高田大介初の民俗学ミステリー『まほり』ついに文庫化!
その町には、二重丸の書いてある貼り紙がびっしりと貼ってあって――この都市伝説から『まほり』の謎が始まる。寡作なものの、『図書館の魔女』でのデビュー以来、本読みのプロを唸らせてきた注目作家・高田大介。その最新民俗学ミステリー『まほり』がついに文庫化されます。読書メーターで「週刊おすすめランキング」1位(2019年 週間おすすめランキング情報Vol.354)を獲得した話題作の冒頭を特別に公開!
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『まほり』試し読み
第一章 馬鹿
少年は
渓流は先週の台風以来ようやく水量が落ち着いてきていたが、昨晩も激しい雷雨が
沢を
もっともそこが町育ちの判っていないところで、土地の者なら一人で沢登りに赴くような不用心はしない。川辺に近づくときは少なくとも二人組、不測の事態に助けを呼びにいけるように人数を確保しておくのが本当で、まして親に
山を知らぬ淳が、鉄砲水というのがどれくらい不意打ちに来るものか知らなかったのは仕方のないことだろう。こちらからは見えぬ山向こうで夕立があったというだけで、突然に川岸まで泥流に飲み込まれる。淳の育った新興住宅地は自然災害の脅威などとはほとんど無縁で、いつでも山に一抹の恐れを抱いて暮らしている山間の人々の心性を理解できようはずもない。鉄砲水、山崩れ……この地域では
その恐れを共有しない淳は、やはりここでは無知で愚かな町育ちのぼんにすぎなかった。
だが仮にも中学生の淳が、数歳年下の学童からお味噌に扱われているというのはなにしろ業腹だ。元の学校では成績でも運動でも人に大きく後れを取ったことがないというのにである。
武男だって二学年も下だった。小学校も中学校も同じ屋舎に押し込められたこの地の分校で上級生としての権威を保つには、どうしたって山の暮らしの実力を証明して汚名を
前に武男とこの沢に来たとき、上流の淵、岩陰の
いまだ渓流釣りの難しさを実感として知らぬ少年だけに手前勝手に
渓流は樹林の覆う山腹に鋭く切り込んだように深く続いてゆき、武男たちが本拠にしている谷川はもう山の向こうの別世界のように思える。この
少年はサンダルを滑らせないようにそっと足を運んで危なげに倒木を渡り切ると、人目を忍ぶように木陰の暗がりを進み出ていった。山女魚は音に
こっちがこんなに気をつけているのに何だよ! 山女魚が逃げちゃうだろ!
だがこのような深山に自分以外の足音を聞くということの意味をすぐに思い出した淳はとっさに手近な岩陰にしゃがみ込んだ。えっ……? こんなところに……誰が……?
冷えた渓流の底で淳の背中が総毛立った。一番に脳裏に浮かんだのはこんな山奥の
いや、ここは人の踏み込まぬ原生林、足音の主は狸か鹿か、人とは限らない。岩に身を寄せて身を隠したまま渓流の
下駄? 岩に
好奇心が
和装だった。川辺の少女は着物姿で川の方を向いて
淳は、すわ妖怪かと窺った渓流の瀬にこのような際物めいた出で立ちの少女を目にして?然として立ちすくんでいた。言葉もなかった。
少女は片足が裸足で、手に脱いだ片方の下駄の鼻緒をぶら下げて垂らしていた。つま先から最初の歯までが
淳はまだ、これが幽霊か何かではないだろうなとおびえていた。少女の出で立ちにはどこか着回しの整わぬところがあって、俗な怪談
深緑の谷川の瀬に深紅の和装の少女、浮世離れした光景に淳は目も離せず、言葉も出せず、すでに岩陰に身を隠すことも忘れて立ちすくんでいた。だが彼が本当に
少女は水際にもう一歩にじりよると屈みこんで川水に手を洗った。そして立ち上がりしなに手を振って水を切った後で、着物の裾をはしょって
自分が足音を忍ばせて瀬に立ち寄ったのは山女魚の淵を騒がせないためだった。釣り人の当然の作法だった。だがそれが判ってもらえるか。出歯亀を決め込んでいたのでないと理解してもらえるか。
目を見開き、息を詰めて見つめる少年、その前で少女は着物を
?然と見開いた
あっ、あっ、と淳はたたらを踏み、後ずさって一瞬、取り落とした竿袋とまだ手の中の釣り道具の袋を交互に見やった。それが何かの言い訳になるとでも言うように。そうしながら目の前の少女のあられもない姿に視線は戻っていった。
少女は淳の前で着物の裾をからげて持ち上げたまま、その身を
少女は目を丸くして初めて目の当たりにした動物でも見るかのように淳に視線を据えたまま、彼の目の前で小用を足し始めた。一段下がった瀬の岩陰から、少年はその様子をずっと見ていた。少女の尿が放物線を描いて、泡立つ渓水と合流し、淳の足下まで流れ下ってきた。
少年は混乱した。目の前の少女は用を足しながら、まるで立派なことでもしているかのように、満足そうな手柄顔の薄笑いを浮かべて淳の目をまっすぐ見つめているのだった。
「おった! おった!」
