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試し読み

青い瞳の准教授と孤独な大学生が“怪異を解釈”!? 『准教授・高槻彰良の推察 民俗学かく語りき』#3

澤村御影さんの新作『准教授・高槻彰良の推察 民俗学かく語りき』が11月22日に角川文庫より発売されます。発売を記念し、カドブンでは、11/19,21,23の3日間にわたって試し読みを配信します!

幼い頃、不思議な祭に迷い込んだ大学生・深町尚哉ふかまちなおや。大学に入学した尚哉は、超記憶能力を持つ青い瞳の准教授・高槻たかつきと出会う。高槻はツチノコやトイレの花子さん、幽霊物件といった、怪異や都市伝説を嬉々として研究していた。彼もまた過去に奇妙な体験をしていて――!?

 
 高槻彰良という男は、確かに面白い人物のようだった。
 というか、講義が進むにつれて徐々にわかってきたのは、『意外に残念なイケメン』ということだった。
 ある日の講義で、珍しく高槻が遅刻してきたことがあった。
 講義開始時刻を十分ほど過ぎてから慌ただしく教室にやってきた高槻は、マイクの電源を入れるのもそこそこに、
「遅れてごめんね! 陽のあたる机に放置してたフルーツサンド、まあ大丈夫だろうと思って食べたらやっぱり駄目だった! お腹壊してしばらくトイレにこもってました、ごめんなさい!」
 ……そういうことはあまり大声で言わない方がいいと、たぶん教室にいた誰もが思ったはずだ。
 また別の日の講義では、口裂け女の姿の変遷を黒板に図解してくれたのだが、これがまたとてつもなくひどい絵だった。最初は長い髪にマスクという特徴のみだったのが、そのうちに赤いコートに白いパンタロンになったり、赤い帽子になったり、赤いスポーツカーに乗り始めたりしたらしいのだが──黒板に書かれたそれらの絵を見て、尚哉の後ろの席の学生はぼそりと「なんかあれ、幼稚園で見る『おかあさん』の絵にそっくりだよね」と言った。……確かに、大体そんな感じの絵だった。
 とはいえ、講義自体はやはり聴きやすく、興味の持てる内容だった。他の講義では徐々に出席する学生の数が減っていき、とうとう大教室から中教室に格下げになった講義まで出たというのに、相変わらず高槻の講義は盛況だ。初回講義ほどではないにしても、毎回教室の八割ほどは埋まっている気がする。
 逆の言い方をすれば、高槻の講義でもサボる者がいるということなのだが──これに関して、高槻という人物を語るうえでもう一つ特徴的なことがあった。
 前の週で《紹介編》を終え、今週は《解説編》というとき、高槻は毎回のように、教室を見渡しては一部の学生に目を留め、こう言うのだ。
「君と君、あと、そこの君と君と君は、前回の講義にも補講にも出てなかったけど、今回の講義には出るんだね? 大丈夫? 前回の資料、渡した方がいいかな?」
 それが一番前の席の学生であろうと、一番後ろの席の学生であろうと、同じように高槻はそう尋ねる。視力も良いのだろうが、どうやら記憶力が恐ろしく良いらしい。毎回出席している学生の顔を覚えているようなのだ。二百人以上いるはずなのに。
 そして、そんな高槻に、尚哉が顔どころか名前まで覚えられることになったのは、六月初めのことだった。
 講義が終わり、学生達が席を立とうとしたその瞬間、高槻が一度切ったマイクの電源を再び入れて、こう言ったのだ。
「ああそうだ、忘れてた。文学部一年の深町くん、深町尚哉くんはいるかな?」
「……え、あっ、はい! い……います」
 いきなり呼ばれて、尚哉は席から跳び上がりそうになった。高槻が誰かをこんな風に指名するのは初めてだ。とりあえず片手を挙げて、ここにいますと主張してみる。
 高槻がこっちを見た。
「先日提出してもらったレポートの件で、ちょっとお話があります。この後、時間あるかな? ないなら、また後日あらためて僕の研究室に来てほしいんだけど」
「あ……あり、ます。大丈夫、です」
 尚哉が答えると、高槻は「よかった」と言ってうなずき、尚哉を手招きした。尚哉は仕方なく、教室の後ろの扉から出て行こうとする学生達の流れに逆らって、教壇の方へ向かう。今日に限って、後ろの方の席に座っていたのが裏目に出た。
