現在配信中の「文芸カドカワ」2018年3月号では、いとうせいこうさんとみうらじゅんさんの新連載『見仏記 道草篇』がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開いたします。
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二〇一七年十一月二日、午前七時二十分発の長野経由北陸新幹線『かがやき503号』の中に、黒眼鏡の長髪と隣り合わせて座っているのが私であった。
窓際は黒眼鏡、通路側は私。何年同じ座り方で移動していることだろう。
黒眼鏡みうらじゅんはお気に入りの牛タン弁当がよくわからない仕組みで自ら温まっていくのを待っており、私いとうの方はといえば近頃旅行時にそればかり買う海鮮弁当に手をつけていた。まだ列車が動く前のことだが、発車前にほとんどたいらげるというのが二人の決まりになっていた。
ぶらりと寺へ行き、仏像拝観をしてあれこれしゃべり合う。それが「見仏」という行為であり、私たちのすべてである。
ありがたいことに、そんな二人は久しぶりに見仏旅の機会を与えられ、いそいそと目的地に向かっていた。
まずは善光寺であった。
しかしその前に新幹線車内で耳をそばだててみれば、みうらさんが「冠婚葬祭」の話をしているのがわかっただろう。少し重たい話かといえばまるでそうではなく、「冠婚葬祭」の語呂がよ過ぎると言うのである。
「だからさ、いとうさん。おめでたい席でも冠婚まで言ったら、葬祭って言っちゃうんだよ。これ、どうにかしないと」
「どうにかって、言いにくい語呂にすんの?」
「そうそう、冠婚……総理大臣とかさ」
「それだと意味が違っちゃうけどね」
「いやまあ違っちゃうけどそんな風なさ」
みうらさんはしばしその“語呂がいいから困る単語”の話に熱中し、やがて私が長年はいているフンドシの話題に移った。少し前に二人でおでん屋に行った折、周囲の客に私がフンドシを強く勧め、ズボンをゆるめて少し紐を見せたりしたことを、友として案じているのであった。
というわけで、近頃では積極的に『雑談藝』と呼んでいるものの中に二人はどっぷりつかり、話題から話題へと身軽にはね回りながら一時間半弱をすぐに過ごして長野駅に到着した。
みうらさんは何度も善光寺参りをしていた。私は両親が信州の人間であるにもかかわらず、いやだからこそか未踏の地であった。
近代的で大きな駅だった。様々な店が駅ビルの中に入って消費社会の縮図となっている。
私がその中をきょろきょろしながら歩くと、みうらさんは素早く指示を出した。
「いとうさん、そこ右!」
なぜそんなことになっているのかというと、自分が知らない道でも私はついつい先頭を歩きたがるからで、この日も私はみうらさんの少し斜め前を行った。そして私の癖をよく知っているみうらさんは、早めに方向を示したのである。それは馬にでも乗っているような感じだった。
「さらにそこを左!」
駅構内を移動してロッカーのある場所にたどり着くと、荷物はあらかた預けてしまった。身軽になった二人はさらに無責任さを増し、寺の話など一切しないまま歩き出す。方角はみうらさんがわかっていた。
駅から出るとすぐに日朝親善の石碑があり、近くの石の台上に十一面観音っぽい像があって頭に冠をつけ、左手に盆を持って蓮を浮かべていた。足下からは噴水があがっている。説明板を見ると「如是姫像」と書かれていた。元は明治四十一年、善光寺境内の護摩堂前に置かれていたのだという。如是姫は古代インドのケチな長者の娘で、疫病にかかって死を待つばかりであった。それを簡単に治してしまったのが釈迦だったそうだ。
したがって駅前の女性像は、善光寺本尊の方角へと今でも花を捧げているという。
「これ、撮ろう。いとうさん、シャッター押して」
みうらさんは持っていたカメラを私によこした。にっこりとマダムのような微笑みを浮かべるみうらさんを、私は老夫婦の夫のように撮った。
「今日の最初仏はこの方に決定」
みうらさんはそう言った。確かになにしろそれは十一面のごとく衣をひるがえし、釈迦の功徳を示しているのだから仏像に違いなかった。
そしてまた、そういう広い考えが今回の『見仏記』の趣旨なのに違いなかった。
私たちはおおいに脱線するし、おおいに旅を楽しむ。みうらさんは三ヶ月もすれば還暦で、私も数年してそれを追う。二人とも、もう若くないのだった。つまり残された時間は短いのだ。
というわけで、価値を拡張した『見仏記』をお届けすべく、私たちは駅前の大きな交差点のそばでまだ開かないみやげ屋をガラス越しにじっとのぞくし、道路脇にある木製の巨大灯籠を見て木の国信州を思ったり、「右折1・8k 善光寺参道」と書かれた(やはり木の)標識を見て、その方向へとのんびり歩く。
すなわち『見仏記 道草篇』とでも、今回は名付けておきたい。
(このつづきは、「文芸カドカワ」2018年3月号でお楽しみいただけます。)
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