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試し読み

【試し読み】あなたの家は大丈夫?――夢見里龍『奇妙な家についての注意喚起』第一の家・第二の家を全文公開(1/2)



「私はまだ、その家に住んでいます。食べ過ぎたのか、時々排水管が逆流するんですよ。折れた上腕骨、左側のろつこつがみっつ、したあごの骨までは回収できました。遺骨がそろうまで、この家を離れるつもりはありません。ぜんぶ、集めて産みなおしてあげないと。今度こそ、きちんと私の娘として」
 投稿はそこで終わっていた。
 正確にはそこからは日付と「右の親指」「骨盤(割れている)」「乳歯五本」という記録が延々と続くのみとなっている。私が読んだ令和四年一月の段階でも時々投稿は続けられていた。
 創作物だとは理解していながら強烈な恐怖に飲み込まれ、いっきに読み終えた私は、担当編集者であったかべ氏にこのエッセイを紹介した。
 眞壁氏はデビューしたばかりで不勉強な私に様々なことを教え、最終候補に残った小説の改稿をともに進めてくれた恩人であった。
 好きな小説の傾向が似ているというのもあって、打ちあわせ時には最近の読書感想を語りあうのが常となっていた。裏がえせば、それだけ私の新しい原稿のしんちよくが芳しくなかったという証拠でもある。
 そんな眞壁氏の反応は意外なものだった。
「あ、そのエッセイ知っています。カクヨムから書籍化できないかと思って、一度打診をかけたんですよ」
 なお本書に掲載するにあたって、私はこのエッセイの全文を私なりに書き換え、十万文字ほどの原稿を二万三千文字程にまで短縮している。
 眞壁氏は「でも結局、出版には繋がらなくて」と苦笑した。
「変わった著者さんで、最後まで『これは実話だ』と言い張っておられました。ノンフィクションとしてだったらともかく、単なる創作の怪奇小説として出版されるんだったらお断りしますと言われてしまって。その後、編集部に排水管図面まで郵送してきたんですよ」
「へえ、排水管図面ですか。そんなのあるんですね」
「作り物だと思いますけど。よろしければ画像を転送しましょうか?」
「いいんですか?」
「一時期はカクヨムの近況ノートにも投稿されていたので、問題ないかと。それにもう終わった話ですから」と言いながら、眞壁氏は実際の図面画像を転送してくれた。ちょっとでも私の創作の刺激になれば、という考えもあったのだろう。
 添付画像をひらいた私は、さすがにちょっとだけ、ぞっとした。
 