 レポートというのは、先週の講義の際に、高槻が出した課題だ。
 内容は、それまで扱ってきたテーマの中からどれか一つについて、自分なりにまとめてみろというものだった。だが、なぜいきなりその件で呼び出されることになるのだろう。何か余程の不備でもあったのだろうか。
 尚哉がようやく教壇前にたどり着いたときには、もうほとんどの学生が外に出た後だった。教室の中は静かで、高槻は黒板に書いた文字を消しているところだった。
 英国風の上品なスーツをまとったその背中に向かって、恐る恐る声をかける。
「あの、俺が書いたレポートが、何か……?」
「ああ、ごめんね。皆の前で急に呼びつけたから、びっくりしたよね」
 高槻が振り返り、チョークの粉がついた指を払った。
「これから僕の研究室に来てもらってもいいかな? この後の講義の予定は?」
「今日はもうないです。水曜は三限までしか入れてないんで」
「それはよかった。じゃあ、行こうか」
 自分の鞄を手に取り、高槻が歩き出した。
 黒板脇の出入口は、基本的に学生は使わず、教員の出入り専用となっている。高槻が颯爽さっそうとした足取りでそちらを目指すので、尚哉も慌ててその後を追った。
 教壇と階段教室の座席、という距離感以外で高槻を見るのは初めてだった。こうして並ぶと、その背の高さがあらためてよくわかる。身長一七二センチの尚哉からすれば、ちょっと見上げるほどだ。たぶん一八〇は超えているだろう。脚が長いので、歩幅も広い。尚哉はやや速足に高槻と並んだ。
 教員用の出入口は、そのまま校舎の外に直結していた。階段教室なので、後ろの扉は二階にあるが、教室の一番下は一階なのだ。
 陽射しの降り注ぐ中庭を突っ切って歩きながら、高槻が言った。
「そんなに緊張しなくていいよ。君のレポートは、よく書けてた。毎回講義に出てたし、ノートも取ってたみたいだからね。真面目な学生だなあって思ってたんだよ」
 にこりと笑って、高槻が尚哉を見る。
 光に透けたそのひとみが一瞬青みがかって見えて、尚哉は目をみはった。
 西洋人の明るいブルーアイズとは違う。もっとくらく深い、夜空のような藍色あいいろに近かったような気がする。
「深町くん? どうかした?」
 思わずまじまじと高槻の顔を見上げていたら、怪訝けげんそうに見下ろされてしまった。
 先程のは光の加減だったのだろうか、今はもう普通の焦げ茶色の瞳に見えた。
「あ、いえ、何でもないです。……あの、先生」
「何?」
「講義に出てる学生の顔、本当に毎回覚えてるんですか?」
「覚えてるよ。僕は昔から、他の人より少し記憶力がいいんだ」
 高槻がそう言って笑う。少しどころの話ではない気がするのだが。
 この時間の中庭は、ちょっとしたカオス状態だ。四月を過ぎるとサークル勧誘は下火になったが、本来の活動の方が勢いを取り戻したらしく、そこかしこで学生達が様々なことをやっている。音楽をかけながらステップを踏んでいるダンスサークル、円になって発声練習をしている演劇サークル、何かわからないがかなりの人数で大縄跳びをしている連中、ジャグリングにいそしんでいるのは大道芸研究会らしい。
 高槻はそれらの間を器用にすり抜け、研究室棟と呼ばれる建物へと歩いていく。
 尚哉は尋ねた。
「レポートに問題がないなら、何で俺は呼び出されたんですか?」
「うん。実は、話を聞きたいのは、レポートのおまけの方についてなんだよね」
 高槻が答える。
 レポートのおまけというのは、高槻が学生達にレポートを課した際、「書ける人だけでいいけど、誰かから聞いた不思議な話とか、自分の奇妙な体験談とか、そういうのをおまけでつけてくれたら、ちょっと加点するよ。ただし、前にも言った通り、創作と噓は駄目だからね」と言ったものである。
 尚哉はそれに、子供の頃にあった奇妙な出来事の話を書いたのだ。
「確認するけど、あれは他の人から聞いた話や、何かで読んだものじゃなく、君自身の体験なんだね?」
「……はい」
