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試し読み

【試し読み】あなたの家は大丈夫?――夢見里龍『奇妙な家についての注意喚起』第一の家・第二の家を全文公開(2/2)



 私はブログを読み終えて、息をついた。
 その後は何事もなかったかのようにホテル副支配人である夫の日常を書きとめた記事ばかりになっていた。意識して避けていたのか、妻や家の話は載っていない。一年後にホテルが倒産。ブログの更新も途絶えた。
 売却された家がその後、どうなったかは分からない。
 
「確かに第一の家と似ていますね。まったく別の怖い体験談ではありますが、奇妙な構造をした家、という軸が共通しています」
 ヤモリさんに第二の家の話を紹介したところ、ブログを検索して読んでくれた。
 第一の家の話で考察を語りあってから、ヤモリさんとはよく話すようになっていた。
 ヤモリさんはいわゆる読書アカだ。日頃から読了した小説の感想を投稿しており、愛読している本が一致していたことでさらに親近感が湧いた。SNSという場なので、読書の感想しか投稿しないヤモリさんの素姓はうかがえなかったが、愛読している作家の傾向、膨大な知識量や言葉遣い、顔文字の選びかたから察するに熟年の女性ではないかと推測していた。
 私たちはチャットのようにリアルタイムで喋ることもあれば、文通のように何週間かの期間を空けながら長文の交換をすることもあった。その時は文通期だったので、彼女からの返信は八ヶ岳でも梅のつぼみほころぶ三月過ぎになるだろうかと思っていた。
 だが意外なことに返信は二日と経たずにかえってきた。
「奇妙なかたちに設計された家に住んで不可解な現象に見舞われるという部分だけではなく、人間関係がたんをきたしていくというところまで一致していますね」
「まあ、どちらの要素も家系ホラーのお約束ではあるので、ほんとうに関連があるかは分からないのですが。家の設計が似ているなと」
 家系ホラーとは小説とか映画とかで昔から人気のジャンルで、古いものだと1979年制作の『悪魔のむ家』1982年制作の『ポルターガイスト』といった映画が有名で、小説だと氏の書いた『ざん』等が有名である。今でこそ家系、物件系ホラーは人気を博しているが、私がこの話を収集していた令和四年はまだ、じわじわと火がつきはじめた頃だったと認識している。
「家は生活の基盤ですから。実際、家に殺されることって結構あるんですよね」
 家に殺されるというヤモリさんの言葉は私に刺さった。不謹慎だが、良い表現だ。
「家が死因というのが正確ですが、事故物件のなかでも連続して居住者が自殺したり事故死したりするいわくつきの物件ってあるじゃないですか。事故物件に暮らしてみたレポとかがありますけど、調査したひとが体調不良に見舞われたりしています。霊障だと騒がれていますが、実のところ、あれって家の構造に欠陥のある例が多いんですよ」
 ヤモリさんのコメントに「え、そうなんですか?」とかえす。
「よくある例は建材ですね。壁紙の接着剤にはホルムアルデヒドというものが含まれていることがあって、これを吸いこむとシックハウス症候群になります。頭痛やめまい、疲れ、傾眠、鼻炎にぜんそくといった様々な症状が現れ、段々体調に異変をきたします。そうなると気分が落ち込んだり不注意で事故に遭ったりという危険性が増します」
「なるほど、確かにそれは考えられますね。幽霊の正体見たりということでしょうか。私の幼少期にアスベストの危険性が明らかになって、騒動になったのを思いだしました」
 平成十七年だっただろうか。その一年後にはアスベストの使用が全面停止になった。私はあることを思いだして「そういえば」と続ける。
「十九世紀ごろにヨーロッパでも似た事例がありましたね。貴族の間ではエメラルドのようにあざやかな緑の壁紙や緑の家具等が人気を博していたのですが、実はその緑はからつくられていたんです。なので緑の部屋に暮らしていた貴族たちは続々と砒素中毒になって、命を落としました。ナポレオンの死因も実は毒殺ではなくこの緑の部屋だったのではないかという噂があるくらいです」
