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米澤穂信さんの大人気青春ミステリ〈古典部〉シリーズ。
最新刊となる第6弾『いまさら翼といわれても』が待望の文庫化!
6月14日(金)の発売を前に、カドブンでは表題短編の試し読みを特別公開します。
合唱祭の直前に突如姿を消した千反田ちたんだ、その行方を推理する奉太郎ほうたろうが辿り着く場所は……?
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累計245万部突破、極上の青春ミステリ〈古典部〉シリーズ最新刊!試し読み④『いまさら翼といわれても』"

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累計245万部突破、極上の青春ミステリ〈古典部〉シリーズ最新刊!試し読み④『いまさら翼といわれても』

がちりという金属音と共にノブがまわり、控室のドアが開く。俺と伊原はドアの方を振り返るが、…




  

 控室を出ると、エントランスホールのざわめきが遠くに聞こえる。廊下の先から、ちょうど伊原が戻ってくるところだった。
 館内をくまなく捜しまわって来たにしては、あまり時間が経っていない。何か用があって戻ったのだろう。伊原は控室前の俺を見て、ちょっと眉をひそめた。
「まだここにいたの?」
 そして俺の返事を待たずに続ける。
「でも、ちょうどよかった。ふくちゃんから電話で、いまから学校を出るけどなにか出来ることあるか、だって。いちおう折木に訊いてから折り返すって伝えてある」
 ありがたい申し出だ。里志は気が利くので、調べ物を任せるには心強い。
「そうだな……」
 さっき話に出た、図書館や城址公園を確認してもらうというのも一つの手ではある。だが、正直に言ってかなり成算の低い賭けだ。腕時計を見ると、四時少し前だった。そろそろ残り時間が気になってくる。貴重な機動力を無駄なことに使うべきではない。
 ひとつ、ぼんやりと気になっていることがある。まだはっきり言葉にできるほど考えが進んでいるわけではないが、紙のように薄い可能性に賭けて神山市内を走りまわってもらうよりは、この気がかりを追ってもらう方が先の見通しが立つ。
「駅に行ってもらってくれ」
「神山駅?」
 伊原が素っ頓狂な声を上げる。
「そんなところでなにさせるの?」
 なにも、里志に電車で旅に出てもらおうというのではない。
「駅というか、駅に併設されてるバスセンターに行ってほしい。そこで路線図と、陣出を通るバスの時刻表をもらってきてほしい」
 なにか言いたそうに、伊原は口を開けた。なぜそれが欲しいのか説明してほしいのだろう。しかし思い直したように表情を引き締めると言葉を呑み込み、
「路線図と時刻表ね」
 と頷いた。
「それで、受け渡しはどうする?」
「俺が入口で待つよ。混んでるけど、大丈夫だろう」
「わかった」
 言いながら、伊原は携帯電話を取り出す。数秒のコールで里志が出たようで、伊原は俺が頼んだとおりのことを電話先に伝えていく。
 やがて通話を終え、伊原は携帯電話を持ったままで言った。
「十五分で着くって」
 神山高校からここまでは、まっすぐ来てもそれぐらいかかるだろう。駅に寄ってもらうのだから、十五分で来られるとは到底思えない。そのぐらい急ぐという気持ちの表明だろうが、事故に遭いでもしたら寝覚めが悪い。
「無茶するなってメールを送っておいてくれ」
「そうね。そうする」
「お前はこれからどうする?」
「途中で戻っちゃったから、もう一回館内を捜す。それで見つからなかったら、近所の公園も見てみようと思ってる。わたしのことは気にせずに動いてね」
 そうするしかなかった。なにしろ俺は携帯電話を持っていないので、伊原と協調して動くことが出来ないのだ。
「わかった。じゃあ、後で」
 メールを打ち始める伊原を後に残し、俺は一階に向かう。
 江嶋合唱祭は二時には始まっているというのに、エントランスホールはまだ混んでいた。幾つもの合唱団が参加しているそうだから、知り合いのいる合唱団の出番に間に合うように来ている人も多いのだろう。その結果、常に新しい人が到着しているのではないか。
 黒い大理石が敷かれたエントランスホールの真ん中に立って、いちおう、千反田がいないか全周を見まわしてみる。
 千反田の服装は白いシャツに黒いスカートだという。そういう服を着た人間は何人もいたが、千反田と見間違えそうな人は見当たらなかった。まあ、もしここにいるのなら、心配しなくても自分で控室に戻るだろう。
 さっきは目に入っていなかったが、案内カウンターに江嶋合唱祭のパンフレットが積まれている。里志を待つ間にと思い、一部もらってきた。風除室の真正面、「江嶋合唱祭」と大書された看板の下という一番目立つ場所に立ってパンフレットを広げる。
 パンフレットはクリーム色で、滑らかな紙を使っていた。江嶋合唱祭の開始時刻は十四時と明記されているが、終了時刻は書かれていない。不慮の事態で延長されたり短縮されたりすることを考えているのだろうか、それとも別の理由があるのか。観客は夕飯の予定が立てにくくて困るだろうなとぼんやり思う。
 参加する合唱団を紹介する文字は小さく、紙面のほとんどは、江嶋椙堂が書いたという歌詞で埋め尽くされていた。里志から聞くまで江嶋椙堂という名は知らなかったが、ずいぶん昔の人らしく、どれも言葉が古めかしい。どの合唱団がどれを歌うのかは書かれていたので、千反田たち神山混声合唱団の歌を探していく。
「……これか」
 それは「放生ほうじょうの月」という歌だった。……誰か、たき廉太郎れんたろうに似た歌があると警告しなかったのだろうか。
 里志を待つつれづれに、歌詞を読んでいく。