「そう。とても興味深い話だったので、ぜひもう少し詳しく──」
 そのときだった。
 突然、高槻の真横で、何かが羽ばたく音がした。
 尚哉も驚いて、思わずそちらを見る。
 真っ白な鳩が二羽、ばさばさと飛び去っていくところだった。シルクハットとステッキを持った学生二人が、慌ててその後を追いかけている。
「……マジック研究会、ですかね。帽子から鳩を出す手品の練習なら、室内でやった方が……先生?」
 そこで尚哉は、傍らに立つ高槻の顔がひどく強張こわばっていることに気づいた。
 高槻の手からかばんが滑り落ちる。長身の体がふらりと揺れ、尚哉は慌てて手をのばしてそれを支えようとした。が、支えきれず、一緒に地面にひざをつく。
「高槻先生? 先生、大丈夫ですか!?」
 のぞき込んでみると、うつむいたその顔からは完全に血の気がせていた。貧血だろうか。周りの学生も様子に気づいて、心配そうにこちらを見ている。
 と、高槻が手で軽く額を押さえつつ、口を開いた。
「……ああ、ごめん。びっくりさせたね」
 その声はまだ少し力ないが、口調はしっかりしている。
「ちょっと経ったら自然に治るものだから、心配しないで。大丈夫だから」
「貧血、ですか?」
「うん、まあ、似たようなもの。……僕ね、鳥が怖いんだ」
「は? 鳥が……ですか?」
 確かに、こうなる直前、高槻のすぐ傍を鳥が飛んで行った。
 だが、鳥といっても、さっきのはただの鳩だ。
「怖いって、どうして……鳩は人間を襲ったりしないですよ?」
「そう言われても、鳥全般怖いんだよ。恐怖症なんだ」
 高槻がそう言って、立ち上がる。顔色は戻りつつあるが、まだふらつくようだ。
「恐怖症って、何でそんなに鳥が怖いんですか?」
「深町くんは、ヒッチコックの『鳥』って映画観たことない?」
「ないです」
「じゃあ、ぜひ観るといい。きっと君も、鳥が怖くなる」
「自分の恐怖症を他人にまで広めないでください」
「いやまあ、別にその映画のせいってわけでもないんだけどね。──昔から、どうも苦手なんだ。スズメとかインコとか、小さい鳥ならまだ大丈夫なんだけど……ああでも、あれも数がたくさんになると駄目だな。あのばさばさいう羽の音が、どうしても耳についちゃって」
 顔をしかめて高槻が言う。どうやら本当に苦手らしい。だが、蜘蛛くも恐怖症などは聞いたことがあるが、こんなに真っ青になって倒れたりするほどのものなのだろうか。
「保健室とか、行かなくていいんですか?」
「大丈夫、研究室で休むよ」
「あ、じゃあ、荷物持ちます」
 せめてと思って、高槻が拾い上げようとした鞄に手をのばす。
 高槻は驚いたように何度かまばたきして尚哉を見て、かすかに笑った。
「ありがとう。でも、資料とかパソコンとか入ってるから、結構重いよ?」
「だったら、なおさら持ちます」
 取り上げた鞄は、高槻の言葉通り、それなりの重さがあった。まだ足元のおぼつかない人間が持ち運んでいいものではないと思う。
 高槻の鞄を手に歩き出した尚哉に向かって、高槻が言った。
「深町くんは優しいんだねえ。電車の中でお年寄りに自然に席を譲れるタイプだ」
「……別に。普通です」
「普通の定義はとても難しいんだよ。でも、君の中で、弱ってる相手に親切にするのが普通であるなら、それはとても人として好ましいことだと僕は思う」
「すごく学者っぽい言い回しですね、それ」
「これでも学者なものでね」
 先程よりははっきりと、高槻が笑う。だいぶ気分が回復してきたのかもしれない。
 高槻の研究室は研究室棟の三階にあった。各部の教諭と院生の巣となっている建物なので、一年生はあまり用のない建物だ。各研究室の扉にはそっけないナンバープレートと一緒に小さく教諭の名前が掲示されている。
 高槻の部屋は、304だった。かぎはかけていないのか、高槻はそのまま扉を押し開け、中に入っていく。
 尚哉もその後について部屋の中に入ろうとし──そこでぎょっとして足を止めた。
 床の上に人が倒れている。

(このつづきは本編でお楽しみください)
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