 
 さて、私はこの時期、収集した怖い体験談についての考察などを語るSNSアカウントを持っていた。作家名義の創作アカと違って、それほどフォロワーがいたわけではないが、ディープな知識を持った同好者たちと怪談や都市伝説の考察を語りあえるのは楽しかった。
 私はさっそくこの「家」のエッセイについての考察を投稿した。
 子育て、流産、産みなおし、子宮――この家には出産にまつわる要素が多分に含まれている。昔から出産は異界と繋がるものと考えられていた。怪異の発端は異様な家の構造だが、怪異のしんしよくを許したのはこの家族が持つこれらの問題に起因するかもしれない、というものだ。そんな私の投稿にリプライを投げてきたひとがいた。
 それがヤモリさんだった。
「はじめまして。私もこのエッセイを読んだことがあります。奇妙な家がひき起こす怪異。異様な現象に取り込まれていく恐怖感と夫婦関係のたんが連動して進んでいくのがおもしろくて、いっき読みしました。描写もかなりリアルで、何度か気分が悪くなりました(これは褒め言葉です)。でも、ここまでは考察できていませんでした。ところでこの怪異、夢見里さんは何だと思いましたか?」
 こちらのアカでは新規のひとからリプライがくることはめったにない。
 私は書きかけの原稿を放りだして、すぐにメッセージを打ち込んだ。
「鳥、ですよね? 嘴のなかに大量の指を持つ鳥。私はかくちようを連想しました」
 中華を舞台にした小説を書きたくて中国の文献をあさっていたせいもあって、私はみんの時代の『本草綱目』に登場する怪鳥を挙げた。姑獲鳥は女の姿をしているが、日が暮れてから鳥に変身して飛びまわり、幼児をさらうという。伝承によっては幼児の着物に血の跡をつけて魂だけを抜くともされていた。
「茨城県のうぶの元になった中国の鬼神ですよね」
 すぐにそうかえされて、わ、博識なひとだなと思った。
 産女は日本の妖怪である。死産で母子ともに命を落とした不幸な妊婦が化けたもので、血だらけの姿で現れて「赤ん坊を抱いてくれ」と通りすがりのものにせがむという。この段階では姑獲鳥とは似ても似つかないが、この産女、地域によって伝承が異なる。ヤモリさんが「茨城県の」と頭につけたのもそのためである。長崎では青い火として現れ不幸をもたらすと語られているが、茨城県では妖鳥の姿をしていて洗濯した赤ん坊の服に毒の乳をつけるという。このエピソードは先程の中国の伝承と類似している。
「鳥系の怪異はお約束みたいに赤ん坊をさらうと語られますよね。江戸時代には子どものしつそうてんのしわざとされていましたし。鷲の育てという昔話も各地に類似のはなしが広範に存在しています。アイヌではカラスの神が子をさらって育てるとか。ギリシャ神話の女面鳥身の怪物であるハルピュイアもまた、ふん尿にようをばらまくほか、子を連れ去るという説がありますね。日本のみならず、世界各地に類似する伝承があるというのは奇妙です」
 マニアックな話で盛りあがれることはまれだ。私も嬉しくなって書き込みを続ける。
「せっかく産まれた赤ん坊をさらわれるというのが、親にとって最大の恐怖だった、というのもありますし、それだけ幼児の死亡率が高かったというのもあります。鳥に誘拐されるのは死のあんでもあったのかと。ですが、よく考えたら、その逆もあるんですよ」
「逆ですか?」
「コウノトリです。むかしから赤ん坊はコウノトリが連れてくるものだといいますよね。発祥は北ヨーロッパだと言いますが、コウノトリ伝承はすでにアメリカからヨーロッパ、日本にまで浸透しています。鳥はそらを飛ぶので、古代から魂を運ぶなかだちだと考えられていたのかと。こうした認識は人種や国籍の境界を越えて共通するものなので、世界各地に同様の伝承が特に抵抗なく定着したのだと思います。連れてくるのも、連れて逝くのも、実のところ本質は変わりません」
 先程ヤモリさんが例にあげた『鷲の育て児』もしかりだ。この昔話はある母親が鷲に赤ん坊を誘拐されるところからはじまる。だが、鷲は別の親の元に赤ん坊を運び、その親が赤ん坊を育てることになる。やがて赤ん坊は成人後、実の親と再会を果たす。たくさんのパターンがあるが、大筋はこんなところだ。実の親からすれば子を連れ去られる話だが、育て親からすれば鷲が子を運んできてくれた話となる。
 誕生も死も結局は境界の移動だ。
「日本の、特に関西地方ではムラ、つまり集落の境界線などにかんじようなわという境界が設けられることがあります。別名道切りともいうのですが、いわゆる外部から疫病や悪霊が侵入しないように張る結界のようなものです。勧請縄には女陰や男根をかたどったわらの飾り物をつるし、中央部には輪を飾ることが多いです。輪といっても杉の葉や札などで輪の真ん中の穴を塞いだかたちになっています。これを『トリクグラズ』というのです」
「やはり、鳥なのですか。おもしろいですね。ですが、排水管だと天というよりは地じゃないですか?」
「そこなんですが、コウノトリは泉や沼、あるいは洞穴から赤ん坊の魂を連れてくるといわれています。ね、ヤモリさん。これならば排水管と似ていませんか?」
 私が尋ねると、ヤモリさんは「なるほど」と書き込んできた。
「泉というと、まさしくを連想しますね。日本では魂の逝く先は根の国と言われていて地底にあります。ギリシャでもめいかいは地底ですし。産まれてくるところと死んだ魂の逝く先は同じであるという考えは世界各地に浸透していますね」
 例えば、とヤモリさんが例をあげる。
「沖縄には亀甲墓という母胎を模したとされる墓があります。これは研究者たちのあいだでは『死者は母胎にかえる』という古代の死生観に基づいたものと考察されています」
「わっ、それは知りませんでした。ちょっと検索しますね」
 私はブラウザをひらいて、聞いたことのなかった単語を検索する。独特なかたちをした室型の墓の写真が現れる。言葉通り、室の屋根の部分が亀の甲羅をほう彿ふつとさせた。
「亀甲墓は妊婦が仰むけに横たわり、産道のある股を大きく広げた出産時の格好を模って造られたものとされています。亀の甲羅と妊婦の膨らんだはらを重ねてあるんですね。そしてちょうど女陰から、陵墓である室のなかへ入れるようになっているのです」
「あ、それ、縄文時代の円環の死生観と類似していますね。縄文人は魂とは循環するものだと捉えていたという見解があって、土器や集落の墓地から推察しても、死んでもまた新たな命をもらって帰ってくると考えていたようなんです」