淳は慌てて足下の竿を取り上げた。
「下さぁ! 追っとばして!」
響く声は森林の下草に遮られて遠く聞こえる。だがそれは思ったより近いはずだ。目の前の少女はびくっと体を震わせると立ち上がる。はしょっていた裾がすとんと足首まで落ちた。身を
「川べりにおる! いごいちゃだめだんべで、今いぐから!」
無理に羊歯の下草を踏み分ける音、声は数人が呼び交わしている。淳はどうしてよいか判らず相変わらず岩陰に固まっていた。少女は川べりに淵の水を撥ねさせて、不恰好な足取りで川上に走っていた。片足だけの下駄で、角の立った渓流の石に裸足の右足をとられていた。
「動くなてゆったべやぃ! 今いぐから!」
呼び交わす声が近づく。
「あっこおる! 赤いのさぁ!」
それは少女の赤い装束を目印に渓流への藪を抜けてきているのだと判る。淳は岩陰から動くことも出来ずに、川の上手に人が集まっていくのを凍りついて見ていた。
やがてずっと
男は藪を?き分けた時に装束にからんだ羊歯を恨みがましく川辺の石に投げつけて、少女に歩み寄ると一発、平手を見舞った。少女は諾々とうなだれて両手のこぶしをそろえて差し出していた。
「おぉか勝手なことすんなて!
少女は両手を差し出したまま、上目遣いに男を見上げて頷いていた。
「張っとばすよ! 判るね!」
男の後について川辺を登っていく少女は、誰も見ていないのに何度もなんども頷き続けていた。
渓谷が静まり返ったあと、淳は熱に浮かされたように山を下りた。もう山女魚のことなど考えてはいなかった。だがその日の一件をだれにも話すことがしばらく出来なかった。何度もなんども同じ光景を脳裏に
その間に淳が思い返していたのはもちろん、うなだれて道無き藪を引き分けて、渓流の
古来「目は口ほどに」と言うように、眼差しというものは必ず何かしらを語るものだ。言わずとも言ってしまうものだ。だがあの眼差しにはなんらの言葉も無かった。なにも訴えてはいなかった。そのように見えた。
もし仮に……あの眼差しに何か
あのように、あんなかたちで人を
(この続きは本書でお楽しみください)
読む際のお守りになるありがたい御朱印も公開中! どこの神社かは読んでからのお楽しみです!
作品紹介・あらすじ
まほり 上
著者 高田 大介
定価: 704円(本体640円+税)
発売日:2022年01月21日
まほりとは?蛇の目紋に秘められた忌まわしき因習とは?前代未聞の野心作
大学院で社会学研究科を目指して研究を続けている大学四年生の勝山裕。卒研グループの飲み会に誘われた彼は、その際に出た都市伝説に興味をひかれる。上州の村では、二重丸が書かれた紙がいたるところに貼られているというのだ。この蛇の目紋は何を意味するのか? ちょうどその村と出身地が近かった裕は、夏休みの帰郷のついでに調査を始めた。偶然、図書館で司書のバイトをしていた昔なじみの飯山香織と出会い、ともにフィールドワークを始めるが、調査の過程で出会った少年から不穏な噂を聞く。その村では少女が監禁されているというのだ! 謎が謎を呼ぶ。その解明の鍵は古文書に……?下巻へ続く。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322108000224/
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まほり 下
著者 高田 大介
定価: 704円(本体640円+税)
発売日:2022年01月21日
まほりとは?蛇の目紋に秘められた忌まわしき因習が今、明かされる――
主人公裕は、膨大な古文書のデータの中から上州に伝わる子間引きの風習や毛利神社や琴平神社の社名に注目し、資料と格闘する。裕がそこまでするには理由があった。父が決して語らなかった母親の系譜に関する手がかりを見つけるためでもあったのだ。大した成果が得られぬまま、やがて夏も終わりに近づくころ、巣守郷を独自調査していた少年・淳が警察に補導されてしまう。郷に監禁された少女を救おうとする淳と、裕の母親の出自を探す道が交差する時――。宮部みゆき、東雅夫、東えりか、杉江松絶賛の、前代未聞の伝奇ホラーミステリーにして青春ラブストーリー! 感動のラストまで目が離せない、超弩級エンターテインメント。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322108000230/
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高田大介さん、初!!の(メール)インタビュー!
読書界・本読みのプロが激推しの民俗学ミステリー『まほり』(上・下)! フランス在住の高田大介さん、初!!の(メール)インタビュー!
https://kadobun.jp/feature/interview/b71bfutk1lc8.html