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試し読み

【新連載試し読み】深町秋生「煉獄の獅子たち」

10月11日(木)発売の「小説 野性時代」2018年11月号では、深町秋生「煉獄れんごくの獅子たち」の連載がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開します。

警察は一大ヤクザ組織・東鞘会とうしょうかいの壊滅を目論んでいた。組対そたい四課の我妻らは、構成員の家を張り込むが――。
暴力にまみれる外道たちの憂愁を描いた話題作『地獄の犬たち』の前日譚!

>>【試し読み】深町秋生『地獄の犬たち』

 我妻邦彦あづまくにひこは最後のガムを噛んだ。
 ミントの刺激的な辛さが口内に広がったが、眠気はしぶとく頭に居座り続けた。朝の陽光が車内を暖めている。
 ドリンクホルダーのエナジードリンクに手を伸ばして、プルトップに指をかける。
 運転席の浅見濠あさみごうが、不安そうに我妻を見やった。
「あの、班長」
「なんだ」
「いえ……その」
 浅見は目を伏せた。
 我妻は鼻を鳴らした。浅見は体重九十キロを超える巨漢だ。パンチにしか見えない天然パーマの髪型と、岩石のようなごつい顔つきのおかげでヤクザに間違われるが、いたって慎重で真面目な刑事だった。
「わかったよ」
 部下のいさめに従い、缶をドリンクホルダーに戻した。すでに缶コーヒーや栄養ドリンクを何本も飲んでおり、過剰にカフェインを摂取し続けていた。一時的に眠気を追い払えても、注意力が散漫になる。
 運動や鍛錬を怠った覚えはない。それでも三十代半ばになってから、徹夜がやけに応えるようになった。組対四課広域暴力団対策係に配属されてから一年。休みなく働き続けたせいもあるが、身体が重く感じられ、張り込みのたびに目や腰が痛みを訴える。
 浅見がふいに前のめりになった。五つ歳下の部下は、我妻とは対照的に目を皿にして見張っている。緊張しているのか、肩に力が入っているようだ。
「来ました」
 マンションの入口から、黒のスウェットを着た女が姿を現した。我妻は目をこらす。
 杉谷実花すぎたにみかだ。くしで整える暇はなかったらしく、長い茶色の頭髪はひどく乱れていた。顔の半分をマスクで隠し、両手にトートバッグを抱えながら、警戒するようにあたりを見回している。
 我妻らがいるミニバンから、マンションまでは二十メートルほど離れている。それでも実花だとすぐに視認できた。彼女は左目に青タンをこさえていたからだ。
 はじめは慎重だった実花の足取りは、ミニバンに近づくにつれて、速度が速くなった。やがて小走りになり、必死な顔つきで我妻らのほうへ向かってくる。
「乗せてやれ」
 後部座席の部下に声をかけた。
 実花がミニバンに乗りこむと、部下が即座にスライドドアを閉じた。実花からはすっぱい汗の臭いがした。苦しげに肩で息をする。
 朝五時の月島つきしまの住宅街だ。ウォーキングに励んでいる老夫婦ぐらいしかおらず、筋者すじものの姿は見当たらない。
 我妻は実花の肩を軽く叩いた。
「眠ってるのか、やっこさん」
 実花が首を横に振った。
「起きてる。テレビをガン見してるから、その隙に……」
 我妻は腕に注射をするフリをした。
「やってるのか」
 実花が唇を噛んでからうなずく。
 三人の部下たちの間に緊張が走った。本庁のマル暴とあって、全員がシャブ中の恐ろしさを知っている。柔道やレスリングで鍛えた猛者であっても、覚せい剤でぶっ飛んだ人間には敵わない。
 我妻はさらに尋ねた。
「娘は?」
「……寝室に」
 実花が救いを求めるような目を向けてきた。
 彼女は我妻と大差ない年齢にもかかわらず、目の周りの肌はひどくたるみ、額には何本もの皺が刻まれて老女のようだ。夫と同じく覚せい剤の泥沼にどっぷりとはまり、そこから這い出るために勇気を振り絞って警視庁に協力を申し出た。
 実花は極道の妻だった。夫の杉谷博昭ひろあきは、首都東京に巣食う東鞘会系の構成員だ。銀座を根城にした二次団体の数寄屋橋すきやばし一家の若衆で、自身も組の看板を掲げる組長でもある。ただ、組長とは名ばかりで、杉谷に子分はいない。いわゆる・ひとり組長・というやつで、実花にさんざん身体を売らせ、その売上をクスリに注ぎこんできたクズ野郎だ。
 厳冬の時代といわれる今の暴力団には、杉谷のような極貧ヤクザは珍しくない。構成員約七千人を誇り、関東最大の広域暴力団の東鞘会も例外ではなく、海外に進出して太く儲ける者もいれば、時代の波にすっかり乗り遅れ、今日の食事代にも事欠く杉谷のような敗残者も多く、組織内で極端な二極化が進んでいる。
