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試し読み

【試し読み】あなたの家は大丈夫?――夢見里龍『奇妙な家についての注意喚起』第一の家・第二の家を全文公開(1/2)

奇妙な家についての注意喚起』は作家・夢見里龍さんが収集した「家」の体験談を小説の形に書き起こしたものです。
生活に不便はなく、欠陥住宅というわけでもない、でも明らかにおかしい――これらの家で、本当は何が起こっているのか?
刊行を記念して、第一の家と第二の家の体験談を公開します。
あなたの家にも当てはまるところはありませんか? ぜひ注意深くお読み下さい。

夢見里龍『奇妙な家についての注意喚起』試し読み
「第一の家」

序章 前書きにかえて

 あ、また、箱がひらきかけている。
 私の頭のなかには箱がある。思いださないでおこうと決めて、ふたをしたはずの記憶の箱だ。あの怖ろしい経験から約三年が経つ。考えないようにしようと意識するほど頭のなかにあふれてきてどうしようもなかった。
 私は思いだすまいと躍起になり、書きかけの原稿に集中しようと試みる。でも、だめだった。落ちつかない気持ちになって、書いては修正し、修正してはその一文ごと取り除くという最悪のループに陥っていく。
 その話を思いだすときまって暮らし慣れた家のなかで、音がする。それは床下から聴こえる「こつ、こつ」と爪で硬い物を引っくような音であったり、屋根裏の物置から聴こえる「ずぅる、ずぅる」と重い物を引きずるような音であったりと様々だったが、いずれにも心あたりがあった。
 考えたくないのに「ああ、あの家だ」と分かってしまう。
 思いだせば、また、ひらいてしまうのではないか。
 私は絶えず、そんなやり場のない恐怖を抱えていた。
 だからだろうか。年末年始の休暇が明けて早々に設けていただいた、新企画の打ちあわせの最中にこんな言葉が口をついた。
「思いだしたくないことほど、思いだしてしまったりしませんか?」
「ああ、そういうことってありますよね」
 間髪を入れずに共感の声がかえってきた。
「私もある作家さんの企画を担当していて実話ホラーばかりを読んでいた時期があったんですが、ほんとうに怖い話って頭を離れなくなるんですよ。何年か経って忘れたつもりでも、似たような状況になった時に、あの話の冒頭ってこういう夜更けのバス停から始まるんだったな、とか思いだしちゃいまして」
 電話越しに快活にしやべるのはKADOKAWA担当編集者の若倉わかくら氏である。経験豊富で敏腕だが非常に親しみやすい編集者で、今後新たな企画をともに練っていくことになっていた。まだ三度ほどしか直接喋ったことはないが、細かい相談にも乗ってくれて、この編集者とならば良い小説が企画できるはずという手ごたえを感じていた。
 問題は若倉氏がこれまで担当してきた小説の八割が現代ホラーであることだった。私自身、ホラーを読むのは好きだが書いた経験がなく、さらにある体験を経て現実寄りのホラーを避けるようになっていた。
 先に述べておくが、本書に登場する人物は私、ゆめりゆうを除いて全員仮名とした。出版社名は許可を取って実在の社名を使わせてもらっているが、固有名詞はなるべく改変している。本書においては全て実在の人物を扱うためだ。
「夢見里さんはなにか、ありますか?」
「そう、ですね」
 いきなり例の話をするのはためらわれて、私はある都市伝説に話題をすり替える。
「むかし、鏡の前でお辞儀をしてから横をむいたら、幽霊がくるっていう都市伝説があったんですよね。実際に試してしまった人の体験がネットに投稿されていて、すっごく怖くて」
「ありましたね。私も一時期某掲示板の怖い話を読みあさっていました」
「私の寝室は二階にあるんですが、屋根のかたちが変わっているので、寝室につながるドアが身をかがめないと通れない構造になっているんですよ。しかもドアの横には母親が和装の着つけに使っていた姿見鏡が立て掛けられていて、通る時に鏡のほうに視線をやるとちょうど、鏡の前でお辞儀をして横をむいた格好になるんです」
 若倉氏が苦笑いした。
「へえ、それは……いやですね」
「そう、すごくいやなんです。思いださないようにしていても、通るたびに頭をよぎって、横をむきたくなってしまって」
 思いだす。覚えている。意識する。認知してしまったばかりにこれまでだいじょうぶだったものが禁となる。そればかりか、誘われる。
「紫鏡みたいですね」
 若倉氏が懐かしい単語を口にした。
「夢見里さんの子どものころには流行りませんでしたか? 二十歳まで覚えていると不幸になるとかいう都市伝説です。忘れていたらふつうに助かるそうですけど、そんな条件があると逆に、事あるごとに思いだしてしまうんですよね」