 この致死毒の緑で染められた死のドレスもあったとか。砒素の毒性が知られていなかった時代にはそでを通したものが死にいたる呪われたドレスとされていたかもしれない。
「今のは物理的に有害な、というか有毒な例ですが、他にも傾いた家に暮らし続けることで心身に負担がかかって自律神経が乱れるという研究結果もあります。こちらも睡眠障害に始まり、食欲不振、けんたい感、不安やうつ傾向等が表れるとか。車酔いみたいなと表現することもありますね」
「つまりは家の構造に異常があると、居住者も異変をきたすということですか?」
「そうなります」
 あらためて、ふたつの物件を確認する。
「第一の家は全室に設けられた排水口と床下の異様な排水管の配置。第二の家だとふたつあるドアノブ、ですかね」
「加えて、第二の家は外壁と内壁の建材も逆になっているのが私は気になりました」
 ヤモリさんに指摘されて「え、どこですか?」と尋ねる。読み落としていた。
「2019年5月13日の投稿記事に詳細が書かれていました。通常モルタル壁は外壁に、無垢材は内壁に使う建材です。モルタルはひび割れしやすいですし、でこぼこしているのでほこりがたまると掃除が大変です。外壁だと気にならなくとも、室内だと細部まで気になっちゃいますからね。たいする無垢材は耐水性も低いので、外壁にするとかびてしまったり変色したり、三年おきにメンテナンスが必要です」
「面倒ですね」
「天井部分に使われていたモスグリーンのガルバリウム鋼板も屋根材ですし。もちろん、絶対に内装には使わないというわけではないですけどね。ただ、この構造も怪異と関連性があるように感じます。あとは床のトラバーチン模様も気になりますね。これは天井材として人気の高いものです。ほら、病院とかでもよく見かけるあの模様ですよ」
「確かに奇妙なドアノブ側から入った時のリビングは左右反転していますね。鏡と表現されています。それから真っ赤になった妻というのは……想像したくはないのですが、身体が、つまりは表皮と皮下組織や臓物が裏返って露出していたのだと思います」
 保健室の人体模型ならば分かりやすいが、あれは剥いただけなので、さらに異様な姿になっていたのだろうと想像がついた。
「なるほど、現実的に考えるとかなりグロテスクですね。反転したというと、この奇妙な家に引っ越すまでは幸福そうなご夫婦だったのに、段々とすれ違いはじめて妻のこうや思考が真逆になっていきますよね」
 ヤモリさんの考察に私は「あれ?」と思った。
「すみません。私は変化があったのは妻ではなく、語り手である旦那さんのほうだと思って読んでいました」
「え、そうなんですか?」
「はい。旦那さん、前半は酸味の強いハヤシライスが好きだったのに、後半になると妻のハヤシライスは酸っぱくてまずいと書き込んでいます。ちょうど反転したリビングに踏み込んでから嗜好が変わっているような」
 通知が十五分ほどとまる。投稿を確認してきたらしく、ヤモリさんが「ほんとうですね」と感心したようにコメントを投げてきた。
 私もログを読みかえしながら、あらためて家についての考察を進める。
「ヤモリさんは先程家は生活の基盤だとおつしやいましたが、そのとおりだと思います。そもそも家という概念は自然界では特異なものなんですよね」
「どういうことでしょうか? 夢見里先生、是非続けてください」
 毎度のことながらヤモリさんは絶妙なところで相づちをいれてくれる。お陰でこちらはキーボードを打つ手がとまらなくなるのだった。
「家を造るのは人類だけです。動物は巣を造りますが、家は造りません」
「理解不足ですみません、先生の見解だと巣と家はどう違うのですか?」
「巣は役割を持った一時的な拠点です。鳥を例にするのが分かりやすいですね。鳥の巣は卵を産み、させ、ひなを育てるという繁殖の目的で造られます。なので、その役割を終えたら鳥は巣を捨てます。特定の場所に留まらないほうが安全ですから。ほかにも熊は冬眠のために巣を造りますが、春になると去ります。ですが人類は社会生活の基盤を築くために家を持ちます。眠るためとか子供を産むためとか、特定の役割を家に課すことはあまりなく、トータルで落ちつく環境としての家を欲しますよね。これ、非常に概念的なんですよ」
「なるほど『箱』ですね」
 今度は私が「箱、ですか?」と尋ねる側だった。