放生の月

 美声なるかな 籠の鳥
 放生の徳を 思えども
 浮世に誰が 常ならん
 ああ 願わくは 我もまた
 自由の空に 生きんとて
 籠の鳥をば 解き放つ

 生け簀の魚の 麗しさ
 放生の徳を 思えども
 浮世に誰が 常ならん
 ああ 願わくは 我もまた
 自由の海に 死なんとて
 生け簀の魚を 解き放つ

「……よくわからん」
 残念ながら俺の中に詩情はない。いい悪いの判断は棚上げにして、まあこういう歌を歌うらしいということだけ頭に入れる。もう一曲歌うようだが、そちらは曲名しか書かれていない。もっとも、有名なポップスなので俺でも知っている。みんなで仲良くしよう、みたいな歌だ。
 パンフレットを筒状に丸めて右手に持ち、ぽんぽんと左手に打ち付ける。うつろな音でリズムを刻む間、目は見るともなしに、外とエントランスホールを繋ぐ風除室を見ていた。
 ガラスのドアを通して見える外は、もうすっかり雲が消えたらしく、見るからに強烈な陽光にさらされている。日傘を持った初老の女性が汗を拭きながら入ってきて、いきなり微笑んだ。なんだろうと思ったが、きっと冷房の涼しさが嬉しかったのだろう。見た感じ三階まで吹き抜けになっているエントランスホールは空調効率が悪いらしく、いまも冷房はほとんど効いていないが、それでも外よりはましなようだ。
「ん?」
 俺はふと、その初老の女性を目で追った。
 その人は黒いスカートに白いシャツという姿で、濃紺のジャケットをはおった上に小さなショルダーバッグをかけている。黒いスカートと白いシャツという組み合わせが千反田の服装と同じだったため、あの人は観客ではなく合唱団員ではないかという気がする。それは当たっているかどうかわからないけれど、なんだか妙に気になる。
 スカート、シャツ、ジャケット、ショルダーバッグ、日傘。空調と笑顔。
「ああ」
 そうか。
「日傘だ」
 この文化会館の風除室には、傘立てがずらりと並んでいる。風除室だけでは最大千六百人分の傘のスペースをまかないきれないのか、傘立てはエントランスホールの壁際にもある。しかしその老婦人は日傘を手に持ったまま、階段を上がっていくのだ。
 ふと思うことがあって、俺は案内カウンターに向かった。さっきと同じ愛想のいい女性が、
「なにかお探しでしょうか」
 と訊いてくる。
「あの……。つかぬことをお伺いしますが」
「どうぞ、なんなりと」
 どう見ても一介の高校生に過ぎない俺に、「なんなりと」などという言葉を使わなくてもいいのに。たいへんな仕事だなと思いながら、訊く。
「もしかして、イベントに出る合唱団の人たちは、ここの傘立てを使っては駄目なんですか」
 明らかにおかしな質問だと思うのだが、係員はなんらためらうことなく、
「はい。できるだけ多くのお客さまに傘立てをお使いいただくため、控室にお入りになる皆さまには、控室内の傘立てをご使用いただくようお願いしています」
「わかりました。ありがとうございます」
「はい。他にもご不明な点がありましたら、なんなりとお尋ねください」
 あまりにも丁寧な応対に、そこはかとなく後ろめたさを感じながら案内カウンターを離れる。しかしこれで、さっきの初老の女性が日傘を傘立てに置かなかった理由はわかった。
「……」
 となると、千反田がどこに行ったのか、少し絞れてくる気がする。少なくとも、あそこではない……。
 もう少し考えようと、俯いたまま「江嶋合唱祭」の看板の下まで戻っていく。その途中、
「上を見ようとは言わないけど、せめて前は見ようよ、ホータロー!」
 と声をかけられた。
 振り返ると、さっきまで俺がいた場所に、ひたいに汗を滲ませた里志が立っていた。腕時計を見ると、四時十四分だった。さっき伊原と話してから、本当に十五分ほどしか経っていない。あまり無茶をしていないといいのだが。
「早いな」
「そうかな。はい、ご注文の品」
 バスの時刻表と路線図は、どちらも光沢のある紙に印刷されていて、手のひらに収まるぐらいに折りたたまれていた。
「手間かけさせた」
「どういたしまして、おやすいご用だ」
 里志は眉根を寄せていた。
