「日本一の男になれよ」―西山にしやま弥太郎やたろうの創造の精神


 黒木くろきりょうの経済小説の画期をなす傑作である。『トップ・レフト』『アジアの(はやぶさ)』『巨大投資銀行』『赤い三日月』といった国際金融小説の書き手として名を成したが、本作では神戸を本拠に鉄一筋に歩み、日本の高度成長期の扉を開けた川崎製鉄(現JFEスチール)初代社長、西山弥太郎(一八九三~一九六六)の生涯に焦点を当てた。その私心のない清冽(せいれつ)な人間像が愛惜の念を込めて描き出される。
 緻密(ちみつ)でクールな作風、抑えた筆致が持ち味だが、「書きながら何度も涙を流した」というだけに、行間に独特の熱気がこもる。丁寧な取材ですくいあげた、現場や社員を愛し家族を慈しんだエピソードが全編にあふれる。
 経済小説の最大の魅力は虚と実が織りなすリアリティーにある。とりわけ黒木作品は「実」に裏打ちされた物語展開が特徴だが、本作品はそこに情が加わるので通常のノンフィクションの枠を超える作品に仕上がっている。
 単行本が出た二〇一二年の夏、作品の舞台となった神戸の街を歩きながら黒木がつぶやいた。「歴史的な仕事が一つできたと満足している。作家になって本当によかった」。作品と言葉を手がかりに、今に生きる西山弥太郎の痕跡(こんせき)をたどってみよう。

刻まれたDNA

 二〇一五年七月。西山弥太郎の五〇回忌の法要が横浜市の総持(そうじ)寺で営まれた。戦後、神戸・葺合(ふきあい)の一平炉メーカーにすぎなかった川鉄を、千葉市、岡山県倉敷市での高炉建設で銑鋼一貫メーカーに飛躍させた。この巨額設備投資に刺激され、各社が高炉建設を推進し、高度成長の幕が開いた。
 パナソニックを創業した松下幸之助(まつしたこうのすけ)やソニーの井深大(いぶかまさる)、ホンダの本田宗一郎(ほんだそういちろう)ら同時代の経営者に比べると地味な存在ではある。ものづくりに打ち込んだ西山は世間的な名誉から終始、距離を置いていた。日本鉄鋼連盟の会長職は幾度懇請されても引き受けず、自伝のたぐいも残さなかった。
 しかし、そのDNAは鉄鋼の現場にくっきり刻まれている。西山が心血を注いだ広大な千葉製鉄所(現JFEスチール東日本製鉄所千葉地区)の高炉に入り、オレンジ色に輝く銑鉄を見ていると、敗戦国の日本で世界最新鋭の臨海型の製鉄所を目指した男の気概が迫ってきた。
 小さな穴からオレンジ色に輝く「お湯」(溶銑)が流れ出ている。一五〇〇度、まばゆい光、体に伝わる熱。生まれたばかりの「命」の輝きに圧倒される。高くそびえる高炉は二四時間休むことなく鉄を生み出している。
 ここ千葉の地で西山は熱き鉄のドラマを夢見た。第一高炉の火入れは一九五三年。半世紀以上、産業の火をともし続けてきたのだ。いまもここでできる自動車用の薄板は主要メーカーに納められる。
 製鉄所の一角に「西山弥太郎・千葉歴史記念館」がある。入口には巨大な銅像。現場の安定稼働と高品質の維持をたえず見据えているようだ。中には西山の「人と生涯」が分かりやすく展示されている。英語でていねいに書かれた東京帝大の卒業論文や社員にあてた手紙、子どもと向き合うやさしい人柄をしのばせる写真、手帳など数々の遺品……。
 一九九五年の阪神・淡路大震災で被災した旧川鉄の神戸本社や葺合工場はすでになく、その業績を顕彰するために設けられた西山記念館は二〇一二年、老朽化のために取り壊された。それだけに千葉に移された遺品の数々から、神戸がはぐくんだ一人の経営者の生きた証が伝わってくる。

書籍

『鉄のあけぼの 上』

黒木 亮

定価 864円(本体800円+税)

発売日:2018年04月25日

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    書籍

    『鉄のあけぼの 下』

    黒木 亮

    定価 864円(本体800円+税)

    発売日:2018年04月25日

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