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試し読み

ミリオンセラー『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の七月隆文さん 最新書き下ろし作『100万回生きたきみ』特別試し読み #1

美桜は100万回生きている。さまざまな人生を繰り返し、今は日本の女子高生。終わらぬ命に心が枯れたとき、彼と出会った――。

七月隆文さんの書き下ろし最新作『100万回生きたきみ』は、Twitterで1200万PVを記録した創作漫画を自ら小説化した一途な恋の物語です。若者の瑞々しい恋愛を描きつつ、その背後には大きな謎が――七月さんの本領が発揮された本書。発売を記念してその冒頭部分を特別に公開いたします。

『100万回生きたきみ』特別試し読み #1

プロローグ

 づちは、100万回生きている。
 いろんな時代の、いろんな国で生きた。様々な人と出会った。ちようを飼い、鳥を飼い、猫を飼った。
 けれどもう、ほとんど覚えていない。100万回も生きたせいで、心はすっかり擦り切れてしまった。
 今の美桜は、日本に住む十七歳の高校生。
 クラスメイトたちは、なんのために勉強しているのだとか、なんのために生きているのだろうとか、十七歳だから青春らしいことをしなきゃいけないんじゃないかとか、そういうことに瑞々みずみずしく悩んでいる。
 でも、100万回生きた美桜にはどうでもいい。
 枯れることさえあきらめた植物の心地だ。
 思う。
 自分はもう、これから永遠に、何かに心を揺るがされたり、たいせつなものが生まれたりすることはないのだろうと。

 思っていた。

第1章 1 0 0 0 0 0 1 回目の青春



 美桜は今日も学校へゆく。
 いつもの国道沿いの舗道を自転車でまっすぐ。
 十月にしては寒い。
 けだるさを覚えながらふと、どうしてこんなことをしているのだろうという思いがわく。
 でもそれは、逆らわず平凡に生きるのが結局いちばん楽だからだろう。あらがい、大胆な人生も送ったはずなのだ。
 はるか昔の外国で歌っていた気がする。
 海の戦場にいたこともあったかもしれない。
 すべてはもやのかかった忘却の彼方かなただ。
 ペダルを踏んで輪を描く。
 書店のあとにできたリサイクルショップを過ぎ、おっぱいばばあが出るという都市伝説のあったお城のようなホテルを過ぎ、川の橋に差しかかると、その先に美桜の通う公立高校が見下ろせる。偏差値五十の、お手本のような普通の高校。
 橋を渡った先の横断歩道で信号待ちをしていると、隣で何台かの自転車が止まる。
 見知った影に振り向くと、よしくんだった。
 幼い頃にハルカと三人で遊んだことがある。小中高と同じだが、その後の接点はほとんどない。幼なじみと言えるほどなじんでいない。知り合いだ。
 目が合うと、彼はちょっとだけ遅れて、
「おう」
 と気さくにあいさつしてきた。
「おはよう」
 こうして声を交わすのも、けっこう久しぶりだ。
 彼はさらりと笑んで、それ以上は何も言わず、信号が青になるのを待つ。
 ナチュラルな短髪、学ランにパーカー、明るい目と口角の上がった唇。
 三善くんはちょっとチャラくて、勉強ができる。ハルカによると、かなりモテるらしい。
 青に変わった。
「じゃあな」
 三善くんはペダルを踏み、彼の登校仲間と横断歩道を渡り、裏門につながる下り坂を気持ちよさそうに滑っていく。

 美桜が教室に入ると、空気がざらりと毛羽立った。
 クラスメイトたちが向けてくる、あるいは向けてこないまなざし。浮かべる表情。
 十七年しか生きていない彼らは、こんなにも幼くわかりやすい。
 彼らの感情が透明な空間をゆがませているように感じた。好奇心にたわみ、けいべつに冷え固まる。そのまだら模様。
 そういうものに全身をでられながら、美桜は自分の机にかばんを置き、椅子に座った。
 教科書を机に入れていると、かたくなな無視という視線がふれる。
 窓際の列、二番目の席に座る、男子の背中。
 昨日まで付き合っていた相手だ。
 自分を取り巻く空気の理由に、彼との話も加わったのだろう。
 どうでもいい。
 心底思うほどの気力もなく。
 無表情に黒板に目を置きながら、100万回生きても考えることをやめられない心がいつもの空想を始める。
 明日、自分が消えていてほしい。
 苦痛もなく、何ごともなかったかのように、すっとこの世から消えていたら。

