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試し読み

【12月27日発売】馳星周、最初で最後の自伝的青春小説『ゴールデン街コーリング』試し読み

新宿・歌舞伎町を舞台にした暗黒小説『不夜城』でデビューした馳星周氏の最新作、『ゴールデン街コーリング』が2018年12月27日に発売となります。本作は“著者の最初で最後の”自伝的青春小説。1985年の新宿ゴールデン街を舞台に、馳青年をモデルにした主人公の青春が描かれています。
発売に先駆けて、本日よりプロローグから21ページまでを一挙公開。ゴールデン街がもっともゴールデン街らしかった1980年代中頃、その雰囲気を感じられる試し読みをお楽しみください!



  プロローグ


「おれは客だぞ」
 怒声が狭い店内に響いた。
「まだ金も払ってねえのになにが客だ、バカヤロー」
 けんさんがスツールから降りた。常連客が自分のグラスとボトルを抱えて店の外に避難しはじめた。一見いちげんの客たちは呆然としている。
 ぼくはカウンターの上のボトルを床に避難させた。サラリーマン風の客の物言いに顕さんの目が据わりはじめた時から準備はしていたのだ。ぼくも常連客もこういうのには慣れっこになっている。
 ここは新宿ゴールデン街の〈マーロウ〉で、店主は斉藤さいとう顕。名うての酒乱だ。
 喧嘩はあっという間に決着がついた。顕さんが相手の口の中に左手を突っ込む。いきなりの奇襲攻撃で相手が怯んだ隙に数発パンチをかます。それで相手は戦意喪失だ。
 最初に顕さんの喧嘩を見た時には度肝を抜かれた。喧嘩の時に、相手の口の中に手を突っ込むなんて、想像したこともなかったからだ。
 酔った時の顕さんの口癖は「おれは喧嘩で負けたことはねえ」だ。似たようなことを口にする人種はゴールデン街にはごろごろいる。
 そういう奴らはたいてい、相手がよそ見をしている隙にガラスの灰皿で後頭部をぶっ叩くとか、そうやって喧嘩に勝つのだ。
 喧嘩は勝てばいい。卑怯もクソもない。
 そういう考え方が主流なのだ。でもぼくは、顕さんを含めて、そんな手を使って喧嘩に勝って、なおかつそれを自慢する連中の気が知れない。
 だが、ゴールデン街ではそれがまかり通る。
坂本さかもと、こいつをつまみ出せ」
 顕さんが吠えた。
「はい、わかりました」
 ぼくはカウンターを乗り越えて、口から血を流して呆然としている酔客の肩を叩いた。
「さ、帰ろうか。次に来る時までに、ゴールデン街での飲み方、勉強しておいた方がいいと思うよ」
 ぼくのささやきに、酔客はこくんとうなずいた。

