桶狭間合戦、関ヶ原合戦、大坂の陣など、戦国時代の合戦や主要事件を網羅した、著者の集大成的短編集『家康謀殺』(著・伊東潤)より、「上意に候」を特別公開!
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あらすじ:天下人・豊臣秀吉の甥にして関白の秀次。秀吉の立身出世のため、政争に巻き込まれてきた人生だった。己の生き方とは何か? 悩める彼の傍には、謀略の魔の手が忍び寄っていた……。
一
洞窟の奥からわき出た湯が走るように岩盤を伝い、海に注いでいる。
──何を急いでいるのか、何に追い立てられているのか。
洞窟の横に掘られた湯溜めで、秀次は一人、そんなことを考えていた。
──思えばわしの人生は、重荷を背負わされて追い立てられているようなものだった。
様々な思いが脳裏に去来する。
──しかしそれも、もう終わりだ。
秀次は、晴れ晴れとした気持ちになっていた。というのも一月ほど前の文禄二年(一五九三)八月、養父の秀吉に待望の男子が誕生したからだ。この赤子こそ、拾丸こと後の秀頼である。
赤子が無事に誕生したと聞いた時、秀次は心からほっとした。ところがその反動からか、持病の喘息がひどくなり、伊豆国の熱海で湯治することにした。
跡継ぎができて上機嫌の秀吉も、喜んで送り出してくれた。
──京に戻ったら、折を見て関白職返上を申し出るか。
関白とは天皇の代わりに政治を執り行う職のことで、すべての公家の頂点に位置する。
秀次は養父の秀吉から、天正十九年(一五九一)十二月に関白職を譲られていた。これにより秀吉は、関白職から身を引いた人物を意味する太閤となり、ここに豊臣家による太閤・関白両殿下体制が確立された。
秀吉は太閤・関白両職を豊臣家で独占すべく、その家職化を図ろうとしていた。
──関白を辞せば、存分に古典籍の収集と整理に時を割ける。
秀次の趣味は和漢の古典籍を読むことだった。それが高じ、足利学校や金沢文庫から古典籍を聚楽第に運ばせ、傷んでいるものを経師に修復させたり、僧侶に筆写・複製させたりしていた。
こうした秀次の趣味を知り、あることを勧めたのは、東福寺長老の隆西堂である。
隆西堂は語った。
「かつて総見院様(織田信長)は、武功を挙げた家臣たちに分け与える土地が足りなくなることを見越し、茶湯を流行らせ、茶道具の価値を高め、それらを土地よりも値打ちのあるものとしました。太閤殿下もそれを踏襲し、利休居士を重用しました。しかし利休居士が死を賜ってからは、茶湯も廃れ、結句、殿下は土地を求め、唐入りせざるを得ませなんだ。これほど馬鹿馬鹿しいことはありません。総見院様が創り出したからくりを無にしてしまえば、かつてと変わらぬ『一所懸命』の時代に戻るだけです」
唐入りとは、後に文禄・慶長の役と呼ばれる朝鮮半島への侵攻作戦のことだ。
隆西堂が続ける。
「この出師は失敗に終わります。しかし武士たちは帰国後、当然のように恩賞を求めます。その時、かの者らに何を与えるというのです」
「この国には、もう与える土地などない」
「そうなれば、豊臣政権は崩壊しますぞ。それゆえ──」
隆西堂の語気が強まる。
「茶道具のようなからくりを創り出すのです」
信長は恩賞として下賜する土地に限りがあることを覚り、茶道具の価値を高め、茶会を認可制にすることによって補おうとした。茶湯御政道である。隆西堂は、それを再現せよというのだ。
「しかし、利休居士という天賦の才を持つ者がいない今、茶道具でそれを創り出すことは、もはや叶いませぬ」
隆西堂が悲しげに首を左右に振る。
信長が虚構の価値を作り得たのは、千利休・今井宗久・津田宗及といった熟練の茶人がいたからだ。しかも彼らは堺の大商人として、信長の茶湯御政道を支えるに足る財力があった。
「天賦の才を持つ目利きも、財力ある商人茶人もおらぬ今、新たな虚構の値打ちを生み出すことは至難の業となります。しかし別のもので、総見院様のやろうとしたことを再現できるやもしれませぬ」
「別のものとは」
「書画骨董です」
古典籍の写しや古人の墨跡の価値を高め、それを所持することを流行らせ、恩賞の代わりに公家や諸大名に下賜することで、信長のからくりを再現できると、隆西堂は説いた。
「さすれば、土地を求めて唐入りするなどという馬鹿なことをしなくて済みます」
「しかし茶道具のように、見るだけで人の心を動かすものと違い、古典籍の写しや古人の墨跡は、学識がなければ価値が分からぬのではないか。一定の教養を身に付けている公家には通用しても、戦国の世を生きてきた荒武者たちには、そうしたものの値打ちなど分からん」
「いえいえ」
その反論に対する答えを、隆西堂はすでに用意していた。
「荒武者どもの次の世代は違います」
己の腕一本でのし上がってきた者ほど、その子弟に公家的教養を身に付けさせようとすると、隆西堂は説いた。
──そうか。わしはそうした知恵をめぐらせ、武士たちを土地の取り合いという頸木から解き放ってやればよいのか。
隆西堂により、秀次は為政者としての己の使命を知った。
──その大仕事をやりおおせ、拾丸が無事に元服すれば、豊臣家は安泰だ。わしはすべてを拾丸に譲って退隠する。その時こそ、二十五年にわたって秀吉の道具でしかなかった半生に決別し、真の人生に踏み出せるのだ。
──思えば、長き道のりであった。
秀次の最初の記憶は、青く澄んだ空の下、手編みの籠に入れられて、田の畔に置かれていたことだった。父の弥助と母の智は、近くで野良仕事をしていた。
その時、上空から何か大きな黒い影が滑空してきた。そして、その鋭い爪で秀次を摑もうとした。しかし間一髪、「これっ!」という声と共に母の智が、その大鷹を追い払ってくれた。今でも、あの大鷹の空を覆わんばかりの羽の大きさと、研ぎ澄まされた爪が残像として残っている。
それ以来、秀次は何度となく大鷹に襲われる夢を見た。それは記憶ではなく、後に繰り返し父母から聞かされた話を元に、秀次が作り出した幻影なのかもしれない。
しかし秀次は、現世で鋭い爪に摑まれてしまうことになる。
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