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試し読み

累計245万部突破、極上の青春ミステリ〈古典部〉シリーズ最新刊!試し読み④『いまさら翼といわれても』

米澤穂信さんの大人気青春ミステリ〈古典部〉シリーズ。
最新刊となる第6弾『いまさら翼といわれても』が待望の文庫化!
6月14日(金)の発売を前に、カドブンでは表題短編の試し読みを特別公開します。
合唱祭の直前に突如姿を消した千反田ちたんだ、その行方を推理する奉太郎ほうたろうが辿り着く場所は……?
試し読み第1回へ


>>試し読み第3回へ

 がちりという金属音と共にノブがまわり、控室のドアが開く。俺と伊原はドアの方を振り返るが、そこにいたのは千反田ではなく、四十歳ぐらいに見える女性だった。ベージュのジャケットを着て、宝石なのかガラス細工なのか、きらきら光る髪飾りをつけている。合唱団の一員だろう。
段林だんばやしさん」
 と伊原が名を呼ぶ。
 段林と呼ばれた女性は張り詰めた表情で、こちらに近づきながら訊いてきた。
「どう、来た?」
「いえ」
「そう。困ったわね」
 そう眉根を寄せて呟き、ふと俺に気づいたように伊原に言う。
「ええと?」
「あ、わたしたちと同じ部活の、折木くんです。捜す手伝いをしに来てくれた……」
 こいつに折木くんなどと呼ばれると居心地が悪いな、と思っていたら、伊原はくるりと俺の方に首をめぐらせた。
「と思っていいのよね」
 いかに夏休みといえど、さすがに遊びに来たわけではない。頷くと、段林さんは出し抜けに訊いてきた。
「何かご存じなんですか」
 面食らいつつ、
「いえ。いまのところ」
 と答える。段林さんは、わざとそうしているのかと思うほど深い溜め息をついた。
「そうですか……」
 そして、表情と声に苛立ちを滲ませながら言う。
「プレッシャーを感じているみたいだったから気にはしていたのよね。でも、まさか当日にいなくなるなんて、まったく、信じられない」
「気持ちを整理しているだけなのでは?」
「それなら誰かに一言あってしかるべきでしょう。いくら緊張しているからって、いきなりいなくなって連絡も取れないなんて!」
 出番は六時からなんだから目くじら立てなくとも、と思わなくもないが、ソロパートの歌い手が当日に姿を消せば泡を食うのももっともか。
 ただ、千反田がプレッシャーのあまり姿を消したという見立ては、素直に頷けない。あいつが緊張しないタイプだと思っているわけではない。いつか校内ラジオに出ることになった時は、がちがちに硬くなっていた。しかし緊張しつつもやるべきことはきちんとこなしてきたわけで、今回に限って耐えかねたというのは考えにくいのだ。もし千反田が自分の意志でいなくなったのだとしても、その原因はソロを歌うプレッシャーではないだろう。
「やっぱり、ご自宅に連絡してみようかしら」
 口許に手を当てて、段林さんはそう独りごちる。その時、パイプ椅子に座っていた老婦人が横から言った。
「そんなに心配しなくても、もうすぐ来ると思いますけどねえ」
横手よこてさんはそうおっしゃいますが、でもやっぱり気が気じゃありませんよ」
 段林さんは食ってかかるが、横手と呼ばれた老婦人は穏やかな物言いを崩さない。
「若い頃はいろいろあるものですし、幸い時間はあるのですから、もう一時間ぐらい待ってあげてもバチは当たらないと思いますよ」
「またそんな。さっきも、一時間待てと言っていたじゃないですか」
「はあ、まあ、確かに言いました」
 横手さんがあまりに平然としているので、熱くなった自分が恥ずかしくなったのか、段林さんは目を逸らした。
「……確かに、まだ時間はあります。わかりました。もう少し待ちましょう」
 そう言うと俺や伊原にはもう目もくれず、さっさと控室を出て行ってしまう。バンと音を立てて閉じられたドアを見ながら、俺はちょっとあっけに取られて訊いた。
「で、いまのは誰だったんだ」
「段林さん。合唱団の……なんて言えばいいのかな。世話役?」
「リーダーってことか」
「パートリーダーでも団長でもないけど、ええと、仕切ってる人」
 なんとなくわかった気がした。そういうタイプにはときどき会う。
「さっきも、って言っていたが、ずっとあんな調子なのか」
 伊原は眉をひそめて、
「うん。ずっと」
 とだけ言った。
 俺は横手さんの方をちらりと見る。他の合唱団員がホールに行っているというのなら、ぽつんと控室でひとりパイプ椅子に座っているのには、何か意味がありそうだ。あるいはと思いつくことがあり、訊いてみる。