* * *

「坂本、今日はケチがついたから、〈レッド・バロン〉で飲み直すか」
 最後の客が出ていくと、顕さんが言った。〈レッド・バロン〉というのは四谷よつや三丁目にあるバーだ。カナコという名物ママがいて、芸能界や文壇の人たちがよく顔を出す。
「わかりました。すぐに片づけますから」
 洗い物を手早く済ませると、ビールやウイスキーの空き瓶を店の外に並べる。カウンターとテーブルをダスターでさっと拭けば、とりあえずの後片付けは終わりだ。床掃除は明日の開店前に済ませればいい。
 カウンターに十人、ボックス席に四人座ればそれできっつきつの狭い店だから、後片付けもすぐに終わる。
 顕さんと連れだって店を出、明治めいじ通りでタクシーを摑まえた。
 一暴れしたせいか、顕さんの目は普段と変わらない。喋る内容も至極まっとうで、呂律が少し怪しいぐらいだった。
「あれ? もしかして、斉藤顕さんじゃありませんか? トリオ・ザ・スペードの?」
 走り出すとすぐに運転手が訊いてきた。
「そうだよ」
 顕さんが答えた。その横顔は嬉しそうだった。
「やっぱり。その見た目、忘れられないもんなあ。さよならを言うのは少しの間死ぬことだ、でしたっけ? あのギャグ、好きだったなあ」
 顕さんはコメディアンだ。昭和四十年代、トリオ芸人がブームになった時、トリオ・ザ・スペードとして人気の絶頂を極めた。
 背が低い小太りの男なのに、西部劇風のガンアクションを得意とし、レイモンド・チャンドラーという作家が作り出した私立探偵、フィリップ・マーロウの有名な台詞を照れることなく口にする。
「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」
 その類の台詞だ。
 見た目と気障きざな振る舞いのギャップが観客に受けたのだ。
 顕さんの絶頂期を、ぼくは知らない。でも、マーロウの台詞で笑いをとっていた芸人のことはかすかに記憶にあった。
「今、なにをなさってるんですか? テレビじゃ見かけませんよね」
 運転手の言葉に、ぼくは凍りついた。そっと顕さんを盗み見る。穏やかだった顕さんの目が据わっていく。
「か、会長。そういえば、来月は舞台があるんですよね?」
 ぼくは言った。これ以上顕さんの機嫌が悪くなれば、とばっちりを受けるのはぼくだ。
「おう。舞台の間は店、おまえたちに任せるから、よろしくな」
「舞台やってらっしゃるんですか?」
 運転手の声が飛んでくる。
「今のテレビはつまらないからな。舞台の方が、客と直にやりとりできるから楽しいんだよ」
 顕さんが言った。据わりかけていた目が元に戻っている。ぼくはそっと胸を撫でおろした。
 この時間になっても、〈レッド・バロン〉は混んでいた。朝の七時近くまで営業しているため、他の店が閉まった後に足を運ぶ客が多いのだ。
 顕さんはカウンターでひとりで飲んでいた顔なじみの隣に陣取り、バーボンのソーダ割りをぐいぐい飲みはじめた。ぼくも酒は同じものを、その他に、唐揚げとポテトサラダに焼きそばも注文した。
 顕さんと飲みに行く時は、料金はすべて顕さん持ちだ。年がら年中金欠の大学生としては、こんな時にはしっかりと栄養補給しておく必要があった。
「あら、坊や。久しぶりね」
 カナコママがカウンターに近づいてきた。年齢は五十代だろうか。決して綺麗な顔立ちというわけではないのだが、華やかで色気が滲んでいる。
「顕ちゃんのところ、もう何年になる?」
 ママがぼくの隣に座った。香水の香りが鼻をくすぐって、ぼくは落ち着かない気分になった。
「そろそろ二年です」
「もう二年。偉いわね。坊やが一番長続きしてるんじゃない?」
「週に三日だけですから」ぼくは声を落とした。顕さんに聞かれたら、また面倒なことになる。
「これが月曜から土曜まで毎日だったら、とっくの昔に辞めてると思います」
 ママが小さく笑った。
「ほんと、お酒さえ飲まなきゃ、最高にいい人なのにね」
 ママはぼくの肩越しに顕さんを見た。ぼくは肩をすくめた。
「とにかく、頑張ってね。あの店オープンさせてから、顕ちゃん、ご機嫌なんだから。それまではいつも鬱屈うっくつして、酒飲んじゃ人に絡んでの繰り返し。仲のよかった人たちもみんな離れて
いって……ちょっと、この子にボトル一本入れてあげてくれる? わたしの奢りで」
 ママがカウンターの中のスタッフに声をかけた。
「ママの奢りなんて、申し訳ないです」
「いいのよ。坊やの二周年記念。たまにはひとりで飲みにいらっしゃい」
「ありがとうございます」
 ぼくは深々と頭を下げた。

* * *

〈マーロウ〉がオープンしたのは、ぼくが上京する一年前だ。ただの飲み屋ではなく「日本冒険小説協会公認酒場」という但し書きが看板に記されている。
 フィリップ・マーロウの台詞をギャグに使うことでもわかるように、顕さんはハードボイルドミステリや冒険小説の大ファンだった。
 好きが高じてとある雑誌で書評を担当するまでになった。この書評がまた、レイモンド・チャンドラーの文体をもじった書き方で評判がよく、次第に書評家・斉藤顕のファンも増えていった。
 ぼくも、そんなファンのひとりだった。
 ぼくは北海道の日高ひだか地方という田舎で生まれ育った。子供の頃病弱だったこともあって、本を読むのが大好きだった。だが、周りには読書を趣味にする友達なんてひとりもいなかった。
 大好きな小説のことをだれかと語り合いたい――そう思いながら悶々もんもんとしていたぼくは、ある時、顕さんの書評に出会った。本当はスケベな目的で手に入れた雑誌だったのだが、その雑誌の書評欄で、ぼくが大傑作だと思った小説を顕さんも大絶賛していたのだ。
 以来、ぼくは定期的にその雑誌を手に入れるようになり、やがて、編集部付けで顕さんに手紙を送るようになった。
 しばらくすると、顕さんから返信が来た。

 坂本、北海道のど田舎でハードボイルドを愛する高校生がいるなんて、感動した。おまえからの熱い手紙を読んで、いつもにやにやしながらワイルドターキーを飲んでいるぞ。
 さて、話は変わるが、今度、編集部とタッグを組んで、日本冒険小説協会ってやつを立ち上げることにした。坂本みたいなやつらを集めて、わいわい酒を飲みながら好きな本のことを熱く語るんだ。どうだ? いいだろう。そのための酒場も新宿のゴールデン街ってところにオープンさせることにした。
 坂本、おまえ、来年受験だろう? 東京の大学に進むんだろう? 神保町じんぼうちょう早稲田わせだの古本屋街を毎日覗のぞいて歩くのが夢だって手紙にあったもんな。待ってるぞ。早く来い。

 その手紙でぼくは有頂天になった。元から首都圏の大学に行くつもりだったのだが、もう、他の選択肢は目に入らなくなったのだ。
 本好きの集う酒場なんて、パラダイスじゃないか。早く東京に行きたい。早く、この熱い思いを同好の士と分かち合いたい。
 あの頃のぼくは、ゴールデン街という飲み屋街がどんなものなのか知らなかった。顕さんが酒を飲むと豹変することも知らなかった。
 ぼくは幸せな田舎の少年だったのだ。
 ゴールデン街に初めて足を踏み入れてから二年。ぼくはすっかり変わってしまった。

(第2回へつづく)
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