「事情は摩耶花から聞いたよ。千反田さんが消えたんだって?」
「そうらしいな」
「学校にはいなかった。少なくとも、昇降口に千反田さんの靴はなかった。こうなると、やっかいだね」
「ああ」
 生返事しながら、俺は時刻表を開いていく。
「千反田さんはこの街のどこかに行ってしまって、携帯電話も持ってない。そりゃあ僕だって千反田さんが行きそうな場所の一ヶ所や二ヶ所は知ってるけど、かたっぱしから当たっている時間はない。ホータロー、こいつはちょっと舞台が広すぎて、手も足も出ないような気がするよ」
 持ってきてもらった時刻表は、精査するほどの情報量がなかった。陣出を通るバスの本数は予想通りに少なく、昼間は一時間に一本走っているきりのようだ。俺はひとつ頷き、時刻表を元通りにたたんでいく。
 里志はしたたる汗を指で拭い、言う。
「本当に残念だけど、僕は他にも用事を入れていて、すぐ行かなきゃいけない。千反田さんのことだから、心配はいらないと思うんだけど……。どうかなホータロー、千反田さんがどこにいるか、少しは絞れたかな」
「まあな」
 そう答えると、里志は目を丸くした。その答えは予想していなかったらしい。
「えっ。ちょっと待って。ホータローはまさか、千反田さんの居場所がわかっているのかい?」
「わかっていると言うと語弊があるが、だいたいの察しはついてる。捜し出せるさ」
 そしておそらくは、見つけた後が問題だろう。
 腕時計を見る。千反田の出番まで、あと一時間四十五分だ。
 里志の言うことはもっともだ。姿を消した千反田を見つけようと神山市をくまなく捜していたら、時間など一週間あっても足りない。しらみ潰しでは駄目で、もっと効果的かつ省力化された方法が必要だ。そしてその方法は、たぶん里志が想像しているほど難しいものではない。
 しかし、
「どうするんだい?」
 と真正面から訊かれると、答えに詰まる。人にどう思われるかをとても気にするタイプとは言えない俺だって、「こうやればいい」と胸を張っておいて、もし駄目だったらちょっと恥ずかしいなと思うぐらいの感性は持っている。
「いや、まあ、まだわからんが」
 うやむやに誤魔化し、ちょうど里志に訊きたいことがあったので、強引に話を逸らしてみる。
「ところで……江嶋椙堂というのは、本当にナントカ四天王と呼ばれるほどメジャーな童謡作家だったのか?」
 里志は、おそらく誤魔化されたことを百も承知で、それを気にする素振りもなく答えてくれた。
「ちょっと言い過ぎたかな。地元びいきを加えてもなお、白秋や雨情には及ばないっていうのが本当のところだと思う」
「言い過ぎがちょっとだけっていうのも言い過ぎ、ってところか」
 里志は無言で肩をすくめる。俺は、さっき案内カウンターでもらったパンフレットを開いた。
「千反田たちは、この『放生の月』ってのを歌うらしい」
「ははあ」
 歌詞を一瞥し、里志は妙に納得顔で頷く。
「そうなんだよね。僕もそんなに詳しいわけじゃないんだけど、江嶋椙堂はこうなんだ」
「そうなんだ、こうなんだって、つまりどうなんだ」
「つまり一言で言って……ちょっと説教くさい」
 なるほど。俺は思わず深く頷いた。歌詞を読んだ瞬間のざらりとした感情を言い表すのに最適の言葉を見つけてもらって、爽快な感じさえする。
「孝行とか勤勉とか正直とか、そういう価値観を恥じらいもなく歌い上げて賞賛するんだ。本人はもともとお坊さんで、どことなく説教っぽいのはそんなところから来てるのかなってなんかの本に書いてあったよ。だからかどうか、メジャーにはなれなかった。ま、知る人ぞ知るっていうぐらいかな」
「それでよく記念祭なんてやるもんだな」
 ちょっと斜に構えたような笑みが返ってくる。
「合唱団はたいてい定期演奏会をやるものだよ。そして、どうせイベントをやるなら恰好いい名前を付けたくなる気持ちは、僕にはよくわかる」
 そんな気持ちは俺にはわからないが、里志ならば、確かによくわかるだろう。
 里志はちらりと腕時計を見た。その眉がわずかにひそめられる。
「そろそろ行かないとね。まったく、下らない用事を入れちゃったよ」
