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試し読み

ここにいる六人全員、みんな、とんでもないクズだった――浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』試し読み⑨

 ■第五回の投票結果
 ・波多野5票 ・嶌1票 ・九賀0票 ・袴田0票 ・森久保0票 ・矢代0票 
 ■現在までの総得票数
 ・波多野11票 ・九賀7票 ・嶌7票 ・袴田2票 ・矢代2票 ・森久保1票

 僕が嶌さんに投じた一票以外は、すべて、僕へと投じられた。
 とうとう九賀くんを抜いて得票数でトップに躍り出る。まだ何も終わっていないのに、投票結果を手帳に記す指先が歓喜に震え始める。手に入れていた二社の内定を辞退し、まさしく不退転の思いで臨んだグループディスカッションは、想像もしていなかったトラブルに見舞われた。幾度となく心が折れそうになる瞬間があった。見たくもないものを見させられた。乗り越える必要のないものまで乗り越える必要に迫られた。しかし様々な苦しい時間を経て、ようやく内定が――内定が見えてきた。
 壁の向こう側で働いているはずのスピラ社員の姿が脳裏に浮かぶ。あと一歩で、僕の席がこのオフィスに誕生する。初任給は五十万円――そんな具体的な金勘定が始まってしまったところで、僕は一旦妄想のスイッチをオフにした。さすがに気を緩めすぎている。
「九賀、これを元の封筒に」
 袴田くんがテーブルに放置されたままになっていた紙をまとめて九賀くんに渡す。
 袴田くんだけでなく、矢代さんと森久保くんもこの時点で逆転が不可能となってしまった。もっとわかりやすく愕然とするものかと思っていたのだが、存外袴田くんと矢代さんの顔は晴れやかであった。悔しさは隠せていないが、そこには爽やかな脱力がある。
 九賀くんは袴田くんから紙を受け取ると、簡単に整えてから元の大きな封筒に戻そうとする。
 僕も配付されていた封筒を九賀くんに差し出した。
 これですべてが終わる。そう、確信して。
 しかしなぜか九賀くんは、動きを止めてしまう。
 そしてまるで魅入られるようにして、袴田くんから手渡された紙――悪しき告発写真に釘付けになる。吸い込まれるように、写真を見つめ続ける。袴田くんの写真、矢代さんの写真、そして自分の写真を念入りに確認すると、再び目元に緊張の灯がともる。僕らをからかっているのだとすれば、あまりに趣味が悪かった。もうこれ以上、封筒と写真についての議論は必要ないはず。冗談だとしても笑えない。
 袴田くんが声をかけるが九賀くんは何も答えない。やがて三枚の紙を四周ほど丹念に確認した九賀くんは、
「森久保」
 写真を見つめたまま尋ねた。最低限の義務を果たすために――といった様子で投票にだけは参加していたが、袴田くんに黙るよう指示されて以降の森久保くんは終始沈黙を保っていた。体ではなく心を壊してしまったボクサーのように、ただ椅子にだらりと腰かけているだけ。灰色のオーラを纏って、会議室内の置物となっていた。
「もう一度、封筒を手に入れた経緯を説明してもらってもいいか?」
「……おい、九賀」
「袴田。大事なことなんだ。森久保の話が聞きたい。自分で用意したんじゃないんだろ、森久保。言いわけはいらないから、正直に真実だけを話してくれ」
 森久保くんは数年ぶりに電源を入れられたパソコンのように心配になるほど緩慢に面を上げると、両手で顔を拭ってからゆっくりと口を開いた。
「……自宅に届いたんだよ」
「いつ?」
「……昨日」
 森久保くんは九賀くんがより詳細な情報を欲しがっていることを察し、椅子に座り直した。
「自宅の郵便受けに入ってた。『森久保公彦様』ってだけ書いてある、切手も貼ってない大きな封筒が俺の家に届いてた。何かと思って開けてみたら、その大きな白い封筒と、説明書きみたいな紙っぺらが中から出てきた。『当日、スピラリンクスのグループディスカッションで使用する封筒です。誰にも気づかれぬよう、会議室に設置してください。一部事情を知らない社員もいますので、人事部員にも決して見つからないように。会議が始まったと同時に参加者たちが見つけられるような場所に設置しておくのが理想です。非常に重要な書類なので、明日は絶対に忘れないように』――そんなことが書いてあった。だから誰よりも早くこの会議室に入って、封筒を扉の陰に隠したんだよ」
 九賀くんは森久保くんの言いわけをさも重要な証言であるかのような態度で聞き届けると、少し考えるように唇に手を当てた。九賀くんの真剣な様子が不服だったのか、袴田くんは呆れたように首を横に振る。
「やめろよ九賀……こんな法螺 、真面目に聞くだけ時間の無駄だ。どう考えたって悪あがきしてるだけだろ。何だよ『人事にも内緒で持ってこい』って。そんなバカみたいな指示書を見て、疑いもせずに素直に封筒を持ってくるやつがいるかよ。噓をつくにしてももう少しマシな――」
「噓じゃないって言ってるだろ。本当に届いたんだよ!」
「噓にセンスがないんだよ。せめて、もう少しリアリティのある噓をつけよ」
「リアリティがないのは、この選考方法だって一緒だろ?」
 生気をとり戻したように、森久保くんは椅子の上で前屈みになる。
「自分たちで内定者を選ぶグループディスカッション――こんな前代未聞の選考方法を提示された時点で、もうスピラリンクスならどんなことをしてきてもおかしくないって頭になってたんだよ。封筒が届いたときも不思議だなとは思ったさ。当たり前だ。でも、きっとこういう奇抜な小道具を用意するのがスピラのやり方なんだなって、ちょっと尖ったIT企業の作法なんだなって思ったんだよ。『封筒は開けるな』って注意書きが添えられてたから、中を見ることはしなかった。でも中身を知ってたら、これが五人のうちの誰かが用意したものだと知ってたら、持ってくることなんてしなかった」
 荒唐無稽ではあった。しかし罪を逃れたいがために並べている即興の噓にしては、妙な生々しさがある。そんな思いが会議室全体に充満し始める。それでも僕らは疑うことにひどく疲れていた。ただ密室に二時間拘束されているだけでも尋常ではない息苦しさがあるというのに、その上、会議が始まってから心を抉るような出来事が立て続けに発生していた。すでに体が真理よりも、平穏を欲し始めている。

(つづく)


書影

浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』
定価: 1,760円(本体1,600円+税)
※画像タップでAmazonページに移動します。


浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000377/


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