「なあ伊原。陣出から千反田といっしょにバスに乗ってきたおばあさんがいたって言ってたな。もしかして、あの人か」
「そうよ。横手さん」
 やはりそうだったか。陣出といっても広いので一概には言えないが、千反田の近所に住んでいる可能性が高く、おそらくはもともと顔見知りでもあるのだろう。段林さんに対して千反田を庇うようなことを言ったのも頷ける。
 じっとしていられないのか、伊原は、
「もう一回館内見てくる」
 と踵を返した。
「俺も後で行く」
「お願い」
 足早に伊原が出て行くと、部屋には俺と横手さんのふたりだけが残される。
 千反田は文化会館まで来てから消えたということなのだから、関係者の中で千反田を最後に見たのはたぶんこの人だ。足を使って捜すのもいいが、いまのところ千反田の行方は見当もつかない。聞ける話はできるだけ聞いておいたほうがいいだろう。
「あの」
 と話しかける。横手さんは両手を腿の上に乗せたまま、わずかに首を傾げた。
「なんでしょう」
「千反田……さんといっしょのバスに乗ってこられたと聞きました。千反田さんを捜したいので、その時の様子を聞かせていただけませんか」
「あら、あなた」
 横手さんは俺の質問に直接は答えず、俺の顔を見てふと笑った。
「どこかでお見かけしたと思ったら、今年の生き雛まつりで役をやられた方ね。ご立派でしたよ」
 ……そんなこともあった。横手さんが陣出に住んでいるというのなら、あの祭りは当然見ていたのだろう。とにかく、顔が知れているのなら好都合だ。
「ありがとうございます。で、どうでしょう、千反田さんの様子は」
 そう返事を急かすと、横手さんは「そうねえ」と考え込んだ。やがて、ぽつりぽつりと話し始める。
「わたしは陣出のバス停で、一人でしたね。千反田さんが、車でお嬢さんを送ってきました。千反田さんは車の窓をわざわざ開けて、娘をよろしくと言いました」
 横手さんが話す「千反田さん」は、千反田の父か母か、どちらかのことだろう。いまのところ、どちらなのか確定させる必要はなさそうだ。
「お嬢さんも車を降りたので、挨拶を交わしました。それからふたりで、傘を差してバスを待ちました」
 少し気になるのは、車でバス停まで送るんだったら、そのまま文化会館まで送ればよかったのではないか、ということだ。まあ単純に考えれば、バス停までは送ったものの文化会館まで送るほどの時間はなかったか、別の方向に用事があったのだろう。
 人捜しをするなら押さえておくべき基本をまだ聞いていない。
「千反田……さんの服装は憶えていらっしゃいますか」
 横手さんはまた、「そうねえ」と呟いた。
「舞台では揃いのジャケットを着ることになってるのよ。だからお嬢さんが着ていたのは、白いシャツ。スカートは黒だったわ。靴も黒で、靴下は白。鞄はクリーム色で、そうそう、傘は茜色。やっぱり綺麗なものをお持ちね、と思ったのよ」
 合唱団員は揃いの服装でステージに上がるというのならさっきの段林さんが着ていたベージュのジャケットはなんだったのかと思うが、たぶん出番の直前に着替えるのだろう。
 とにかく千反田は、持ち物を除けば完全にモノクロームの色合いだった。この文化会館の中ならともかく、外では目立ちそうだ。
「バスには、ふたりで乗り込んだんですね」
「そうですねえ。ふたりでした」
「何時のバスでしたか」
「一時ちょうどです」
「ここに着いたのは?」
「だいたい一時半ですよ」
 千反田は一時半にここに来る予定だったのだから、ぎりぎりのバスに乗ったことになる。それ以上早いと昼食の時間に食い込むだろうし、早く来る意味もないのだから、妥当なスケジュールで動いていたと言えるだろう。
「文化会館前のバス停で、千反田も降りたんですね」
「はい」
 横手さんはそう頷き、
「この控室までいっしょに来たのですが、気がつくといなくなっていました」
 と付け加えた。
 いっしょにいた人間がいなくなってしまったというのに、横手さんはなんら動じることなく、ただ心静かに千反田を待っているように見える。……その気持ちの強さはどこから来ているのだろう。
「千反田がどこに行ったか、心あたりはありませんか」
 最後にそう訊くと、横手さんは穏やかに微笑んだ。
「気分を落ち着けようと風にでも当たっているのでしょう。心配は、しておりません」

>>第5回へつづく
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