿美の最新刊『渦』は、江戸中期に活躍した人形浄瑠璃の作者、近松半二の生涯を描いた時代小説である。大島は『ピエタ』で一八世紀のヴェネツィアを舞台に作曲家、ヴィヴァルディの死から始まる物語を描き、『チョコリエッタ』では不安定な感情を持て余している高校生の少女の物語を、『ゼラニウムの庭』ではある秘密を抱えた家族の数世代にわたる物語を書くといったようにその題材は幅広く、かつ、その語り口の自在さで読者を作品世界に引き込んできた。『渦』もまた、時代小説を読み慣れない読者でも「近松半二の物語」として楽しめる作品になっている。
半二が活躍した時代は人形浄瑠璃の人気が下降線を辿り、歌舞伎に注目が集まった時代である。岡本綺堂は昭和三年に『近松半二の死』で半二の死の直前を戯曲で描いているのだが、その中で半二は近松門左衛門がつくり、竹田出雲らが盛り立てた人形浄瑠璃が自分の代で衰退していくことを嘆いている。そんな斜陽の人形浄瑠璃にあって、近松半二が、起死回生となる大ヒット作『妹背山婦女庭訓』をどのようにして書き上げたか、が『渦』のストーリーの中心である。廻り舞台を考案し人気を博した歌舞伎作者、並木正三を半二の幼なじみに設定し、親友でもありライバルでもある関係を描いたのは秀逸だ。彼らが主戦場とした大坂道頓堀界隈は、現代でいえばニューヨークのブロードウェイのようなもの。人形浄瑠璃や歌舞伎の表方、裏方の人間たちがしのぎを削っている。客もまた厳しい目を持ち、当たるか当たらぬかは誰にもわからない。並木正三は道頓堀というこの独特な街をこう表現する。
「芝居小屋の内から外から、道ゆく人の頭ん中までもが渾然となって、混じりおうて溶けおうて、ぐちゃぐちゃになって、でけてんのや。わしらかて、そや。わしらは、その渦ん中から出てきたんや」
実は歌舞伎の人気演目にはもともと人形浄瑠璃のためにつくられたものが少なくない。近松半二の『妹背山婦女庭訓』も文楽だけでなく、歌舞伎でも有名だ。「混じりおうて溶けおうて」つくり出された芸能は、いまも受け継がれている。『渦』はその混沌を、小説ならではの臨場感で私たちに見せてくれるのだ。
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大島真寿美『戦友の恋』(角川文庫)
漫画原作者の佐紀を主人公にした連作。表題作は「戦友」だった編集者の恋を描いたもの。漫画原作者も、人形浄瑠璃作者と同じように編集者や漫画家との共同作業だ。しかも商業誌である以上ヒットさせなければならない。その葛藤と歓びとが情感豊かに描かれている。
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