「ありました。といってもうちの地元で聞いたことがなくて、漫画で知りましたね」
 若倉氏の喋りかたには人の緊張を緩めて話をひきだすような特性がある。あるいはそれが編集者としての手腕なのかもしれなかった。
「そういえばXに怖い体験談をお持ちだと投稿されていましたよね? あれってどのような話なんでしょう? 実際に小説というかたちでご執筆される予定はありますか?」
「投稿、読んでおられたんですね」
 そう、私は令和七年一月二日、Xにある書きこみをしていた。忘れてしまいたいほど怖い話があるのだが、カクヨムに投稿するべきかどうかという相談だ。私は比較的読者との交流が盛んな作家で、その時も様々な意見や助言が飛び交った。「書いたほうが厄落としになる」という声もあれば「書かないほうがいい、危険ですよ」という声もあり、私としてもどう扱うべきかと考えあぐねていたのである。
 まさか編集者まで読んでいるとは思わなかったが。
「……いいんでしょうか?」
 私は無意識にそう尋ねていた。
「思いだしたくもないような話を書いてもいいんでしょうか?」
 電話越しで若倉氏の声が止まった。砂嵐のようなざらついた静けさがあふれだして、通話が切断されたのではないかと疑う。私は電話の沈黙というものが苦手で、いつもだったら「もしもし」なり「聞こえていますか?」なり声を掛けるのだが、その時はなぜか舌がこわって声がでなかった。
「もちろんですよ、ぜひ読みたいです」
 三十秒ほど経って、何事もなかったように声がかえってきた。
「たとえば、どんな話ですか?」
 私はどう話せばいいだろうかと思考をめぐらせて「家の」と切りだした。
「奇妙な構造をした家の体験談なんです。一時期、ネット検索して、そういう奇妙な物件にまつわる怪談を集めていた時がありまして」
 私が奇妙な家の概要を話すと、若倉氏は「おもしろそうじゃないですか、いま、そういう話は読者にも需要があるんですよね」と声を弾ませた。だが、私はまだためらっていた。こんな話を、ほんとうに小説なんかにしていいのだろうか。
 そんな私の惑いを察したのか、若倉氏はこう続けた。
「思いだすまいと意識するほどに考えてしまうんだったら、えて全部思いだして、小説にしてしまったらいいんですよ。そのほうがきっと楽になります。是非とも、うちで書いてみませんか?」
 編集者というのは物書きに書かせるのが巧みだ。後から「もちろん、夢見里さんがよろしければ、ですけれど」と控えめにつけ加える。
 結局、若倉氏のその言葉が私をこの原稿にむかわせることになった。ただ、若倉氏には私の話に登場する物件を探索したり調査はしないでほしいと前もって連絡した。それを約束してくれるのならば、書きますと。
 恐怖はある。だがこの話を頭のなかに置き続けることに耐え切れなくなっていたのは事実だし、なにより例の奇妙な家はまだ各地に残っている危険が高い。よって本書を通じて警戒を促せたらと考えた。
 ただ、本書に登場する家を特定しようとはくれぐれもなさらないでいただきたい。せんさくしすぎた結果、取りかえしのつかないことになっても、著者も編集部も一切責任を負えない。
 さて、このあたりで本題に移ろう。
 すでに書くまでもないことではあるが、私、夢見里龍は小説家である。細々と文筆をなりわいにしているというべきだろうか。幼いころから本が好きで、十三歳から公募に投稿を続けていた私は二十七歳の時にある公募の最終候補に残った。残念ながら受賞にはならなかったが、候補作を改稿、作家としてデビューするに至った。
 そんなまったく華々しくはない経緯をたどりつつ、デビューから四年経った現在でもなんとかこうして新刊を刊行できているのだから、良き読者と編集者に恵まれている。ほんとうに有難いことである。
 だが、実はデビュー作から新作の出版までに私には約二年の空白期がある。そのころ私は創作にいきづまり、ネットで怖い体験談を読んではあれこれ考察するという趣味に逃避していた。
 ここから先は、私が三年前に収集したネットに散らばる投稿を、できるかぎり詳細に思いだし、小説の原稿というかたちに書きおこしたものである。
 体験談の収集期間は令和四年一月から同年四月まで。
 個人を特定できないよう、氏名等に一部変更を加えているため、すべてが真実というわけではないが、大幅な脚色はしていないことを明記しておく。
 事の発端となったのは「カクヨム」という小説投稿サイトに投稿されていたエッセイだった。私が読んだ時期は令和四年一月下旬だ。
 書きだしは確か、こうだった。
「奇妙な家に住んだことはありますか? 生活をするのに特に不便はない。欠陥住宅というわけでもない。でも、明らかに奇妙な家なんです――」


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