「人類は四角の箱を量産することで文明社会を得たという説があるんです。この四角は長方形のみを差します。そして長方形という造形は、実をいうと自然界にはめったにありません」
 こうも言い切られると「そうだろうか」と疑ってしまう。例外を挙げては気分を害させてしまうかもと思ったが、もやもやが残るので尋ねる。
「塩の結晶はどうですか?」
「さすがですね。仰るとおり、それがごくわずかな例外です。後はそうですね、シソ科の植物は基本断面が四角形の茎を持ちます。ですが、こちらは角にまるみを帯びた角丸四角という形であって、正確には長方形ではありません。それにたいして人類が文明のなかで造りだしてきた物には長方形が異様なほどに多い……」
 私がに落ちていない様子だったためか、ヤモリさんはこう尋ねかけてきた。
「夢見里先生、例えば今、家のなかに長方形の物ってどれくらいありますか?」
 うながされて、視線を動かす。
 パソコン、キーボード、クローゼット、テレビ、デスク、ベッド。なるほど、いずれも長方形だ。挙げるまでもないことだが窓もドアも長方形で、広い視野で考えれば六畳の部屋そのものが長方形の箱と表現できる。
「長方形のものばかりですね」
 考えてみれば、『家』と言われて連想する建物は通常、長方形でできている。
 都会のビルなんかはその典型だ。それにたいして動物の巣は基本が円形だ。熊の巣穴もまるく掘られているし、野鳥の巣も枝などを組んで円形に造られる。
 自然と融合した縄文のたてあな住居もまた、円環を重んじていた。縄文の住居は円形の穴を掘り柱をたて屋根を載せるという構造で、かつ広場を取りかこむように住居が環状にならんでいた。よって環状集落と称される。
「はい。ですから、長方形は人為の極致であり、文明社会の象徴でもあると考えられるわけです」
 独特な見解かつ極論だが、自身で長方形にかこまれていることを再確認したということもあり、先程よりは理解ができた。
「私は『家』というものは人類の造りだした最たる『箱』だととらえているんですよ」
 なぜだろうか。
 ヤモリさんのコメントを読んだ時、私は奇妙な胸さわぎがした。
「しかしながら夢見里先生、さすがのご考察ですね。家は人類の特異な概念。仰るとおりだと思います。第一の家の考察を見掛けた時にも思ったのですが、先生はこうした奇妙な家とご縁があるのかもしれませんね」
 ご縁か。私は日頃から『縁』という言葉を好んで使う。私のような才能のない物書きが小説家になれたのは『縁』の賜物だと思っているし、編集者様や読者様との『縁』があってこそ、いまだに原稿を書き続けられているのだから。
 だが、怖い体験談に縁があると言われると、なんだか。
 どう答えるべきかとなやんでいると、ヤモリさんから連続でコメントがきた。
「ところで夢見里先生は長方形と『箱』の違いが何処にあるか、分かりますか?」
「蓋がついていて、なかに物が入るというところでしょうか? 家が『箱』だとしたら、そのなかに人が入りますよね」
「仰るとおりです。ですが、あともうひとつ、大きな違いがあるんですよ」
 ヤモリさんは続けた。
「とじて、ひらく。これは『箱』だけです」
 とても抽象的な表現だ。理解できるような、できないような。
 私がこまっているとヤモリさんは持論をかみ砕いてくれた。
「家という概念は人が住むことで完成します。完成するとはとじることです。『とじた観念』があるから、それが崩れたりゆがんだりした時に綻びができるんです」
 ひもは結ばなければ解けない。一度は完成した物だから、壊れる。それと一緒だとヤモリさんは繰りかえす。
「とじるから、ひらくんですよ」
 ご理解いただけますか? 夢見里先生でしたらご理解いただけますよね? とヤモリさんは弾むように念を押してきた。押しの強さに負けたというのもあったが、「ひらく」という言葉の持つ奇妙な余韻には惹かれる。
 だから、私はこう尋ねた。
「一連の類似した家の体験談なんですが」
 捜せば、まだあるかもしれない。いや、むしろ第一、第二だけで終わるとはどうしても思えなかった。なにより、ヤモリさんと喋れば喋るほど私のなかで、もっと読みたいという危険な好奇心が膨らみだしていた。
「――――『ひらく家』と命名してもいいでしょうか?」
 