 その手の落ちぶれヤクザは、ひったくりや強盗に走るか、振り込め詐欺の受け子や出し子に使われるのがオチだ。あるいはクスリに逃げては家族を刺し殺し、道端に出ては通り魔と化すかだ。どちらにしても、悲惨な末路は避けられない。
 それでも東鞘会は警察組織にとって、未だに脅威といえる反社会的勢力だった。
 関東のヤクザは争いを好まないと言われてきた。国家権力とも適度につき合い、首都東京がもたらす甘い汁を享受する。関西ヤクザと違って拡張主義を取らず、お上にも逆らわずに共存共栄で生きる。東鞘会も例外ではなく、牧歌的な気質が染みついていたという。
 当代の氏家必勝うじいえまさかつは、その甘さが東鞘会を遠からず崩壊させると危惧を抱き、関東の団体のなかでいち早く改革に踏み切った。四年前のことだ。
 警察やマスコミとのつき合いを一切禁止し、情報を漏らした者は即座に破門。鉄の掟を設けて規律の引き締めを図るとともに、組織の国際化を目論み、少子化や高齢化社会に喘ぐ日本国内に留まらず、著しい経済成長を見せる東南アジアやロシア、中国に進出した。
 現在の東鞘会でもっとも太く稼いでいるのは、暴対法や暴排条例の及ばない新興国で、開拓に励んだ構成員たちだった。
 ビジネスはおもに日本人相手で、現地で飲食店を開き、ドラッグ密売や売春を手がけ、やがて裏社会の中心に躍り出る。公共工事を日本のゼネコンに回して手数料を得るといった、従来の手法を使って荒稼ぎをする者もいる。氏家の右腕である副会長の神津太一こうづたいちが、海外進出を目指す組員に対して、低利でカネを貸しつけ、時には腕自慢の兵隊も送りこんだ。
 当然ながら現地のマフィアと揉め事を繰り返しているが、閉塞感の漂う日本を飛び出して、極道本来の暴力性を発揮し、銃弾を浴びてでもシノギをぶん捕ろうと、野心をたぎらせる組員が後を絶たない。
 一方で、氏家と神津は古い体質を引きずった者を容赦なく切り捨ててきた。むしろ、改革についていけない組員のほうが多数を占めている状態にある。杉谷もそのひとりだった。
 実花がトートバッグを差し出した。なかには文化包丁や果物ナイフ、それに刃渡り二十センチはある白木の匕首あいくちがあった。
「危ないものは、できるだけ持ってきたよ」
 実花は洟をすすった。青タンを涙で濡らし、彼女は哀願するように頭を下げる。「だから……」
「警察を頼ったからには、悪いようにはしない。任せておけ」
「お願い……娘が。莉央りおが」
 実花は濡れた目で訴えてきた。その意味を理解する。
「行くぞ」
 実花から部屋の鍵を受け取り、我妻はミニバンを降りた。
 五月の乾いた風が頬をなでる。部下のひとりにボルトカッターを用意するように告げる。
 浅見が無線のマイクを掴むと、マンションの裏手で張りこんでいる月島署員三名に声をかけた。我妻も合わせれば、七人もの捜査員で踏みこむことになる。それでも、彼らの表情は冴えなかった。 
 三か月前、組対五課の薬物捜査係の捜査官が、関西系ヤクザの自宅兼事務所を急襲した。ヤクザはクスリをキメたばかりで、ひどい被害妄想に囚われ、枕の下には殺傷能力の高いダガーナイフを隠していた。
 腕に覚えのある捜査員らが暴れるヤクザを取り押さえようと立ち向かったが、狂犬のようにダガーナイフを振り回され、大いに手を焼いた。全員が防刃ベストを着用しており、生命にかかわる傷は免れたものの、若手ひとりが耳を切り落とされ、その上司も頬を裂かれて重傷を負った。
「急げ」
 我妻は部下を叱咤しったして早足で向かった。スーツのボタンを外し、いつでも拳銃や特殊警棒を抜き出せるようにした。浅見たちが慌てたように追ってくる。
 マンションは築三十年は経っていそうな古ぼけた建物だった。敷地内にはスチール製のゴミ収集箱があり、大量のゴミ袋が溢れんばかりに押しこめられていた。ろくに分別がされておらず、回収業者から拒否され、そのまま放置されたものもあるようで、胸クソの悪い腐敗臭が鼻に届く。
 ガラス扉を開けると、ロビーに設置された郵便ポストからは、たくさんのチラシがあふれて床に散乱している。壁にはコインで引っ掻いたであろう傷が無数にあり、ところどころに便所の落書きのような卑猥な言葉やマークが描かれていた。
 一階には管理人室があった。ゴミ収集箱と同じく、ダンボールやゴミのつまったビニール袋が天井まで山積みになっていた。管理組合と直接契約していた管理人が数年前まで常駐していたらしいが、高齢を理由に退職しており、現在までちゃんとした後任を見つけられずにいるという。ロビーにはオブジェや彫像が飾られているも、ほこり蜘蛛くもの巣で汚れ、かえってみすぼらしさを強調している。マンション自体が、杉谷の極道人生を思わせた。

(このつづきは「小説 野性時代」2018年11月号でお楽しみください)
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