 いつものパンは、いつもの味がする。
 美桜は食堂のテラス席で一人、購買で買ったパンを食べていた。
 ピークは過ぎたとはいえ、まだにぎわう食堂でそういうことをするとそれなりに目立つ。だが美桜はそよ風ほども気にせず、空いていればその席に座る。
 グラウンドの向こうに、いつも自転車で通っている裏門からのメタセコイヤ通りが見える。
 いつもの席、いつものパン。習慣を決めると楽だ。よけいなことに頭を使わずにすむ。
「美桜」
 振り向くと、ハルカがいた。
 髪を少し明るく染めた緩いギャル。黒目がちのまなざしが人なつっこく、リップを塗った唇がふっくらしている。
 今も続く幼なじみだ。ハルカが誘い、美桜は諾々とついていく。そんな関係。
 隣のイスをガガッと引き、ハルカが無造作に腰を落とす。いつも使っている甘い香りがかくはんされ、美桜の鼻にふれてきた。
 挨拶も世間話もしない。ハルカとはそういう距離感だ。美桜はストローでカフェラテを吸う。
「なに? ヤッたの?」
 ハルカがざっくり聞いてきた。
「キスはされた」
 美桜はありのままを答える。
「前と一緒?」
「そう」
「マジかー」
 アメの袋を開け、口に入れる。
「告られて、OKして、キスはどんな感じ?」
「送ってもらってる途中に、駐車場の前で突然」
「青春。必死じゃん。――で、美桜は」
「…………」
「そんな感じで無だったんだよね。一緒」
 ウケる、とつぶやく。
「そういうので傷つくピュア男子に好かれんだよね美桜は。まーわかるけど」
 左手を伸ばし、美桜の黒髪を飾った爪に絡める。
「サラッサラの黒髪で、おとなしくてちょっと神秘的なせい系。おもいきって告ったらOKもらって、有頂天で付き合いだしたら無で。あせってキスしたらやっぱ無で。みたいな」
 小さくて厚い唇が不機嫌な形になる。
「それで『誰とでもヤラせる』みたいな噂になってるし」
「頼まれれば断らないと思う」
「なんで」
「どうでもいいから」
 最後まで言い切る前に、ハルカが髪をわしゃわしゃっとした。それから、乱れた毛束を撫でて直しつつ、
「どうでもいいとかないわー」
「ハルカもたくさんの人と付き合ってるじゃない」
「付き合ってるっていうか。あたし、かわいいっしょ? 一緒にいたり、さわらせたげたら喜ぶじゃん」
 お金をもらっているわけではなく、ただ喜ぶから、という動機でそうしているらしい。ハルカはかなり独特の感性で生きていて、だから今も美桜から離れずにいるのかもしれない。
「でも美桜には向いてないって。真実の愛をみつけなよ」
 真実の愛、という大仰な語句に、美桜はまばたきをする。
こうとかどうよ?」
 コンビニでお菓子を買うような調子で聞く。
「三善くん?」
「呼んでみんね」
 ハルカがスマホの画面に親指を滑らせる。