 
 令和四年二月中旬、私は暇さえあれば類似の体験談を捜すようになっていた。もちろん、編集者に提出するためのプロットの制作はこつこつと進めていた。
 だが、それも段々とおろそかになっていたのは事実である。
 さらに考察を重ねたいが、事例がふたつだけではおぼつかなかった。ふたつの家を結びつけるのは建物の奇妙な構造――だが、これは結果であって起因となったものがあるはず。家の不自然な構造がある種の呪いのようになっているのか。あるいは建築家がそう建てざるを得ない理由があるのか。例えば、土地のいわくとか。
 なかば、取りかれるように私は『ひらく家』について調べていた。だが、そうそう類似の体験談を捜しあてられるはずもない。そんな時、担当編集者の眞壁氏から連絡があった。企画のしんちよく報告かと思った。新作の企画書を編集会議に提出してもらっているところだったためだ。
 だが、違った。
「別件ですみません。例の家に類似した体験談がありました」
 眞壁氏もまた、私と同様にこの『ひらく家』に魅了され、熱心に捜してくれていた。
「実話怪談を集めた雑誌があるんですが、怖い体験談の募集を掛けた時に寄稿された原稿です。その時は結局、キャンプとかアウトドアで体験した怖い話という特集になってしまって、こちらの原稿は掲載されなかったんですが、社内の編集部で預かっていて――」
 ダウンロードするなり、私は書きかけの原稿を放りだして読みはじめていた。
 寄稿されたのは平成三十年とあった。
 手書きの草稿をスキャンしたもので、冒頭は編集部に宛てた手紙になっている。震えの滲む丸文字でこう書かれていた。
「ひらかなければよかったんです。なのに、私、ひらいちゃった。ほんとにバカだったんです。世間知らずで。だまされてばっかりで。ごめんなさい。それでもあの怖ろしい家から、家族を助けたかった。その気持ちに嘘はなかったんです。それがまさか、あんなことになるだなんて――許されません。許されないと分かっています。だから、せめて皆様に読んでいただきたいのです。こんなこと、誰にも話せませんから。どうかどうか、読んでください。これは私のざんで、告白です――」

(気になる続きは本書でお楽しみください)

作品紹介



書 名:奇妙な家についての注意喚起
著 者:夢見里 龍
発売日:2025年07月02日

■注意■ご家族の様子に異常を感じたら、読書をやめてください。
この本は、作家である私、夢見里龍が収集した「奇妙な構造をした家の体験談」を小説の形に書きおこしたものです。発端は小説投稿サイト上のエッセイでした。「生活をするのに不便はない。欠陥住宅というわけでもない。でも、明らかに奇妙な家なんです」それは〈排水口がすべての部屋にある家〉に住む主婦の投稿でした。以来、私はネットで見つけた奇妙な家群を「ひらく家」と名づけ、親交の深かった読者のヤモリさんと考察を語らうようになりました。ネット上の記述なので、全てはフィクション。そう考えていたんです。でも、ある体験をして気づきました。これらの家は本当に存在すると。私は本書を通じてみなさんに警戒を促します。あなたは今、「ひらく家」に住んでいませんか?

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322411001016/
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