「夢見里さん、縄文についてもお詳しいんですね」
「ええ、まあ」
 実を言うと、私は山梨県ほく市在住である。デビュー時、地元のジャーナル紙にインタビューが掲載されたことがあった。
 山梨と長野にまたがやつたけ中部高地は縄文の聖地と称される。
 八ヶ岳のふもとには縄文遺跡が密集しており、北杜市だけでも約千箇所の遺跡が発掘されている。遺跡からは縄文人の暮らしぶりやさいこんせきが如実に残った土器や土偶等が出土しており、考古学の研究が進められていた。縄文の銀座、縄文の首都という宣伝も時々耳にするほどである。
「縄文時代は赤ん坊が死ぬと土器に収めて、住居の玄関あたりに埋葬したそうなんです。うめがめというんですけど。八ヶ岳中部高地から発掘された一部の土器には妊婦が股を広げて赤ん坊がそこから顔を覗かせている造形が模られています。これが埋甕として使われていたかどうかは定かではないのですが」
 沖縄と八ヶ岳。距離は遠く離れていても、古代の死生観には合致する部分があるのだと私はいたく昂揚していた。ヤモリさんも感心したように三分と待たず返信がきた。
「それだけ妊娠、出産というのは神秘だったわけですね。よく理解できました」
「はい、ですがその一方で、女の月の物はけがれとして忌みきらわれていました。事実、かつては月経小屋というものがあって、月経中の女は暗くて寒い小屋のなかで誰とも会わないよう、隔離されていました。昭和四十年頃まではこうした因習が続いていたのだから、おどろきですよね。そして日本において穢れとして扱われるのは基本、死にまつわるものなんです。月経は出産のためのプロセスなのに。出産と死。真逆に思えて、それらは同一視されたんだと思います」
 だから赤ん坊を連れてくるのも連れて逝くのも「鳥」で、理にかなっているのだ。
「あ、そうだ。例のエッセイの著者様が、過去に近況ノートに掲載されていた排水管の図面があるんですが、ごらんになりますか?」
 私が提案するとヤモリさんからは「ぜひみたいです」ときた。現在公開されていないものを公に投稿するのはためらわれたので、ダイレクトメッセージという機能を経由して画像を転送する。「これ、何かに似ていませんか?」とコメントを添えて。
 考えこむような沈黙が続き、ヤモリさんから返信がきた。
「子宮に似てますね」
 そう、例の奇妙な家の排水管の構造は、女性の子宮とそっくりだった。
 玄関廊下から左右の部屋へとふたつに分岐して張りめぐらされた排水管は不要なところを折りまげ、ゆがませて、わざとそれを意識して設置したとしか考えられない。偶然というには作意を感じる。
 私だけがそう感じたのかと思っていたため、安堵した。
「あと、これはいま、ヤモリさんと話していて思ったんですが、この奇妙な家の玄関ポーチは記号のΩに似ているデザインとありましたよね? リビングの天井はドーム型だとか。もしかしてこの妊婦のかたちを意識して造られているのでは?」
 ヤモリさんの返信がまた、遅れた。カクヨムのエッセイを読みかえしているのだろう。十分ほど経って「ほんとうですね」ときた。
「夢見里さんは情報を繫げるのが御上手ですね」
「実は私、普段から小説を書いていまして、職業病みたいなところもありますね。伏線を意識してしまうというか」
「え、そうなんですか。小説家先生だったんですね」
 しまった。よけいなことを喋ってしまったと慌てる。
「そんなそんな、先生なんてものじゃないです。ほんとうにしがない作家もどきというか。出版社から刊行されているのも一冊だけですし」
「ご出版されているんですね。是非ともご著書を読ませていただきたいです」
「いえいえ、お恥ずかしいです。わざわざお時間をいただくようなものでは。でも、だとしたら、リビングの天井だけが膨れているのは妊婦としては病的な感じがしますね」
 しゆうに堪えかねて、話題を逸らす。だが、口を滑らせてしまったせいで、以後ヤモリさんから夢見里先生と呼ばれる結果になってしまった。
 その後もヤモリさんとはしばらくあれこれと考察を語りあい、そのうちに低迷していた創作意欲が湧いてきた。「ありがとうございました」と御礼を伝えてブラウザを閉じたのは午前一時をまわった頃だった。
 家にまつわるホラーはおもしろい。廃墟とか小学校とか特定の場所にいったわけではないのに、巻き込まれるというのがいちばん怖いからかもしれない。
「こういう家、捜せばもっとあるのかもしれませんね?」
 ヤモリさんは最後にそうつぶやいていた。それもあって、私は好奇心から、また似たような『奇妙な家』の話を探してみようと検索を始めた。そして約一週間が過ぎた頃、類似の体験談をつづったとある個人ブログにたどりついてしまった。
 なるべく元の文章に寄せてはいるが、本書に収録するにあたって私が文章を再編集していることを断っておく。ただ、印象に残った表現などは手を加えずに残してある。また「家」の怪異にまつわると考察される部分だけをピックアップしたので、日付にもばらつきがあることをご了承願いたい。

(つづく)

『奇妙な家についての注意喚起』試し読み「第二の家」は明日6月28日(土)正午公開です。

作品紹介



書 名:奇妙な家についての注意喚起
著 者:夢見里 龍
発売日:2025年07月02日

■注意■ご家族の様子に異常を感じたら、読書をやめてください。
この本は、作家である私、夢見里龍が収集した「奇妙な構造をした家の体験談」を小説の形に書きおこしたものです。発端は小説投稿サイト上のエッセイでした。「生活をするのに不便はない。欠陥住宅というわけでもない。でも、明らかに奇妙な家なんです」それは〈排水口がすべての部屋にある家〉に住む主婦の投稿でした。以来、私はネットで見つけた奇妙な家群を「ひらく家」と名づけ、親交の深かった読者のヤモリさんと考察を語らうようになりました。ネット上の記述なので、全てはフィクション。そう考えていたんです。でも、ある体験をして気づきました。これらの家は本当に存在すると。私は本書を通じてみなさんに警戒を促します。あなたは今、「ひらく家」に住んでいませんか?

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322411001016/
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