 少しして、彼がやってきた。
 こちらを見て浮かべた軽くて心地よい表情と、歩く姿の雰囲気。モテそうだと改めて納得する。
「なに? どうしたの?」
「んーべつに。いいっしょ?」
「いいけど」
 ハルカとやりとりして、向かいに座る。二人は今もよく話しているだろうことが伝わってきた。
「三人揃うの、懐かしくない?」
「たしかに」
 ハルカの言葉に、三善くんがうなずく。
「いつぶりだっけ」
「公園で遊んでたとき以来だよ、たぶん」
「マジかー」
 三善くんが広い背をイスにもたれさせ、すらりとした足をかかとに引っかけて組む。
「まあ、アメ食いなよ」
 ハルカがブレザーのポケットからアメを取り出し、二人に配る。
 袋を裂いて口に入れると、ハルカっぽい甘く澄んだ味がした。
「光太って今、彼女いないよね?」
「いないけど」
「なんで? めっちゃ告られてんじゃん」
 アメが梅干しに変わったように、三善くんが唇を締める。
「……めっちゃってほどじゃ」
「ぜんぶ断ってるよね。なんで?」
「なんでって」
「好きな子いるとか」
 あはは。彼が笑い飛ばす。ノーコメント。たぶんいるのだろう。
「美桜もモテんだけどさ」
 ハルカが美桜の肩に手を置く。
「ああ、付き合ってるんだっけ」
「昨日別れたんだって」
 三善くんがリアクションに迷う表情をした。
「んじゃあたし、行くわ」
 ハルカががたんと立ち上がる。
「おい――」
「ごめんごめん、約束あって」
 わざとらしく昔に流行はやったてへぺろをして、猫みたいな足どりで校舎へ向かう人波に交ざっていった。
 二人残され、テーブルが広くなった。
 ハルカらしい雑なフリだと美桜は思う。
「なんか、あいつらしいな」
 三善くんも同じ感想らしい。
「いろいろ自由でさ。ちょっと心配なとこあるけど」
 妹を案じる兄の面持ちをする。もし彼がきちんと言えばハルカは素直に聞くだろうなと、なんとなく思った。
「元気か」
「うん」
「俺も元気」
 彼が笑みながら頰でアメを転がす。きっと同じ甘い匂いがしているだろう。
 校庭の賑わう音が少し変わった気がする。もうすぐ昼休みが終わるのだろう。どうしてか、ちょっとした響きや空気の感触でわかるときがある。
「彼氏となんで別れたの?」
 普通の感覚ならば、何をどのくらい話すべきか迷うだろう。それは相手にどう思われるかを気にするからだ。
 でも美桜はもう捨ててしまった。その心のありようは生きていく上でいちばん負担になるからだ。
「キスをされたら別れたの」
 だから淡々と、すいこうもなく言う。
 三善くんは畑からそのまま抜いてきたような言葉の扱いに困っているふう。
「……安土さんが嫌がってたから?」
「ちがうよ。私は別にいいからじっとしてた」
 枯れ木のように静かに。
「彼が抱きしめてきて、体がすごく熱くて、したいのかなって思った。でもずっとそのままで苦しかったから『したいの?』って聞いたの。『別にいいよ』って。そしたら……」
 急に彼が離れて、なんだかひどく裏切られたような、汚いものを見る顔をしたのだ。
 けれど美桜にとってそれは、幾重にもかさねた硝子ガラスの向こうの出来事のようで。心が揺らぐことはない。
「なんでそう言ったの?」
「いいからだよ」
 前を向いたまま、磨り硝子の景色を映しながら。
「もし三善くんもしたいなら言って」
 ふいに――雨の降った気配がした。
 美桜は空を仰ぐが、何ごともなく青い。数秒見張っても、粒は落ちてこない。
 錯覚だったろうか。
 視線を戻したとき、隣の三善くんが顔を背けていることに気づく。急にそうしたような不自然な体勢だ。
「どうしたの?」
「あー、なんでも」
 彼がもとを手で覆い、中指の腹でまぶたを横一線にこする。
「そろそろ予鈴鳴るな」
 彼が立ったとき、合わせたようにチャイムが鳴った。
「行くな」
 片手でひらりと挨拶し、校舎へ続く渡り通路に向かっていく。
 こちらに一度も顔を見せることなく。

(つづく)

『100万回生きたきみ』著者 七月 隆文(角川文庫)



100万回生きたきみ
著者 七月 隆文
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美桜は100万回生きている。さまざまな人生を繰り返し、今は日本の女子高生。終わらぬ命に心が枯れ、何もかもがどうでもよくなっていた。あの日、学校の屋上から身を投げ、同級生の光太に救われた瞬間までは。「きみに生きててほしいんだ」そう笑う光太に美桜はなぜか強烈に惹かれ、2人は恋人に。だがそれは偶然ではない。遙かな時を超え、再び出逢えた運命だった──。100万の命で貫いた一途な恋の物語。
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