 その用事がなければ手伝うのに、という言外の意味は、さすがに俺にも伝わった。
「気にするな。……どんな用事なんだ」
「それがさあ」
 時間はないそうだが、里志は身を乗り出さんばかりに食いつく。どうやら、誰かに話したくて仕方がなかったらしい。
「従兄弟夫婦が遊びに来るんだよ。甥っ子の相手が大変でね」
「従兄弟の子供も甥っていうのか?」
「いとこ甥とかいうらしいね。まあ、甥って呼ぶけど。この子が将棋好きで、対局をせがまれるんだよ」
 たいていのことには手を出している里志のこと、将棋が指せないとは思えない。……いや、それどころじゃない、里志は確かけっこう強いはずだ。中学の修学旅行の夜、市の将棋大会で三位に入ったことが大の自慢のクラスメートと一局指して、勝っていた。
「指してやればいいじゃないか」
「僕が勝つと泣くんだよ。で、向こうが勝つまで続けさせられる。ごはん抜きでね」
「……嫌だな、それは」
 里志は首を横に振った。
「それはね、別にいいんだ。負けてやるだけだから」
 俺は中学時代のこいつを知っている。どこまでも勝ちにこだわり、勝つためにはルールの隙を突いてゲームをつまらなくしても構わないという主義だった。そして、いまはその主義を取り下げていることも、俺は知っている。
「じゃあ、何が問題なんだ」
「負けましたって言わないと、卑怯だなんだって鬼の首を取ったように騒ぐんだよ」
 将棋は、どうやっても王将が取られる状態になったら負けだが、それ以前に投了することもできる。その場合「負けました」と宣言することが一般的だということは、俺も知っていた。
「接待将棋だから詰まさせてあげるんだけど、『君の勝ちだよ』とか『まいった』じゃ、許してくれないんだよね。詰んでるんだから発声もなにもないと思うんだけど」
「負けましたとは、言いたくないか」
 里志がちょっと苦い顔をする。
「その台詞は実力で言わせてみろと思っちゃってさ。心にもないことは言いにくい。言葉の上だけの問題だし、向こうの言うことにも一理あるんだけど、ま、僕もまだまだ未熟ってことだね」
 残り時間が刻々と減っていく中でする話でもないが、俺はつい苦笑してしまった。
「気持ちはわかるな。俺だって昔、親戚の結婚式で……」
 キリスト教式の結婚式だった。詰襟の学生服で教会に入り、神父の説教を聞いた。
 ……ふむ。
 不意に、何かの直感が脳裏をかすめたような気がした。上手く言葉に出来ないが、そうかと納得する、その寸前まで思考が進み、波が引くように消えていく。なんだろう。将棋や結婚式の何が、そこまで気にかかったのだろう。
「というわけだから、僕は行くよ、ホータロー」
 その声で我に返る。
「あ、ああ」
「千反田さんが見つかることを願ってる。こんな時に手伝えなくて、本当に申し訳ない」
「いや」
 考えがまとまらないまま、俺は咄嗟に、
「後は任せろ」
 と言ってしまう。里志は目を見開き、それから少し笑った。
「わかった、任せるよ。……隠れた千反田さんを見つけられるのは、たぶん、ホータローだけだろうしね」

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このつづきは、6/14(金)発売の本編でお楽しみください!!
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悪いことはするものではない。過去はいずれ露見する。若気の至りだ、あの頃は誰だってそうだっ…

書籍

『いまさら翼といわれても』

米澤 穂信

定価 734円(本体680円+税)

発売日:2019年06月14日

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    書籍

    『米澤穂信と古典部』

    米澤 穂信

    定価 1188円(本体1000円+税)

    発売日:2017年10月13日

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